番外543 深みの魚人族の矜持
空中戦装備の習熟、要塞内での模擬戦。それから集落での避難訓練。
訓練というのはどれほど積んでももう十分だ、などと言えるような性質のものではないが、限られた期間でできる事はやったつもりだ。
願わくば集落の人員だけでなく家々や設備にも被害が出ないようにしたいものである。ある程度なら魔法で修繕できるとしても、気分の良いものではないし。
メルヴィン王、デメトリオ王、それにエルドレーネ女王達と水晶板モニター越しに現状を報告したり、敵の出方を待つ時間で訓練を積んでいる内に時間は刻々と過ぎていった。
そして――。
「来ました! 敵の斥候です!」
氷の要塞上部に配置したティアーズのモニターを監視していたシオンが声を上げて知らせてくれた。
やってきたのは中型の軍船。船に随伴する飛竜に乗った騎士達。
速度に優れる通常の戦力をまずは斥候として差し向けてきたらしい。その船が出港するところは首都に配置したシーカーが遠目から捉えている。
シーカーは今現在、首都中心部付近に陣取りながらも街と港を一望できる……少し大きな民家の屋根と一体化して、広い視野を確保しているという状態だな。
「移動速度を計算すると……通常の帆船より早いかな」
「……グロウフォニカ王国の船のように、風以外でも航行できる装備がついているのかも知れないね。隠密船もそうだったし」
アルバートが顎に手をやって思案するような様子を見せた。船の性能が通常の帆船を上回る、というのは……まあ想定の範囲内ではあるが。
斥候の連中は――引くつもりがないらしい。氷の要塞は既に視界に入っている距離だろうに。
船首で旗を振りながらそのまま接近してくるようだ。随伴する二頭の飛竜の内、一頭は後方に待機させたままでもう一頭が前に出てくる。
あれは、話がしたい、ということか。相手の出方を見る一手としては、有効かも知れない。取りつく島もない程好戦的なのか、それとも使者であるなら話をし、生かして返す程度には理知的なのか。万一の時を考えて後方に飛竜を待機させているのが小賢しいというか。
深みの魚人族の様子を見るという任務を帯びているのなら、悪くない手だ。深みの魚人族の背後にいる相手を見極めようとしているのか。
状況を想定した上で指示を受けているのだろう。アダルベルトの性格を反映したような手だとは思う。
『どうなさいますか?』
と、要塞側にいる戦士長からシリウス号側へと対応を尋ねられる。
「話がしたい、というのなら警戒しつつも応じるべきでしょうね。問答無用で攻撃したという口実を与えるわけにもいきませんし。問題は誰が対応に出るのかと言う点でしょうか?」
深みの魚人族を前に出してこちらの意思を伝えるとするならば――隷属魔法が解けているのは明らかにした方が良いのかも知れない。どうせ連中にとっても表沙汰にできない案件なのだ。瞳の力で隷属魔法を吹き飛ばした、とでも思わせておけばいい。
戦後処理で実は城から魔道具を持ち出して解除していたなどとカバーストーリーを作って誤魔化す手はあるし、瞳を持つ深みの魚人族にしかできない芸当とするならば、不正規の解除法は情報として意味をなさなくなる。
逆に……常時瞳を励起させて、その光景を使者に見せ、行動を支配していないと隷属魔法の効果を弾く事ができないと思わせる方法はどうか? その場合は……瞳の発動に時間制限があるなどと向こうが読んで、消耗させるために守りを固めてしまうかも知れない。
それは、面倒が増すだけだな。こちらとしても出来るなら避けたい。
そういった諸々の考えを説明すると要塞側にいるエメリコが頷いて言った。
『そういう事なら、私も前に出た方が良いかも知れませんな。どうせ連中には我らが一枚噛んでいるというのはバレているのですから、ここで私が顔を見せる分には何ら情報を与えるものでもないでしょう』
「エメリコ殿の事は昔から存じておりますが、交渉手腕も中々のものですぞ」
と、バルフォア侯爵がにやりと笑って教えてくれた。そう、だろうな。フォルガロとやり合うにはそれぐらいの人材でないと任せられないだろうし。
「では、この場はお願いできますか? 僕も変装してそちらに伺います。罠だった場合に防御を行える者が必要でしょう」
『ありがとうございます。では、安心して私は私のするべき仕事を成します。伏せるべき情報は伏せ、連中を煙に巻いて見せましょう』
エメリコは優雅に一礼する。俺も要塞側に向かい……船が近付いてくるまでの限られた時間内に打ち合わせを纏める。
完璧な口裏合わせにはやや時間が足りない。連中との応対には交渉手腕に長けたエメリコが主体になるだろう。方針については俺もエメリコも、大体一致しているようなので任せても大丈夫そうだ。
そうして、オルキウスの変装をした俺とエメリコ、長老、戦士長は揃って要塞外周部へと移動する。
