番外520 海溝への出立に向けて
造船研究所の会議室に移動して、マルレーンのランタンを借り、旅先――特にサンダリオ関係で見てきたもの、やり取りをできるだけ丁寧に幻術で見せていく。
音声はないが、そこはまあ幻術によって字幕を浮かべた上でナレーション役もすればどうにかなる、ということで。
ガルニカ伯爵領の旧マルティネス邸で錬金術の器具を見つけた事から始まり、バルフォア侯爵家の展示室と保管庫で見つけた手がかりと肖像画のメッセージ。
獅子の爪、竜の鼻先での出来事。島に埋められた瞳を守っていた精霊達……。
そしてサンダリオとドルシアが晩年まで過ごした島の穏やかな風景と、ネレイド達の墓所で見た記憶……。
それら諸々をデメトリオ王に見てもらう。
「そうして……サンダリオ卿は嵐の海に。そこでドルシアさんと巡り合い……後の話はサンダリオ卿の家族のところに繋がります」
そう言って、サンダリオとドルシアがこちらに向かって一礼する姿を見せ……幻影が消える。
幻影で映し出されるものが消えても……デメトリオ王は暫くの間、何かを感じ入るように目を閉じ、そして無言だった。やがて目を開き、静かに言葉を紡ぐ。
「そう、か。やはり……彼の者は誇り高き騎士であったな。真実が明らかになって尚、その名声に、何1つの陰りもない。彼の者が礎を築いてくれた今の平穏を守るのが余の務めであろう」
そう、だな。恩人との約束も果たそうと秘密を守り通し、国の平穏も望んでいたわけで。サンダリオの騎士としての生き方には、何ら変わりは無かったのだろうと思う。
デメトリオ王は暫くの間、先程見た光景についての余韻を名残惜しむかのように、遠くを見たりして想いを馳せている様子であった。
そうして、造船研究所での旅先での報告は終わり……俺達は公館に戻った。
いつでも深みの魚人族の里に向かえるように旅の支度を整えながら、補給と称してグロウフォニカ騎士団用の食糧品を更に補充して積み込んだりといった具合だ。
グロウフォニカ王国側が食料品を集めたり船に積み込んだりすると、演習ではないとバレてしまう可能性もあるからな。
その点、シリウス号に積んである食料品の事情は外からは分からないので堂々と積み込んだりしても融通が利くというか、カモフラージュになる。
更に……タームウィルズ側でも助っ人の準備をしてくれているらしい。こちらも準備が出来次第、転移魔法で迎えに行き合流する、ということになるだろう。ウェルテスやエッケルス達……グランティオスの武官も今後の友好と親善の為に協力するとのことで。その間、俺達はブロウス、オルシーヴと話をして救援作戦を立てていくというわけだ。
「海図では……このあたりの海域ですね」
と、ブロウスも公館の中庭にある東屋で、バルフォア侯爵の持ってきてくれたフォルガロ公国近辺の海図を見て、どのあたりに自分達の住んでいる海溝があるのかを教えてもらう。
「海溝に住んでいるとお聞きしましたが、どのぐらいの深さで暮らしているのですか?」
「どのぐらいか……は、具体的には図ったことがありませんが、生き物がまばらになるぐらいの深さ……でしょうか。壁面を利用して集落を作っているのです」
俺と一緒に海図を見ていたグレイスが尋ねると、オルシーヴが教えてくれる。
「ハーピーの皆さんを思い出しますね」
と、アシュレイが微笑む。ああ。それは確かに。
「壁面を生活の場にしているっていうのは……もしかしたら里の様子も似たような構造かもね」
「ほうほう。陸にもそのような暮らしをしている方々がいらっしゃるのですか」
「崖と海溝っていう違いはあるけれどね」
「面白いものですな」
ブロウス達はハーピー達の話に興味を持った印象だ。まあ、ハーピーも深みの魚人族も、飛行したり泳いだり、普段から立体的な移動が可能だから壁面に集落を作れるのだろうとは思う。
「そう言えば……二人とも地上戦に慣れているように思うんだけど」
