番外497 若き騎士の想い
「ああ。お時間を取って頂き、ありがとうございました。もう大丈夫です」
「では――調べ物を始めましょうか」
ネレイド達が微笑んで言ってきたところで、肖像画の間の隣にある書庫――というよりは保管庫と言うべきか――に場所を移す事になった。
保管庫も結構広々としているが、一般公開していないという言葉通り、見せる事を意識していないからか、隣室の展示場に比べて飾り気はない。
物品も蔵書だけでなく、様々な資料、手記、装飾品、家具等々多岐に渡り、内訳だけを見て行けば古い蔵を開けて中の物品を見た感じに近いかも知れない。
但し保存状態を保つための魔道具は、しっかりとこちらに保管されている物品に対しても用いられているようだし、きちんと分類ごとに分けられていて目録もある。バルフォア侯爵家がしっかり管理していてくれたので、目当ての物を探すのならばそれほど苦労はあるまい。
「これは中々……色々なものが置いてありますね」
保管庫をざっと見まわしてグレイスが言う。
「騎士家の古い蔵書や手記に家財道具だし……結構な分量にもなるかな。流石に全部の物品を調べていくとなると大変だから、ある程度優先順位の高くなりそうな物から見て行く事にしよう」
「どんな物を調べれば良いでしょうか?」
アシュレイが首を傾げる。
「んー。考え付いたところでは、当時の家人の日記や手記、家系図、それから魔法関係……かな?」
「なるほど。家人がもしサンダリオ卿が本当は生きていたと知っていたのなら、日記の記述にも変化が見て取れそうだものね」
ステファニアが感心したように頷く。そういう狙いもある。それらから手がかりを得られれば御の字、というところだろうか。
「家系図と魔法関係の資料は不可分ね。マルティネス家に婿入りや嫁入りした家人、家系についても何か資料が残っていればいいのだけれど」
クラウディアが思案しながら言うと、バルフォア侯爵が静かに頷いて応じる。
「王都の図書館程ではありませんが、そうした貴族家の資料も侯爵家の蔵書にはあります。別の書庫から役立ちそうな本を見繕ってきましょう」
「ありがとうございます」
「なんの」
礼を言うとバルフォア侯爵が柔和な笑みを返し、目録を俺に渡すと一旦退出していった。
「ん。それじゃ、それらの資料を見繕ったら、隣の部屋で手分けして読んでいく、と」
「そうなるね。まあ――順を追って進めていこうか」
というわけで、バルフォア侯爵から受け取った目録を参考に作業を進めていくとしよう。
まず年代を見ながら蔵書ではなく手記の類を見て行く。
目録では種類を明記した上で、年代等々が分かるものは分類し、書棚や陳列棚に番号を振ったりと……誰がこの目録を作ったのかは分からないが、中々細やかな仕事をしてくれている様子だ。これなら必要な資料を割り出して隣の部屋で読み込んでいくまではそう時間もかからないだろう。
年代が特定されている分、関係がありそうな日記、手記の類はすぐに見つかった。マルレーンが目当てのものを発見してにこにこしながら書棚から取り出し、頭上に掲げる。
家系図も普通に見つかり……魔法関係の書物もあったが、こちらは基礎的な教本ばかりだ。目を付けている錬金術に関しても基礎教本が見つかったが……さて。
「魔法の研究資料は暗号や符丁を使うのが基本だから、そうした資料は一見ではわからないように偽装されているかも知れない。見つけたとしても暗号を解くのも時間がかかるし、一旦今までで見繕った資料を調べていこうか」
そう言うとみんなも頷いた。バルフォア侯爵も別の書庫から本を持ってきてくれたので、場所を向かいの大部屋に移して、みんなで腰を落ち着けて見繕った資料を読み込んでいく。
俺達と共にネレイドも並んで真剣な表情での調べ物だ。分からない事を時折質問してバルフォア侯爵やヘルフリート王子がそれに答えたり、適度に休憩をはさんで隣の部屋でお茶と菓子を食べたりしながら時間が進んでいく。
暫くの間各々真剣な表情で資料を読み込んでいたが――。家系図と貴族に関する資料を突き合わせていたローズマリーが口を開いた。
「気になる事が」
というと、ローズマリーにみんなの視線が集まる。
「サンダリオ卿の母方の家系は――元々伯爵領都市部の結界維持を担う術者の家系だったようね。その家系はマルティネス家とは別に続いていったようだけれど……母親本人かサンダリオ卿の妹、弟が結界術に通じている可能性があるわ」
結界術の使い手。その家系。都市部の結界を任される術者となれば魔術師として信用のおける名門でもある。マルティネス家の家人と婚約する事に不思議はない。
