番外501 竜と落日
「――行け」
頃合いを見て甲板に出て、上空にバロールを打ち上げる。
迷彩フィールドを纏ったバロールが一気に高空へと跳び上がっていく。
バロールからの視点と、バルフォア侯爵の海図をウィズの光のフレームで重ね合わせれば――すぐにそれは見つかった。
バルフォア侯爵の所有していた海図は正確な島の形までは省略されていたものの、島の位置自体は正しいものだと確認できる。
幾重かに連なる切り込みの深い海岸線が……獅子の爪を思わせる岩場の地形。竜の鼻先も――見える位置にあるだろう。周辺の島々もざっと見回してみたが、他にそれらしい島もなく、取り立てて特筆するような異常も見当たらない。風がないからか、バロールのいる空も、俺達のいる海も、本当に穏やかで静かなものだった。
「どうかしら?」
「うん。それらしい島は見つかったよ。海図とも一致するから、間違いないと思う」
ローズマリーの言葉に答えつつ、上空のバロールには戻って来て貰う。急降下してきたバロールが緩やかな速度になって、翼を小さく動かしながら俺の肩に乗る。
「ありがとう、バロール」
そう言うと、返事をするように目蓋を一回閉じるバロールである。
「それじゃ、確認できたから海図通りに進んでいこうか」
一緒に甲板に出てきていたアルファにそう言うと一度頷いて、シリウス号の船首が少しだけ角度を変える。海面に背中を出したシリウス号は、ゆっくりとした速度で凪の海を進んでいくのであった。
「ここが獅子の爪――」
岩場に立ったアシュレイが、興味深そうに周囲を見回す。みんなも、本命の島が気になるのか東寄りの方角に目をやっている。
できるだけ海岸線に近いところにシリウス号を止めて水上歩行の魔法とレビテーションを用いて皆で島に上陸した。
最初に闇魔法のフィールドを展開して獅子の爪付近の上空を覆わせてもらおう。
魔法を調整し、光の波長で有害となりやすい青色光や紫外線、熱等々を遮断していくと、南国の強い日差しが、かなり柔らかなものに変わった。
ウィズがフィールド内に入ってくる太陽光を分析し、肉眼で見ても問題ない、と太鼓判を押してくれる。ウロボロスとバロールにも魔力を送り、術式の維持を手伝ってもらう。
「よし……。これなら大丈夫そうだ。太陽を見る時は術式の範囲内でね。大体――獅子の爪の先から、この……一番大きな肉球のあたりまで、って考えてくれればいいかな」
ネメアにキマイラコートから半身を出してもらい、爪と肉球を皆に見せる。
「肉球……。何となく分かりました」
「うんっ!」
「わかった……」
と、シオン達の返答も帰ってくる。シグリッタはネメアの肉球に触れていたりするが。それを見たカルセドネとシトリアも、ネメアの肉球に触れに来たりして「良い感触」「柔らかい」と素直な反応を口にする。ロヴィーサやエレナがその光景にくすくすと笑っていた。
「ん。流石に……前に上陸した痕跡は残ってない。目印っぽいものも、特にない」
シーラが周辺を見ながらそんな風に結論を出す。
暫くこの場で待機することになるので、木魔法で広々とした台座を組んで、その上で寛げるようにする。ごつごつとした岩場の上では椅子も安定しないし、敷布でも居心地が悪いだろうというわけだ。かといって土魔法で岩場を平らにしてしまうのも、長居するわけではないからどうかと思う。あまりここに来た痕跡は残さない方が良いだろう。
グレイスが台座の上に敷布をかけたり、ローズマリーが魔法の鞄から茶器を用意したりして、寛げるように準備を整えていく。
「夕暮れまでもう暫くかかるから、ここでのんびりしていようか」
「良いね。景色も綺麗だし」