立体的な移動という話から少し思い出した事があるのでブロウス達に尋ねてみた。
俺が戦った時の印象もそうだし、シリウス号の甲板で訓練していた時もそうだったからな。
「一族の戦士は地上での戦闘訓練もするようにと通達を受けています。海域のこのあたりにある島に一族の者を常駐させ……いつでもフォルガロと連絡を取れるようにすると共に、地上戦の訓練も積んでいるわけですね」
なるほどな……。というかグランティオスの武官達もそうだったが、海中戦は立体機動を必要とする分、空中戦にも通じるところがあるようで。
ブロウスとオルシーヴにも訓練に参加した時に空中戦装備を渡したが、使いこなせるようになるまでが割合早かった印象がある。
「ん。それなら解放された後にフォルガロの将兵相手に後れを取る事もなさそう」
「フォルガロ側からちょっかいを出してきても跳ね除けられそうなのは心強いお話よね」
と、シーラが言うとイルムヒルトも笑顔になっていた。
「そうだね。まだどうなるかは分からないけれど」
「俺達としても、サンダリオ卿と共に戦った祖先の言葉が焼き付いています。一族の仲間には、この話は伝えたいと思っています」
そう、か。瞳の扱いやフォルガロに対する態度に影響がある、かも知れないな。良い方向に話が進んでくれればと思うのだが。
「対抗魔道具の一件も、ありがとうございました。隠密船で出ている仲間達にも配慮して頂いて……感謝しております」
「流石に、拠点を離れている者までは対応が難しいところがあるからね。万全な対策、とは言えないところもあるけど」
というと、ブロウスとオルシーヴは揃って首を横に振る。
「フォルガロの船で外に出ている者達は例外なく戦士達です。機会さえ与えて貰えれば、後は各々の判断で動けるでしょう」
「厚意に感謝こそすれ、それ以上を望むのは不誠実かと存じます」
と、二人は断言してくれた。そう言ってもらえるのは有り難い。
「他に……里に不在の者はいるのかしら?」
クラウディアが尋ねると、ブロウスが答える。
「フォルガロ公国側に、緊急事態対応用の要員が常駐しています」
「となると、やはり公国側にも救援に向かう必要がありそうね」
「まず海溝にいる人達を解放してしまえば、後々動きやすくなるし、心配もなくなるから、そこは不動でしょうけれど」
と、ローズマリーとステファニアもそんな風に言って、マルレーンも同意するように真剣な面持ちでこくこくと頷いた。
そうだな。海溝の集落で暮らす者達、島に常駐する者達を解放すれば、色々その後の手の打ちようもあるし作戦の幅も増えるだろう。
そうして、みんなで重要になる場所の確認であるとか、魚人達との話し合いの結果を色々想定したり、どうやって救援するのがリスクを抑えられるか等々、作戦会議を進めていく。
とは言え、フォルガロ公国そのものについての話は――深みの魚人族が裏方というか表舞台に立たせてもらえる役割ではないため、国内の制度や民の暮らしぶりについてはそこまで詳しくないらしい。バルフォア侯爵も距離を置く側の派閥なので、書物等から分かる通り一遍の事しかわからない、と申し訳なさそうな顔をしていた。
そのあたりに詳しい者は――フォルガロにも近しいから色々情報提供してもらうにはリスクがあるし仕方がないとは言える。
「しかし、潤沢な資金を持つ国ではありますからな。隠密船を開発した技術力もそうですが……魔法研究や人材育成等々には力を入れているのではないかと予想されますな」
「それは確かに」
「油断ならない相手だね」
バルフォア侯爵の言葉に、アルバートとヘルフリート王子も同意する。
特に軍事部門。そのあたりについてはあれだけ野心を剥き出しにする以上は研究を進めているだろう。深みの魚人族と瞳に絡んでの一件が頓挫しても諦めないであるとか、悪事が露見したら寧ろ暴走するといった可能性も含めてしっかり想定しておくべきだろう。