121 春の気配
「イルムヒルトの村、平和な所で良かった」
村の中をそぞろ歩きながら、シーラが言う。
「あまり口に出さなかったけど、両親の事は幻だったんじゃないか、帰っても受け入れてもらえないんじゃって不安だったみたいだから。私だって、両親の記憶はちゃんとあるし」
それは確かに、な。
シーラの言葉に、グレイス達も柔らかい笑みを浮かべている。
「でも最近は、賑やかで楽しいって言ってたよ」
「ん。私も。楽しい」
飛んできたセラフィナと微笑み合うと、シーラは彼女を肩に乗せて小首を傾げる。
「イルムヒルトも、楽しそうな人達と一緒で少し安心したわ」
クラウディアは目を細める。
村人達がイルムヒルトの帰郷を祝い、ささやかながら酒宴を設けてくれるそうだ。
今回の探索は割と大漁だったのでどうせ自分達では食い切れない。なので俺も食材を提供させてもらうことにした。
村人が酒宴の準備を進めてくれるそうで、俺達は手持ち無沙汰になったため、散歩がてらに村の中を見学させてもらっている。
風景は映し出されているだけではなく、日差しは暖かさを感じるし、時間の経過に従って太陽が動いていくのだ。夕日に村が赤く染められている。
元々作物を育てる区画と言っていたが――いやはや。
村の外に小さな規模の林があり、池や畑、果樹園があり、と……区画全体ではなかなか広くバリエーションに富んでいる。
ルナワームも飼っていて、それで機織りなどしている家もあるようだ。必要な程度の衣食住は賄えるという事なのだろう。
木魔法、土魔法、水魔法を習得している者が多いとの事だ。わざわざ悪天候を再現する必要などないから、食料供給は安定しているのではないだろうか。
「テオドール君、準備出来たって」
両親と水入らずの時間を過ごしていたはずのイルムヒルトが俺達を呼びに来た。
戻ってみると、篝火が焚かれて村人達が総出で、村の中でも大きな屋敷の前の広場に集まっていた。
ウニの磯焼きやら焼き魚やらが香ばしい匂いを漂わせている。
海草サラダにキノコのソテー。穀物を蒸して潰して……ナンやピザ生地のようにして焼いたものもある。意外に料理にもバリエーションがあるな。広場にテーブルが並べられ、果実酒も用意されていて、随分と酒宴らしい席になっていた。
クラウディアは広場の中央に行くと、村人達に呼びかける。
「今日は……イルムヒルトが久方ぶりの帰郷をしてくれたわ。彼女の友人も一緒。彼らに歓迎の意を示し今宵の宴席を設けたわ。みんな今日は好きなように飲み食いしていってね」
村人達から拍手が起こる。全員魔物達ではあるが……本当、穏やかなものだ。
イルムヒルトは村人達から、口々にお帰りなさいと声を掛けられて、涙ぐんでいた。
酒宴が始まり、楽器を奏でられる。なるほど。イルムヒルトの故郷、と言われれば納得がいく光景だ。
「というわけで……あなた達も楽しんでいってね」
「ありがとう」
クラウディアに言われて、笑みを浮かべて答える。彼女自身も食事を楽しんでいるようだ。
だが、何だろうな。クラウディアは随分と所作1つ1つが洗練されている気がする。上流階級のそれというか……。謎が多いな。
まあ、いいか。俺も食事を楽しむ事にしよう。
「そういえば……子供の姿が少ないような気がするけど」
宴も大分進んで。ふと気になったので、そんな事をクラウディアに尋ねてみた。
いない訳ではない。今もハーピーやリザードマンの子供が、物陰からこちらの姿を興味深そうに遠巻きに見ていたりするが、それにしても子供が少ないようにも思える。
「段々人口が減っているのよ」
「腕輪の副作用……かな」
「……ええ。分かってはいるのだけれど、難しいわ」
感情を抑えていればそうもなる、か。村人同士の恋愛も控えめになるという事なんだろう。クラウディアは俺が話の内容にしっかり付いてきているのを理解したのか、少々顔を赤らめたものの、小さく咳払いをしてから言った。
「腕輪を外して過ごしてもいい期間を設けたりしているのだけれどね」
村の住人にとっては恋の季節、みたいなものか。
「その時の安全を確保するのも、クラウディアの役目だったりするのかな?」
「ええ。そうね」
なるほど。となると、魔人絡みの緊急時に協力するのはともかく、普段は彼女に頼るべきじゃないな。
この村を大事に思っているのは言葉の端々から分かるし、その理由だって少し考えれば分かる。イルムヒルトが小さな頃から同じ姿をしていて面識があるという事は、彼女も長命なのだろう。
それはつまり……ずっとこの村の住人を見守ってきたという事だ。もし、このまま過疎化が進んでしまったら迷宮で独りきりになってしまう。蔑ろにして良い事では、ないだろう。
「分かった。普段何かの協力を求めたりとかは、極力しないようにするよ」
