116 マルレーンと言の葉
ロイは倒れたまま起き上がってこない。胸が上下しているし、時々ぴくぴくと痙攣しているから死んではいないようだが。
メルヴィン王以下、王族達が中庭に出てくる。ロイに止めを刺さなかった理由は、まあ意識を失ったというのもあるが――彼らの手前というのもあるし、俺の目的も達したからというのもある。
ミレーネ妃。ジョサイア王子にステファニア姫。
命を狙われたとはいえ、肉親。ロイが何を思ってきたのだとしても、それはロイ側だけの話で。彼らがロイをどう思っていたかはまた別の話だ。
「ロイ……馬鹿な事を」
ミレーネ王妃が目を閉じて首を横に振る。
「跡目争い、か……」
「そういうのは、私達にはない、と思っていたのにね」
ジョサイア王子の言葉に、ステファニア姫が夜空を仰いで嘆息した。
メルヴィン王が、口を開く。
「ロイの事は――余が王として負うべき責だ。罪に見合うだけの咎を受けさせる事を、余の名においてはっきりとさせておく。良いな?」
……見合うだけの咎。それはつまり、極刑以外は有り得ないという事でもあるだろう。実際の形は病死や事故死になる可能性はあるかも知れないが。
その場に居並ぶ王族達は頷く。彼らの心中は複雑だろうが――ロイが彼らにした行いを簡潔に表現をするならば「信頼を裏切って殺そうとした」という事になるのだろう。
それは彼らにも分かっていて。けれどすぐに感情が追い付いてくるものでもない。気持ちを整理する時間が必要なのだと思うが、それでも王族としては受け入れる、わけか。
「アルバートとマルレーンは、それでよいか?」
俺の隣までやってきて、ロイを見ていたアルバートが弾かれたように顔を上げる。そう。アルバートにとってはもっとシンプル。ロイなど、単なる仇だ。
だからもしも。アルバートがロイに止めを刺そうと動いたとしても。俺はそれを止めたりなどしない。
「僕は――」
アルバートが何かを言いかけた、その時だ。砕けた人魚の嘆きの呪具から、燐光が立ち昇り、何かに導かれるように俺達の間を抜ける。そして俺達のすぐ後ろに来ていたマルレーンの身体へと吸い込まれた。
「……っ」
小さく。本当に小さく。マルレーンが自分の喉の辺りに触れて、声にならない声を漏らした。……呪具が破壊されて、マルレーンの声が戻ったか。
「マル……レーン」
アルバートが目を見開く。
驚いているのは、マルレーンも一緒だった。
マルレーンは――言葉を発するか否か、しばらく迷っていた様子だった。
だけれど……真剣な面持ちで顔を上げると俺とアルバートの顔を真っ直ぐに見てくる。
そして――口を開いた。
思い出すかのようにたどたどしく。けれど、聞き取れるように丁寧にゆっくりと。小さな桜色の唇で、言葉を紡ぐ。
「ありがとう兄様。ずっといままで、守ってくれて。ありがとう、テオドールさま。犯人をつかまえて、くれて」
そう言って、小さく、少しだけ困ったような笑みを浮かべる。
言葉を、話したくないと言ったマルレーンが……どうしてもアルバートや俺に、その口から伝えたかった、か。
「は、はは――」
アルバートは自分の顔を、手で押さえて笑う。泣いているのか、喜んでいるのか。
「……アルバートよ。ロイはそなた達から大切なものを奪った。その事は、余も忘れてはおらぬぞ」
「……はい。後の事は――父上に、お任せします」
……そう、か。そうだな。
復讐を肯定するのと同じように。アルバートのその選択も、俺は肯定するさ。
キャストイーターはその機能の大半を破壊されていたが、刀身が魔力を吸い上げる性質はまだ生きていたようだったので、ロイの拘束に利用させてもらった。
縛り上げたうえで、首だけ出せる形の石棺のようなものに土魔法で閉じ込め、更に石棺の中にキャストイーターの刀身を埋め込んでおく事で、ロイの魔力を延々と枯渇させるという寸法だ。
それにより、帰り道に意識を取り戻したロイが暴れるなどという面倒な事態にもならず、帰りの船旅も順調であった。
島に現れた刺客連中は全員拘束して回収済。応急処置だけして石棺に詰め込んで搬出という具合だ。というか、そこまで拘束しなくてもどっちにしても逃走不能な気もするが。
連中についてはいずれ取り調べが本格的に始まるだろう。
メルヴィン王は……暫く多忙だろうな。ロイがやらかした事の追跡調査のほか、抜けた穴を埋めるために色々人事を動かして南方の後釜を考えたり、それに伴う混乱が大きなものにならないよう調整したり。