近付いてくる船に声が届く頃合いになったところで三又の槍を構えた戦士長が大音声を張り上げた。
「そこまでだ! 貴様らを我らが要塞に受け入れるつもりはない! 止まらぬ場合、攻撃に移ると知れ!」
そんな戦士長の言葉に、フォルガロの船が回頭し、飛竜に乗った男が手で制止を呼びかける。
「待たれよ! 我らの任務は戦いではない!」
かといって首都に控えている連中に戦いの意思が無いとは言っていないな。交渉の名目であわよくば敵情視察に来たのだろう。
少なくとも、深みの魚人族にかけた隷属魔法が最早機能していないのは戦士長の第一声で伝わっただろう。エメリコや正体不明の鯱獣人が共にいる、というのも。
「虫のよい事を……。そなたらが我らにしてきた長年の所業を考えれば、業腹であることなど百も承知であろうに! 我らとそなたらは敵。何を言われようがそこはもう違えることはできぬし、一度謀った相手の交渉など信用はできぬ! 故に、我らの要塞内部に招き入れ、情報を与える事はまかりならん! 戦いが目的ではないなどと、良くも白々しい事を抜け抜けと!」
杖に魔力を纏わせた長老が声を上げる。
我らの要塞と強調しているが、氷の要塞という中々にファンタジーな見た目にしたから、そこそこの説得力もあるだろう。深みの魚人族主体と思わせ、瞳の力を借りたからこその芸当と思わせるわけだ。それで……後方で報告を聞く事になるアダルベルトが納得するかどうかは知らないが、偽情報は散りばめられるだけ散りばめ、伝えたい情報は暗に伝えて向こうに推測させて、こちらの望む方向に誘導してやろう。
「深みの魚人族の皆さんは平穏な暮らしを望んでおりますが――あなた方は脛に傷のある身。捨て置く事はできないのでしょう? それでも何か伝えたい事があるのならこの場でお聞きしましょうか」
エメリコが言うと、飛竜に乗った騎士が眉を顰める。
「エメリコ殿……首都から姿を消したと思えば、やはり港の一件に絡んでおりましたか。この事はデメトリオ陛下も承知なのでしょうな?」
「あの方の御意向はご想像にお任せしましょう。ところで……矢印の贈り物は気に入って頂けましたかな? 決行まで密かに準備を進めるのは苦労しましたぞ」
と、エメリコがにやりと笑うと、飛竜に乗った騎士がやや気色ばむ。
俺達が対応するまでの速度を逆用した情報の臭わせ方だな。入念に調査と準備を進めてきたと暗に言っているわけだ。それはつまり、西方海洋諸国にも情報が伝わって、根回しが済んでいるだろうと思わせるのに十分な情報だ。
隣国……というより周辺国との緊張が高まっている状況で、首都近辺の海に敵の拠点があるというのは、フォルガロにとって看過できまい。可能な限り素早く鎮圧しなければならない。
「……愚かな。確かにこの要塞には驚かされましたが、このような氷で造っただけの急造品など……。秘宝の力を借りられるとはいえ、戦士や集落に住む人員の数はこちらとて把握しているのですぞ? 公国の脅威にはなりえないと、知らしめるだけの結果になります」
真っ当な交渉の余地がないとなれば今度は脅迫か。要塞をどこまで評価しているかは分からないが、強気な姿勢を崩すつもりはないらしい。
「魚人族もです。貴殿らがあの夜の守護獣を目にしたかは分かりませんが、今や公国の精鋭の敵ではないのです。大人しく降伏した方が身のためなのではありませんかな? 今ならばアダルベルト陛下も寛大な心で許して下さるでしょう。公国の一員としての栄誉に身を委ねた方が賢い選択というもの」
「くどい! 我らは最早そなたらの奴隷ではない!」
騎士の甘言をすげなく突っぱねる長老。騎士は肩を竦めながらも、俺の方にちらりと視線を送ってくる。
「俺が気になるか?」
そう言ってやると、騎士が薄く笑った。
「気にならない、と言えば嘘になりますな」
「オルキウスという旅の者だ。海の底より例の首飾りを見つけた事が縁でな。同じ海の民の窮状を知ることとなり、義によって助太刀している」
そう名を名乗ってから、鯱顔の牙を剥く。
「しかしまあ――これは度し難い。聞きしに勝る下劣ぶりだ。他者の財を不当に奪い取って今に至ったお前達が栄誉などと……仮にも騎士を名乗る者が良く言えたものだな」
闘気を纏い、珊瑚の槍の切っ先を飛竜に乗った騎士に向ける。騎士は俺の挑発に一瞬憎々しげに表情を歪めるも、酷薄に笑った。
「どうやら……交渉の余地はないようですな。後悔なさいますぞ?」
「初めからそう言っている。後悔など微塵もあるものか」
「帰って主に伝えるんだな。来るならば来い。相手になってやる」
そんな戦士長と俺の言葉に、騎士は鼻を鳴らして船と共に戻っていった。まあ、深みの魚人族と俺達からの宣戦布告としてはこんなところか。アダルベルトは俺達がグロウフォニカを訪問中という話は聞いているだろうが、今回の件に絡んでいるということまで予想の範囲に入れて動くかどうか、注意が必要だな。