番外528 魚人族の決意
魚人族は広場に集まり、長老と俺達のこれから話す事を、誰もが真剣な表情で見守っているという印象だった。円型で階段状の席に座って沢山の者が広場の様子を見られる作りになっているから、座っている魚人達一人一人の表情までしっかりと見る事ができる。
島で待機している面々も船が来ないか見張りつつ水晶板モニターでこちらの様子を見ている状態だ。
長老に確認してみたが、キュテリアも表沙汰にできない研究の被害者であるからか、深みの魚人族を支配する物品については耳にした事があるらしい。まあ……それならば瞳にまつわるあれこれをここでしっかりと聞いてもらった方が良いのかも知れないな。
「お集まりいただき、ありがとうございます。まずは自己紹介からさせて下さい」
というわけで一人一人名を名乗っていく。ヴェルドガルから来た面々、グロウフォニカから侯爵と精鋭部隊、グランティオスの面々やネレイド族。使い魔や魔法生物達。人数が多いので名前と肩書きで手際よく進める。
そうして自己紹介が終わったところで論点をはっきりさせるためにも、これから話したい事、話し合いたい事をまず最初に口にする。
「話し合いたい事、というのは他でもありません。大きく分ければ三つで、一つは皆さんの秘宝――瞳の処遇について。もう一つは都にいる方々の救出について。最後はフォルガロに対して今後の対応をどうするか、ですね」
そこで一旦言葉を切って周囲を見回す。議題に納得したというように頷く者、緊迫感が増した様子で考え込む者、こちらをじっと見る者。反応はそれぞれであったが皆真剣な様子だ。
「ですが、皆さんはどうして僕達がここに来て、何故瞳を持っていたかも気になっているかと存じます。信用を得る意味でも、ここに至るまでの経緯をお話させて下さい。分かりやすくなるよう、一部には幻影も交えますが」
と、マルレーンから借りたランタンの準備をしつつ、そこまで言ってからヘルフリート王子とカティアに視線を送り、場を譲る。二人は静かに頷くと一歩前に出て、ヘルフリート王子から口を開いた。
「皆さんが聞き及んでいるかは分かりませんが、僕達は少し前にグランティオス王国を訪れ、海の民と共に魔人と交戦する事となりました」
「知っています。フォルガロでも噂になっていました」
と、そう言った反応が返ってくる。ヘルフリート王子は微笑して静かに頷いて言葉を続ける。
「テオドール公はその戦いに勝利を収め、僕は留学先であるグロウフォニカ王国に戻ったのです。カティアと出会ったのはそんな折でした」
「私は一族のある大事な用でグロウフォニカ王国を訪れていたの。あの時は海が荒れて……陸の民の船が波に飲まれそうになっているのを見て、それを魔法で助けたのだけれど、私は怪我を負ってしまったわ」
それからの事をヘルフリート王子とカティアは丁寧に話をしていく。怪我をしたカティアをポーションで治療した事。ポーションが足りずに公館で怪我が治るまで保護したこと。雑談したりしている内に互いに惹かれていき、一族の用についても相談に乗ってもらったり、力になってもらった事。諸々包み隠さず。
深みの魚人族の反応はと言えば、二人が交際している事を知ると、少し和やかな反応になったように見えた。
「良い話……よね。でも陸の民の王子様だし、結婚は大変なのではないかしら」
キュテリアが少し心配そうに言う。
「陸の民にも良い奴はいるからな。海の民との結婚は祝福してやりたいよな。こうして助けに来てくれた人達なわけだし」
「結婚かぁ。上手くいくといいわね」
キュテリアと頷き合う魚人達である。
ヘルフリート王子は少し頬を赤らめて咳払いしながらもそれからの事を話していく。調べ物の為にヴェルドガル王国へ帰ったこと。そして俺達との話。
「少しばかり弟の様子や言動に違和感があってね。首を突っ込んだのはわたくしの余計なお節介ではあったかしらね」
と、ローズマリーは肩を竦めて言う。魚人族の微笑ましそうな眼差しには羽扇で表情を読まれないようにしていたが。
