番外462 海の都へ向かって
シリウス号は南西の方向――ドリスコル公爵領に向けて海を進む。
水晶板の向こうに広がる青い海原は陽光を受けて煌めきを放っている。タームウィルズ西方の海は――何とも綺麗だ。
この辺の海は初めてだからか、ティールが水晶板を覗き込んで、時折魚群を見つけたりして、楽しそうに声を上げながら首をくいくいと動かしていた。カルセドネとシトリアも並んで魚を見て笑顔になっている。そんなカルセドネ達の様子をエレナやシオン達も近くで見守っているという印象だ。
造船所に見送りに来たスティーヴン達には「お二人の事はお任せください」と、そんな風に言ってユーフェミア達と握手を交わしていたエレナである。カルセドネとシトリアはシオン達とも仲が良いので、この辺安心して見ていられるな。
シオン達も水晶板モニターを監視がてらに風景を楽しんでいるようで。シグリッタなどはコルリスの背中にしがみついてそこからモニターを眺めて……表情はいつも通りだが割とご満悦と言った雰囲気だ。
イルムヒルトとクラウディアがキーボードの練習を兼ねて演奏をしたりして、それを聴いているセラフィナとアピラシアが並んで座ってリズムを取っていたりと、和やかな雰囲気のまま船は進んでいく。
「お茶のお代わりは如何ですか?」
と、グレイスが尋ねてくる。
「ああ、ありがとう」
操船席側のサイドボードに置かれたティーカップにお茶を淹れてもらう。アシュレイやマルレーンが焼いてくれた焼き菓子をかじりながら、現在位置を確認する。
シリウス号は、やや通常の航路から外れた位置をそこそこの速度で航行中だ。ティエーラの力を借りた星球儀があればシリウス号の位置を見失う事もない。航行は順調だ。
「そう言えば、ヘルフリート兄上は、タームウィルズに戻る前にグランティオス王国にも立ち寄っていたんですよね。そこでも何か情報収集を?」
「そうだね。ネレイドに関する事も聞けたらって思っていたけれど――ええと。海底で生活するのはどんなものかって参考にしたかったっていうのもある。まあ、ネレイド達は別のところで暮らしているし、彼女達の調べ物もグランティオスに関わる事ではないみたいだから、それほど深い情報収集をしたわけではないんだけれど」
アルバートの質問にヘルフリート王子は少し気恥ずかしそうに笑って答える。
世間話風の体での情報収集ではあったらしいがネレイド達の評判が良いということや、海中に人間が移住してきた場合の過去のケースの話などを聞けて、ヘルフリート王子としては実入りのある訪問であったらしい。
「海の都の今に関しては――これから行くわけだし、僕から説明するのは野暮だね」
「ふっふ。あれから復興も進んでおるからな」
ヘルフリート王子がそう付け加えると、エルドレーネ女王がにやりと笑い、ドリスコル公爵も楽しそうな様子で頷いていた。
「そうですな。私は所要で海の都に出かけたことがあるのですが、家族の皆もいずれ復興した海の都に連れて行きたいと考えておりましたので、良い機会です」
ドリスコル公爵の言葉に、オスカーとヴァネッサも楽しそうに笑う。
「叔父上、一緒に街を見て回りましょう」
「ああ。それは楽しみだな」
「ライブラもね」
「はい、お供します」
と、レスリーも穏やかに微笑み、ライブラもどこか嬉しそうな声で一礼を返す。そんなやり取りをドリスコル公爵夫妻が微笑ましそうに見守っていた。
ドリスコル公爵家は、前と変わらず円満な雰囲気だな。レスリーに関しては夢魔事件を経て誤解やわだかまりも解けたようだし、公爵家もレスリーを支えてくれている。
同様に新しく公爵家の一員として加わったライブラとも仲良くしているようで……俺としては安心できる光景だな。マルレーンもライブラに召喚魔法の指南をしてもらったからか、ライブラとオスカー達のやり取りににこにことした笑みを浮かべるのであった。