「物品の隠蔽をするために結界術や錬金術を活用した可能性か」
「何て言うか……普通に探して見つけるのは大変そうね」
イルムヒルトが言う。確かに、真っ当な探索だと結構骨が折れそうだが。さて。
サンダリオの妹が残したと思われる資料の類は――テーブルの上、俺の近くにあった。それなら……そちらを重視して見て行くか。
そうして手紙や何やら色々と纏められた資料の束の中に、それを見つけた。
『兄の行方が分からなくなって、どれぐらいになるだろうか。私は――世間で言われるように、兄が亡くなったとは思わない。だって、強くて優しい人だったから。どこかで生きていると信じている。寂しい、悲しいという気持ちはあるが……何時までも後ろばかりを見ているわけにもいかない。心の整理をつけるためにもあの頃の出来事を文章にして振り返ってみようと思う』
そんな文章から始まる手記だった。そのものずばり、当時の事を書き残したもので――。彼女は――日記をつける習慣はなかったらしいが、手記として当時の事を書き残しているようだ。
ある日――騎士団でサンダリオと仲の良かった者達が家を訪問してきて、海賊から皆を逃がすために囮を務めた兄だけが戻ってこなかった、という報告を受けた旨が記されていた。
サンダリオの父も母も、自分や弟のように表面上は取り乱す事はなく、騎士としての務めを果たしたことを誇りに思うと、連絡にきた騎士達に、そう答えたそうだ。
けれど……サンダリオの妹は書斎で2人、泣いている母に寄り添う、哀しげな表情の父を見た、と記している。
その後も騎士団の者達が頭を下げに来たり見回りに来てくれたり、気にかけてくれているようだとか……弟は不安を叩きつけるように訓練ばかりしているだとか。
サンダリオが行方不明になってからの日常の様子を思い出しながらの出来事が記されていて。悲しみと不安に包まれていたそんなある日、兄の親友が尋ねてきた――とある。
『彼は――兄がどんな思いで騎士になったか。騎士としてどうありたいと考えていたかを話してくれた。私達の知らなかった兄の想いを、私達家族に語って聞かせてくれた。兄は――これから先の平穏が長く続く事を祈っていると。その考えはきっと、兄らしいのだと。そう思う。父も母も、私も弟も。そんな兄の事を誇りに思う』
サンダリオ自身は騎士や兵士達から英雄視され、称える声が大きくなっていたそうだ。語り継ごうとする世間とは裏腹に。マルティネス家は静かで落ち着きを取り戻していた。
そんな中で肖像画を描いて、サンダリオの在りし日の姿を残そうという話が家族の中で持ち上がったらしい。
『母は絵がとても得意で、父と弟は兄と容姿が似ている。だから……だから私達の記憶に残っている内に。まだ記憶からあの微笑みが薄れない内に。母と共に特別な思いを込めて顔料から作り、家族みんなで肖像画を描こうと思う。後世の人達が兄の想いを――』
「兄の想いを、忘れないように――」
気が付けば少し音を立てて椅子から立ち上がっていた。みんなの視線がこちらに集まる。
「テオ?」
グレイスが首を傾げる。
「ああ。少し――気になったことがあって。ちょっと展示室を見てくる」
「ご一緒しても良いでしょうか?」
「うん。取り越し苦労や考えすぎだったら空振りで、ちょっと気恥ずかしいけど」
そんな風に笑って答えながら、みんなで展示室へ向かう。
――肖像画。肖像画は行方不明になった後に描かれたものだった。直接のモデルになったのはサンダリオの父と弟。それをサンダリオ本人そっくりになるように、記憶を辿って仕草や雰囲気を絵に乗せたわけだ。
サンダリオの親友なる人物。伝えられたその想い。顔料。肖像画。
妹の手記が後から述懐されたものであるなら。親友がもし――サンダリオ本人であったなら。
仮に追われているという事情を知っていれば、ありのままは手記には書けない。
それでも後世に伝えておきたいことがあるなら、本人ではなく、親友の言葉だと脚色する。それなら――まだ不安も落ち着かないであろう時期に家族を訪問した「親友」の行動にも説明がつく。
展示室に入って真っ直ぐ肖像画に向かう。大きな肖像画の隅々に目を凝らす。劣化防止の魔道具によって発生する魔力と、そうでないものを選別して片眼鏡から分断。
すると――ああ。見えた。本当に、本当に微弱な魔力の反応で。端の方に薄らと鏡写しの文字が見える。恐らくは肖像画の裏に、錬金術で作った塗料で文字を残したのだ。