というと、意外な事を言われたというように顔を上げる。
「それで、いいの?」
「クラウディアにはクラウディアの都合があるだろうし」
「……ありがとう、テオドール」
クラウディアは目を細めて頭を下げてきた。それから……どこか申し訳なさそうに俺を見てくる。
「……腕輪に、面と向かっても魔物を避けられるだけの効力があれば、人数分用意したのだけれど。あまり役に立てなくて、ごめんなさい」
んー。感情が抑制されるというのはな。
普段通りでないと判断ミスが出そうな気もするし……腕輪を貸してもらおうとは思っていなかったが。
「それは構わないけど。素材集めも魔物と戦うのも修行の内みたいな所はあるし。それより、あまり俺に協力して迷宮にとって裏切りみたいに思われたりしない?」
「それは……大丈夫。せめて、魔光水脈の封印の扉まで道案内させてもらえると嬉しいわ」
……ああ。扉の位置は不変、か。それなら目的に沿うから道案内はできる、というところだろう。
そこに行くまでの魔物を薙ぎ倒していくのは元々やっていた事だ。そこに否やがあろうはずもない。
今後もクラウディアとは協力関係を結んでいきたいところだ。
――さて。
クラウディアとは魔人討伐のために協力し、連絡を取り合うという事で話が纏まった。
俺達が村に滞在する以上は結界を張らなければならず、どうせなら腕輪を解放して村のお祭り期間にしてしまおうという事になったのだが……腕輪を外しても魔物達は穏やかで陽気なものであった。イルムヒルトが村の住人だったというのも頷ける。
だが、それでクラウディアは魔光水脈の扉の道案内を終えてから、またしばらく休眠という事になってしまった。
春まで休眠という事だったので、それほど長い期間ではないけれど。起きたら向こうから連絡する、と言っていたがどうするつもりなのだろうか。彼女の分の魔法通信機を用意する、というのが良いのだろうか。
俺の方も迷宮攻略に加えてノーチラスやアーケロンの素材から色々作ったり、暗号解読をしたりとする事は多い。目の前の事を片付けていかなければならない。
大腐廃湖の扉が開くのが春。次いで魔光水脈。最後に炎熱城砦という順番になるようだ。
だが炎熱城砦は難度が高い。もっと仲間を鍛えてきっちり安全マージンを取っていきたいところであるな。
「おはようございます。テオドール様。段々暖かくなってきましたね」
――朝。寝室から降りてくるとアシュレイがそんな風に挨拶してきた。
「おはよう、アシュレイ」
小さく欠伸をするとアシュレイが微笑む。んー。寒さも緩んできて暖かくなってくると、眠りが深くなっていけない。暗号解読で夜が遅いからな。
「ん? それは何?」
アシュレイのその手に、鉢植えがある。何かの植物の芽が出ていた。
「これですか? イビルウィードです」
イビルウィード……雑草の魔物だ。よく見ると小さいながらも口が付いている。
「庭の手入れをしていたのですが……小さい時から育てたら人に馴れないかなとシーラさんが仰いまして。窓の外に置いて防犯に使ったりできたら面白いかな、と」
それで鉢植えか。
……うん。ちょっと面白い試みではあるな。あからさまに窓の外に置いてあれば、空き巣も二の足を踏むだろう。
防犯カメラを設置していると宣言しておくのと一緒だ。入りにくい家、というのが泥棒に伝わればそれで良いわけだし。
「面白いね。イビルウィードは処理に困る類だったし」
使い道ができるのならそれはそれで。
そういう事なら何本か用意して、人に馴れやすい個体を選別して掛け合わせていくと良いんじゃないかな。品種改良というほど大袈裟な事を言うつもりは無いが。
そんな考えをアシュレイに伝えると、真剣な面持ちで頷いていた。
「テオ。お客様が見えています。その、テオに内々にお話がと」
食卓に俺の朝食を並べていたグレイスが、居間に顔を出して声をかけてくる。
「ん。分かった。すぐに行くと伝えておいて」
「分かりました」
来客、か。まあ、日中は不在の事が多いからな。
俺の朝が遅かった事もあり、ぎりぎり非常識ではない、ぐらいの時間帯ではあるか。
俺に話があるなら朝か、或いは工房から帰ってきたところなどを捕まえるしかないわけで。それなら朝の方が確実ではあるだろう。
身嗜みを手早く整えてから、玄関先に顔を出すと……知らない男がそこにいた。
「朝早くに申し訳ありません。テオドール=ガートナー様でいらっしゃいますか?」
「ええ。テオドールは僕ですが」
と答えると、男は頭を下げて、言う。
「お初にお目にかかります。私、ブロデリック侯爵家の使いの者です」
……んん。ブロデリック? キャスリンの実家の? そういえばすっかり頭から抜け落ちていたが……何だってあの侯爵の使いが俺の所に来るのやら。