まあ……そちらはメルヴィン王の仕事である。魔人絡みの事も最大限バックアップを図るという事で……特に俺の行動が阻害されないよう環境整備するそうだ。
俺は船室で特に何をするでもなく物思いに耽っていた。もう変装をしている必要もないので指輪は外している。
隣にはマルレーン。アルバートは少し1人になりたいと甲板に出ていった。
マルレーンはあれから言葉を話していない。機嫌が悪いとか、気分を害しているという事はない。内心では少々ナーバスになっているのかも知れないが、少なくとも表面上はもういつも通りだ。視線が合うと、柔らかく微笑みを向けてくる。
彼女の沈黙は……元々誓いみたいなものだからな。あの言葉だけは、どうしても伝えたかったから、そうしたというところなんだろう。
マルレーンはティーポットを持って小首を傾げてくる。
「ん。じゃあ、よろしく」
と言うと、マルレーンは嬉しそうにカップにお茶を注いでくれた。
その時、室内にノックの音が響く。
「開いていますよ」
「――少し、話をしてもいいかな?」
扉が開く。そこにはジョサイア王子とステファニア姫がいた。
2人を迎えて、茶を飲みながらの話になった。
「今回は――随分と迷惑をかけてしまったな」
「いいえ。それより、割合際どくなってしまったところがあります。そこは申し訳なく思っています」
「ん……謝るのもお礼を言うのも、私の方じゃないかしら」
ステファニア姫は苦笑した。
「ロイの奴の事は、もう少し分かっているつもりだったんだけれどな」
「そう、ね。何か私達が至らなかったからかもとか、色々考えてしまうわ」
「それはまあ……考え方の相違ではないでしょうか。あまり気に病まない方が良いと思いますよ」
バイロンのような奴を知っている身としては慮るだけ無駄というのがあるというのを知っている。少なくとも2人からは良好な関係を築こうとしていたようだし。
そもそもロイが何を思い、何を2人に言ったとしても……マルレーンの事は斟酌する余地さえない。
王位を奪うために。自分が国の方針を自由にしたいがためにと。そういう理由から行動に移したわけだし。方針としてそれが必要な事なら、堂々と主張して説得すれば良かったのだ。
そんな相手を理解しようと努めて、自分に理由を求めるなんて不毛だし心の毒だろう。
というか、南方の軍事介入もな。そんなに良い手とは思えないんだけど。デュオベリス教団への復讐を口実にわざわざ関わっていったとして。戦争に勝って利益を得ても、その分火種を抱え込む事になるのだし。
だからロイの話は不毛だ。話題を変えよう。
2人が興味のありそうな――となると実用的な話だろうと思うので、今後の参考にできるような話を振っていく事にする。
「それよりお2人とも。春になって領地に帰ってからもお気をつけて。今回のデュオベリス教団は狂言でしたが、あれがただの偽装だけでないとすると、南方がごたつくので教団の人間がヴェルドガル王国国内に入ってきやすくなりますからね」
今度は本物の教団が国内で何かしらの動きを見せるというのは充分有り得る話ではあるのだ。
「教団、か。私はよく知らないのだけれど」
「紋章はもう見ましたよね。あれと同じ刺青を身体のどこかにしている連中です。袖のひらひらした着物を着ている相手が近付いてきたら、注意をした方が良いですね」
「袖?」
「そうです。こう……手首の所に飛び出し式の刃を仕込める、特殊な暗殺用の武器を教団は持っていますので。何でも、専門に暗殺者を育成したりするそうですからね」
2人にリストブレードについての説明をしておく。
この辺の防犯を徹底するなら、公の場での服飾関係に規定を設けるなどが良いのかも知れない。
「それは――怖いわね」
「だが参考になる。君は博学だな。もっと聞かせてくれないか」
2人は感心したように――いや、マルレーンも一緒に神妙な面持ちで頷いている。
うーん。マルレーンも大分感化されてきた気がするな……。やや責任を感じるところだが。
「他には、ハルパーやショーテルみたいな特殊な武器の木刀を作って、兵士達にそれを使う相手との戦闘訓練をさせたりというのも有効かと」
「ショーテルというのは……?」
「ええと」
ステファニア姫はショーテルを知らないらしい。
大きく湾曲した刃で盾を無視して攻撃したりできるというものだ。これを相手にするのなら、まあ、通常と違う盾の扱い方をするなど慣れが必要である。特性を認知してそれに想定した訓練をしておけば役に立つこともあるだろう。