かくして俺達はヘルフリート王子とカティアの関係について知る事となった。一族の相談事を承諾なしに他人には話せないからということで、アルバートとオフィーリアの結婚式も近かった事から、新婚旅行をグロウフォニカに決めた事等々、それからの経緯をみんなで話していく。
グロウフォニカ王国でのあれこれ。ネレイド族の……故人を弔うための調べ物。デメトリオ王とバルフォア侯爵との対面。図書館での調べ物。グロウフォニカの騎士サンダリオの特定と、海賊サロモンとの因縁について。話と共に浮かぶ幻影の風景が、甲板の上に広がり、魚人達の視線を集める。
海賊について話が及ぶと、俺達が瞳を探し当てた理由についてある程度の背景を察した者もいるようだ。少し驚いたような表情を浮かべたり、中にはフォルガロの行いに対して険しい表情をしている者もいたが……皆一様にこちらの話を聞き逃すまいとしているらしい。
「僕達はサンダリオ卿の足跡を追えばネレイド族の相談事を解決できる、と思いました。そうしてサンダリオ卿の生家を訪れたり、マルティネス家の遺産がバルフォア侯爵家に引き継がれた事を知り、侯爵のお城を訪問したりしたわけですね」
旧マルティネス邸で見つけた錬金術の道具。バルフォア侯爵家の展示室で見たもの。手記と肖像画に残されたメッセージの話。サンダリオとその家族が海賊の宝を隠した場所。
話がそのへんにまで及んでくると、もうほとんど物語を聞いているような感覚だろうか。魚人族は身を乗り出して話に聞き入っている様子だった。但し、ネレイド族の秘密については触れないようにぼかしているが。
そうして、島の形を頼りに瞳を見つけ出した。その時点ではそれが何かは分からなかったが……サンダリオとドルシアが晩年を過ごした島でブロウスとオルシーヴと戦った事について話が進むと、みんな納得した、というように頷いていた。そうだな。自分達にも話が繋がってくるわけだから。俺達の視点とブロウス達の視点をそれぞれの口から交えて話が進む。
「二人とも、行動が隷属魔法によって強制されたと分かるものでしたから。その場で隷属魔法の機能を停止させ、そして解除しました」
「俺達は……この方こそ皆を助けられる御仁だと、その場でテオドール公にお願いをしました」
「テオドール公は快諾をしてくれました。それに……報復は相手を間違えないなら否定しない、とまで言ってくれたのです。ですが――」
ブロウスとオルシーヴは、あの時二人に伝えた言葉を、一言一句間違いなく深みの魚人族に伝えてくれる。俺が力を欲しがった理由もそうだったからという事。同時に、深みの魚人族が人間から恨まれるような事も避けたいと思っている事。
それらの言葉に、集まった深みの魚人族は各々考え込んでいる様子であった。まだ話は終わっていないから議論は始まらないものの、しっかり考えてくれるのは嬉しい。
「その場では結論の出ない事ではありました。今後について相談をしようと、ネレイド族の里に場を移して一晩を過ごす事になったわけです」
そうしてネレイド族の里の墓所にて……サンダリオとドルシアに報告に向かった所で……サンダリオ本人の記憶を見たことを幻影と共に語る。幻影の記憶を魚人族の皆に見せることがどう影響を及ぼすかは分からない。しかし、知っておくべき事ではあると思うのだ。
共に戦おうと言ったサンダリオ。共闘した魚人族の想い。その想いを引き継いで、後世の為に騎士の身分さえ捨ててサンダリオとその家族が動いたこと。
記憶の最後に現れたサンダリオとドルシアが俺達に後の事を頼むというように頭を下げた、あの光景。
「……義のお人、ですな」
サンダリオとドルシアの姿を見届けてから、長老は何かを感じ入るように目を閉じて言った。
「同じ一族に名を連ねる戦士として……彼らの在り方は誇りに思います」
戦士長もそう言って、胸に手を当てて目を閉じていた。
「その後は……皆さんがご想像している通りです。フォルガロについて聞き、デメトリオ王と相談をし、隠密船の対策を用意した上で僕達はここに来ました。僕の考えも――ブロウスさんとオルシーヴさんが伝えた通り。僕は自分自身がそうであったから、流された血や涙を軽々しく否定していい、とは思っていません」
深みの魚人族の方針を決めるのは俺達ではない。俺達ではないけれど。それでも。見てしまった、知ってしまった以上は思ってしまう。願ってしまう。