アルバートが笑みを浮かべる。泳いだり釣りをしたりというのは流石に気を抜きすぎなので、みんなも自重しているようだが。
そうして茶を飲んだり、軽く焼き菓子を摘まんだりして小腹を満たし、これからの探索作業で存分に動けるように備える。
静かな波の音と、遠くを飛ぶ海鳥の声。透明度の高い海を泳ぐ魚の姿。煌めく洋上に浮かぶような島々。
そうして風景を楽しみ、雑談をしている内に時間は過ぎていき、段々と陽が傾いてくる。
日が傾くにつれて段々と空の色が変わっていく。遠くの空から手前に向かってオレンジと紫、青とに空の色が混じり合い、何とも言えない美しいグラデーションを作り出す。海面に夕日が長く伸びるように反射し、こちらに向かって真っ直ぐにオレンジ色の一本道のような光が伸びて――。
「――綺麗ね、今日の夕日は」
「こういう状況だから……特別綺麗に感じてしまうものなのでしょうか」
クラウディアがそんな空を見て微笑みを浮かべると、グレイスもそんな風に言った。マルレーンも遠くに目を奪われたままこくんと頷いて。ヘルフリート王子やネレイド達も感慨深そうに夕日を眺めていた。
そうだな……。綺麗な夕焼けだと思う。
やがて夕日が竜の鼻先に向かって沈んでいく。黒い竜が夕日をくわえて飲み込んでいるかのような、不思議な光景。
「――頃合い、かな。どの位置から見たか分からないから、少し分散しようか」
「分かりました」
マルティネス家の家人が当時、獅子の爪のどのあたりに立って見たかは今一つわからない。なのでみんなで広めに分散して夕日に背を向ける。
振り返ればみんなの影が長く伸びていて。その先――。その先にサンダリオとマルティネス家の人達がサロモンの物品を隠した島がある、はずだ。
影に向かって真っすぐになるような角度で立つ。視線をそのまま上げて行けば――幾つかの島々を避けて、丁度一つの島に突き当たった。
広めの間隔で立ったみんなの影から見てもそれは同じのようだ。海原の島と島の間をすり抜けるようにしてたった一つの島を指し示しているのがわかる。
「あの島――で合っているのかしら?」
ステファニアが自問するように言った。
「多分、ね。もし空振りだったら、他の島と影が直線状になる場合を改めて計算してみよう」
今の状況をウィズに記憶してもらい、ちょっとした時期、時間の違い等も含めて計算できるようにしておく。そうして茶器やら台座やらを片付けて、忘れ物がないかを確認し、甲板に戻ってきた人員が揃っているか点呼する。
そうしている内に、夕日は竜の鼻先に最後の煌めきだけを残して沈んでいった。
「暗くなるから、もし上空から見て原生林が深くて危険そうなら、調査は明るくなるまで待っても良いかな。結界術を使っているなら魔力探知だけでも見つけられるかも知れないから、まず一人で上空を飛んで見てみるよ」
「気をつけてね、テオドール君」
「ああ」
イルムヒルトの言葉に頷く。
俺の言葉にみんなが揃って頷いた。シリウス号がゆっくりと回頭して、件の島に向かってゆっくりと進んでいく。
改めて島を見てみれば……比較的大きな島だった。白い砂浜に、椰子の木。その奥は原生林になっていて、虱潰しに探索となると少し大変そうだ。
一方でマルティネス家の家人の立場になって考えれば、物を隠して手がかりを残す条件としては悪くないように思う。
目印にしやすいよう、影が伸びる位置も多少アバウトで大丈夫な場所を選んだのかも、と考えれば納得がいく。
島が小さすぎれば波を被ってしまうし、地形が崩れないとも限らない。ある程度長期に渡って物品を隠しておく事を想定するなら、ある程度の大きさを持つ、しっかりとした島でなければならないだろう。
サンダリオ=マルティネスが海賊サロモンから奪った物品か。さて――。何が出てくるやら。