やがて、シリウス号はドリスコル公爵領へと進んでいく。
ドリスコル公爵家の面々は、オスカーとヴァネッサが楽しそうにしているからか、海の都に滞在してから帰るという話になっていた。
「――ということであれば、妾達が責任を以って公爵達を領地まで送り届けるとしよう」
短期滞在程度であれば女王や水守達の魔法で海底での活動には問題はなく、本人や魔道具の魔力切れで溺れる心配もないというわけだ。ましてや、公爵一家はグランティオス王国とも交流するということで、全員海中で活動するための魔道具を所持していたりするからな。魔法切れ、魔力切れ、双方の面から安心である。
というわけで俺達は海の都に立ち寄って、それから女王達や公爵達とは一旦別れ、そのままグロウフォニカ王国へ向かう、という流れになる。
「ドリスコル公爵家の皆を送る際は、護衛をつけてヒッポカムポスの引く乗り物で送っていくから、安心してもらって良いぞ」
「私も何度かグランティオス王国とは行き来しておりますからな。ご心配には及びません」
と、エルドレーネ女王とドリスコル公爵が教えてくれる。
「分かりました。僕達は海の都を出発したらそのままグロウフォニカ王国へ向かう事にします」
そういう事で予定を組んでおこう。ネレイドに関してはヘルフリート王子の所有している貝殻でやり取りができるので、現状でも安全というのは確認できているが、なるべく早めに戻った方が安心してもらえるだろうしな。
「ヒッポカムポス、というと、あの水棲の馬ですよね?」
「そう。武官の皆が乗っていた、半分魚のあれだね」
「軍馬だけでなく、馬車を牽引する役割もあるのね。車輪はついていないでしょうから、馬車とは呼ばないのでしょうけど」
首を傾げるアシュレイに答えると、ローズマリーも感心したように言った。
ヒッポカムポスは半馬半魚といった姿の水棲の魔物で……グランティオスでは軍馬としても使っているが、地上の馬と同じように馬車馬としての役割も担うというわけだ。
前にグランティオスを訪問した時はエルドレーネ女王やロヴィーサを始めとした水守達もシリウス号で移動していたから出番はなかったが。
「はい。お察しの通り車輪はありませんよ。馬牽き船というのです」
「地上で言うところの竜籠と似たようなものかしらね」
ロヴィーサの解説にステファニアが興味深そうに言う。
「竜籠は近いと思います。グランティオス王国を訪問する際に何度か乗せて貰っておりますが……乗り心地も速度も中々悪くはないですぞ」
と、ドリスコル公爵は笑っていた。新しいもの好きの公爵としては、馬牽き船については結構お気に入りなのかも知れない。
「到着したらそのへんも見ていくのも面白いかも知れないわね」
「ん。グランティオスは魚が豊富だから、楽しみが増えた」
イルムヒルトの言葉にシーラがそんな風に答えて、くすくすという笑いが漏れたりしていた。
「それじゃあ、海に潜っていくよ」
シリウス号が空気のフィールドを纏い――そのまま高度を下げて海中へと潜っていく。暗視の魔法を用いて海中の様子をモニターで見通せるようにする。
「わあ……」
「海の中に船が入っていく……!」
「これは……凄いですね」
カルセドネとシトリアが歓声を上げ、エレナも驚いている様子だ。アルクスやアピラシア、ホルン達もモニターを興味深そうに見つめ、ティールはうきうきしたようにフリッパーをぱたぱたと動かしていた。
シリウス号で海に潜るのは初めてという面々も多いからな。潜る瞬間も楽しんでもらえているようで何よりである。
陽光の差し込んでくる海面の煌めき。海の中の青い世界。シリウス号から距離を取ろうとする魚群の姿。そうしたものを眺めながらシリウス号は海の都に向かって進んでいくのであった。