一旦言葉を切り、続ける。
「僕は――こうして過去の想いに触れ、皆さんと言葉を交わし、喜び合う姿を見てしまった。だから……可能な限り力になりたいとも思います。勝手なこちらの心情を伝えてしまうのならば、報復の結果が更なる報復を呼び込み、多くの血が流れるような光景は……見たくはない。もし、誰か憎まれるべき者、断罪を受けるべき者がいるとすれば、それは事情を知って尚、非道な行いを続けていた者達だと……そう思うのです」
そこまで言うと、広場に沈黙が落ちた。みんな考えてくれている。それは分かる。
言葉にして自分の立場を明らかにするのが難しいのだ。今までの苦しみは、軽いものではないから。
だけれど。広場に集まった深みの魚人族の……1人が意を決したかのように立ち上がって言った。
「勝手だ、なんて、そんなことはない……と思います……!」
小さな子供を抱いた、母親らしき魚人族だった。こちらを真っ直ぐに見ながらはっきりと口にする。
「確かに、私達は苦しい思いをしてきました。けど……テオドール様が助けてくれて……この子を抱いた時、思ったのです。これでこれから平和に、静かに暮らせるって」
まだ小さな子供が立ち上がって言う。
「聞いたこと、あるんだ。瞳って、使った人の気持ちがわかるんだって。テオドール様の使ってた瞳の、あの光……。とっても優しくて、温かかった。だから……テオドール様が悲しいとか寂しいとか、思うようなのは……やだよ」
そんな風に言う子供の頭を、後ろの席に座っていた魚人がそっと撫でる。身体に幾重もの傷が刻まれた……先程の話の途中で険しい表情をしていた魚人の一人だ。
「良く言ったぜ、坊主。確かにな。俺は、あの連中は気に入らねえ。俺の親友もいなくなっちまったし、できる事ならこの手でやり返したいとも思ってる。……だが……なあお前ら。俺達戦士の務めはなんだ? 敵を殺す事か? そうじゃあねえ。仲間達を守る事だろう? テオドール様はあの連中こそが断罪を受けるべきだって言った。俺達のご先祖様も、あの騎士さんも、平和が一番だって考えてたわけだ。なら、俺達の恩人を信じて、そのやり方に賭けてみねえか?」
と、その魚人は同じような、体格のいい魚人達に向かって言った。
「俺は信じるぞ!」
「俺もだ!」
「私も!」
次々と、あちこちから声が上がる。
『俺達も……テオドール様を信じる』
水晶板の向こうから島にいる者達が揃って頷く。戦士長はその光景に目を閉じて口元に笑みを浮かべ、キュテリアは優しく微笑んでいた。
そこで――長老が一歩前に出ると、騒然となっていた広場の声が静まっていく。長老は周囲を見回して、言った。
「……テオドール殿のお示しになられた方針に異論のある者はおるかの? これは大事な問題。儂もまた、流された血を軽んじるつもりもない。反対意見を口にしたからと決して責めはすまい。その言葉とて、仲間を思えばこそのもの」
そんな長老の言葉に――立ち上がって意見を述べる者はいなかった。皆長老を真っ直ぐに見て、次の言葉を待っている。やがて長老は目を閉じて、そうして頷く。
「そう……そうさな。あの温かな光が、言葉よりも何よりもテオドール殿が我々の行く末を案じている事を伝えて下さった。今のこの光景は、あの光が。騎士殿や先祖の想いが我らの心を一つにしたものに相違ない。ならば――我ら一族は偉大にして慈悲深き大魔術師殿と力を合わせる道を選ぼうではないか。良いな、皆の者!」
「おおおおおおおッ!」
長老が言うと、皆が拳を突き上げるようにして大きな歓声、雄叫び、そう言ったものが混ざり合った声が広がった。
「良かった……」
と、胸のあたりに手を当てて微笑むグレイス。視線を送れば俺に笑みを返してくれるみんなの優しい表情。
俺もみんなに頷いてから正面を向き直って、一歩前に出る。広場を埋め尽くすような声が一旦静かになる。
「後悔はさせません。非道な真似をした連中に、然るべき報いを与えられるように全力を尽くしましょう」
そう言うと、またも大きな声が上がる。その声はいつまでもいつまでも海溝に響き渡るのであった。




