番外498 未来への願い
「どうやら――肖像画の裏に何かメッセージが残されているようです。恐らくは、錬金術を使って、魔法の塗料と言えば良いのか、魔力を宿した薬剤で文字を描いたようですね」
「なんと……!」
「裏面を見たわけではありませんから断言できませんが、塗料と言っても不可視なのではないかと」
「そうでなければ簡単に見つかってしまうでしょうからな……」
バルフォア侯爵が顎に手をやって肖像画を見上げる。
「一旦額縁から外して、確認をさせていただきたく思うのですが、如何でしょうか。取扱いに関しては細心の注意を払います」
「それは問題ありませんぞ」
「ありがとうございます。ですがその前に……こちらの手記の内容について説明しておいた方が良いかも知れませんね」
サンダリオの妹の手記。これは、述懐を装ってはいるが後世への手がかりとして書いたものに間違いない、と思う。何かしらの物品を隠蔽しつつも、後々になってその事で問題が起こらないようにという。
そうした俺の見解を交えてから、冒頭から読み上げていく。
「――想いを忘れないように」
そうして話を終えたところで、グレイスが目を閉じて胸のあたりに手を当てる。
「きっと……本当に仲の良いご家族だったのでしょうね」
「うん。このお父さんの表情、私達も一番好きだわ」
グレイスの言葉にドルシアの娘の一人が頷いて答えると、みんなも静かに肖像画を見上げた。
「サンダリオ卿の事をしっかりと見ていなければ、こうした優しげな面影の肖像画も描けないものね」
ステファニアの言葉にみんなも思うところがあるのか、暫くの間肖像画を見上げて……それから俺も言葉を続ける。
「多分、この親友っていうのが、人目を避けて帰ってきた本人だったと思うんだ。日常の事も、親友がやってきてからは時間も経って段々と落ち着いていったと、そんな風に書かれているから」
本人が帰ってきたのなら落ち着いていくのも当然というか。俺の推測に、マルレーンが嬉しそうな表情で微笑みを見せる。
「肖像画に描けるぐらいに記憶が鮮明な内にとなれば……確かに親友が尋ねてくる時期としても、そこで話した内容も……少し違和感があるものね」
「仲の良い家族なら、そうした内容だって、知っていてもおかしくはないわね」
ローズマリーとクラウディアも俺の話に納得したように頷いていた。
「この手記自体が……後世の人達の為に書かれた、ということですか」
「すごい……人達ですね」
アシュレイが少し遠くを見るように言うと、エレナも思うところがあるのか目を閉じていた。
「ん。再会できたのは良かった」
「それに目的があって家族一緒に戦っているんだものね。それまでとは、全然違うわ」
シーラとイルムヒルトが言う。一緒に戦っている、か。
そう、そうだな。母さんだってそうだった。それを知る事ができたというのは嬉しい事だと、俺もそう思う。
さて……少し落ち着いたところで肖像画を壁と額縁から取り外して調べて行くわけだが――絵画のような美術品の取り扱いに関しては、知識がある人物に聞いた方が良いだろうということで、ミリアムに中継して事情を説明し、アドバイスを受けることにした。
『油彩……ですね。端の方に文字が書かれていると仰いましたが……もし仮に裏張りの木枠の内側に文字がかかっていたり、厚紙や板に貼り付けられたりの方式だとしたら……裏張りから外すのは危険です。画布に既に絵が描かれている場合、表面の絵に亀裂が入ったりする恐れがあり、細心の注意が必要になるからです。専門家がいない状況では……いや、いたとしてもできる限り避ける方が良いかと思います』
なるほど。油彩は木枠にキャンバスを張るようにして、その上に絵を描くのが一般的だが、下地に貼りつける方式もあるからな。
文字の書かれている範囲がどういう状態であれ画布――キャンバスを枠から外したり剥がしたりするのは厳禁、というわけだ。
「その場合は――魔力の波長を探っていく方法で文字を読み取るのが無難かな。板や木枠の上から魔力を通す形なら――絵の表面にも触れないし、魔力も表の絵にまでは透さないよう加減すれば不測の影響を与えないようにできる。木枠に張っている方式なら、片眼鏡だけでも読み取れるとは思うけど」
『それなら大丈夫そうですね』
と、ミリアムがモニターの向こうでにっこり笑う。ドルシアの娘達もそれらのやり取りを聞いて安心したように顔を見合わせて笑みを見せていた。
「どうか、よろしくお願いします。あの御仁の想いを私達にも聞かせて下さい」
モルガンが一礼する。
「わかりました」
モルガンに頷き、ミリアムの指示を受けながら慎重に額縁を外し、肖像画をイーゼルに立て掛ける。
どうやら、木枠に張る方式で描かれたようで……読み取りに問題は無さそうだ。その事を伝えるとみんなも安心したような表情になっていた。
イーゼルの裏側に胡坐をかくように座り込んで、片眼鏡に意識を集中すると……ああ、見えてきた。
「この文章を目にしている御仁にお願いがあります。私達はマルティネス家の者です――」
そんな文章から始まる、後世への伝言だった。
この肖像画に描かれた人物が、ある物品を悪人から奪還して帰って来た事。政情を見るに世に出すには危険な事。海賊達の監視の目がある事等が……簡潔ながらではあるが、しっかりと書かれている。
海賊サロモンから何かしらの物品を奪還した事。物品を世に出せない理由。サンダリオが生きて帰って家族の協力を得たこと……。諸々、これで裏付けが取れた。
「もし、この文章を見た時にグロウフォニカ王国や西の海が平和な世になっているか、或いは必要に駆られて私達の伝言を探り当てたのなら――あれを適切に処理して平穏を守って欲しいのです。あれは夏の終わりの事。獅子の爪の先に立ち。そして竜の鼻先に沈んでいく夕日を背中に受けて――そこから真っ直ぐ進んだところにある島に眠らせました。私達の願いを汲んで頂けたら嬉しく思います」
文章は――そんな風に結ばれていた。少しの間、余韻を感じるかのような静寂があった。
「これまでの推測が……正しかったのが分かったね」
「うん……。後はちゃんと、マルティネス家の人達の気持ちに応えないと」
と、ヘルフリート王子がぽつりと言うと、カティアも頷く。
「気になる言葉もあったね」
アルバートが思案するような様子を見せながら言う。
「……獅子の爪と竜の鼻先。ご存知ですか?」
そう尋ねると、バルフォア侯爵もネレイド達も首を横に振る。
『確か――ガルニカ伯爵領のどこかに、そういう形に見える島がある、と聞いたことがあります』
ミリアムが言った。なるほどな。俗称というか、船乗りなどの間での通称というわけだ。獅子の爪や竜の鼻先という名称からして、それなりに特徴的な地形なのだろう。漁師か船乗り……或いは冒険者。この辺に聞き込みをすれば何とかなるかな。
「獅子の爪の先に立って――夕日が竜の鼻先に沈むのを背中に眺める。見る場所、季節、時間帯――それから進むべき方位もこれで特定できるわね」
ステファニアが顎に手を当てて言った。そうだな。竜の鼻先から見て東側の島になるのだろうが、そこからぴったり東に方位を合わせて進めばいいというわけではないようだし。
「そうなるかな。それに……夏の終わりか。季節も丁度いいな」
日の出日の入りは季節に合わせて時刻も見た目の位置も変わって見えるが、季節が合っているなら鼻先に夕日が沈む時刻と座標の修正をしなくても済む。海図を参考にすれば観測地点も特定できそうだし……何とかなりそうだ。