番外417 領主のお仕事
「ん……」
ぬくもりの中で薄く目を開く。
「おはよう、テオドール。起こしちゃったかしら?」
「ああ。おはよう。んー……。良く眠れた気がする」
と、隣で微笑むステファニアにそんな風に答えると、微笑んで頷く。
「先に目を覚ましていたのですが……みんなでのんびりしていました」
仰向けで寝転がって、やや悪戯っぽく肩を震わせるグレイス。寝起きの、やや乱れ髪の姿で微笑むというのは、少し珍しい無防備な姿だ。
「うん。いいんじゃないかな。帰って来たばっかりだしね」
「こういう……みんなでのんびりできる時間は好きです」
そう答えるとアシュレイが言って、マルレーンもこくこくと首を縦に振っていた。
そうだな。心地よさから再び目を閉じると、隣から手が伸びてきて、髪がそっと撫でられた。クラウディアの手だ。
「みんな何となく目を覚ましたけれど……テオドールがよく眠っていたから、そのまま寝顔を見ていたりしたのよ」
「まあ、何となくで……そういう空気になったっていうのかしらね」
と、そんなクラウディアの言葉に、ローズマリーの小さな咳払いが聞こえる。
みんなも既に目を覚ましていて。けれど寝台から起き出すということもなく、のんびりとした朝の時間を楽しんでいたようだ。
「ああ。だから起こしちゃったかって?」
「そうね。何となく……テオドール君は少し先に起きている事が多いから、寝顔を眺めてるのが楽しかったって言うのかしら?」
「ん。でも触れないように我慢してた」
イルムヒルトとシーラの言葉に小さく笑う。
なるほどな。俺も手を伸ばす。隣にいるステファニアとクラウディアの、指の間をすり抜けていくような髪の感触があって。仄かな髪の香りが鼻孔をくすぐっていく。
お返しというように額や頬を撫でられたりした。
改めて目を開けて窓の外を見やれば、もう結構陽が高くなってきているようだ。
歓迎会を行った後はゆっくりと羽根を伸ばし、夫婦水入らずの時間を過ごさせてもらった。熟睡もできたようで気分もいい。ヴェルドガル王国に帰って来た事、温度や湿度といった過ごしやすさだとか……そう言った事もあるだろうけれど。
そうして、しばらく目覚めの気怠さと心地良さと存分に堪能させてもらってから起き出したのであった。
遅めの朝食を取ってから、まずは溜まっている執務を進めていこうということで、みんなで手分けをして仕事を進める。
「とりあえず、書類の内容が見えないところから解説させていただきますね」
「うん。気を遣ってもらってありがとう」
と、エレナに答える。
少し離れたところに椅子と机、それに衝立を置いて、カルセドネとシトリアもエレナの隣に並んで座る感じだ。
カルセドネとシトリアの社会科見学ということで、執務の様子を見る事を許可している。と言ってもみんな仕事で手が塞がっているということもあり、何をしているのか、何の為に必要な事なのかは、エレナが教師役として解説するというわけだ。
具体的な内容は見えないように気を遣ってくれているので問題あるまい。別に後ろめたい事をしているわけではないが、執務であるからには時には部外者には秘密にしておくべき内容なども混ざってくる。
立場上の線引きというのは必要だからこその配慮、というわけだ。
「簡単にいうと……みんなからお金を集め、みんなが暮らしやすくなるように必要な事に対してやりくりして使うのが税、ということになります。そのお金で、例えば……洪水が起きないよう、堤防――川や海の周りの状態を監視して、問題があれば水が溢れないように何か作ったり、といった具合です。そのお金がきちんと使われるように、相談して内訳を決めて報告を行い、計算して確かめて……後でしっかりと結果が出ているか視察をしたりするというのが、領主のお仕事の一つなわけです」
と、エレナが二人に講義する。
カルセドネとシトリアは神妙な面持ちで頷いていた。そうだな。予算や決算の書類はそういうことになるか。
「というわけで、分からない言葉や仕組みがありましたら質問してください。私にわかる範囲でお答えしますので」
「うん。分かった」
「それじゃあね――えっと」
と、そんなやり取りをしているのが聞こえる。それを横目にみんなで計算や書面の確認作業。問題が無ければ判を押して、種類ごとに分けて処理済みの書類の山へと移していくというわけだ。
計算書類については魔道具だけでなく、ウィズやカドケウス、ウロボロス、バロールが目を通して数字が合っているかのチェックを行ってこちらに回してくるということも可能だ。計算が合っているなら後は不自然な過不足がないかだけをチェックしてがんがん判子を押せる。そうしたらゴーレムに処理済みの山に分類させて運ばせる。
「どこの領主さまもああいう感じ?」
「いえ。テオドール様ならではの作業風景ではないかと。仕事の内容は同じでもタームウィルズやフォレスタニアはやっぱり普通の水準と違うところがあるので、そこはしっかり伝えておいて欲しいと、テオドール様も仰っていました」
そんな風ににこにこしながら答えるエレナと素直に頷くカルセドネとシトリアである。うむ。
エレナの講義内容は分かりやすく、何のためにそうするのかという理念的なところもしっかりと押さえているので二人にとっても納得しやすいようだ。
「みんなから大事なお金を預かって、ちゃんと使う」
「上手くいくように確認したりとか……うん。すごく大切なお仕事」
といった感じで、執務の役割や意義というのは理解してもらえたらしい。
まあ、必要なものに必要なだけの予算を組んで、しっかりと目的通りに使うという役回りを、どこかに置く必要がある、というだけの話だ。
そこに商売っ気や私利私欲が混じると問題が起きやすいから、やはり公的な立場という線引きは必要だろうとは思うが、まあ……人間が関わる以上は中々理想通りにとはいかないのも事実だ。
とはいえ……そういうものの悪い事例として、ザナエルクを見てきているので、二人には今そういった難しい事を言わずとも、理解してもらえるだろう。
そうして、フォレスタニアとシルン伯爵領の執務はみんなで手分けして進めて昼前に切り上げることになった。
「何というか、ああして仕事を見られていると思うと……格好いいところを見せなくちゃって、いつもより捗った気がするわね」
「それは……まあ、姉上の言いたいことも分からないでもないけれど」
ステファニアのそんな冗談めかした言葉に苦笑するローズマリーである。
「確かに講義も兼ねてたし、模範にならないとっていうのはあったかもね」
だからと言って堅苦しい雰囲気にもならなかったのは、講義風景が微笑ましいものだったからだろう。良い感じに肩の力を抜いて、執務に集中して仕事を進める事が出来たのではないかと思う。
「今日は、この後はどうする?」
シーラが首を傾げて尋ねてくる。
「視察を兼ねて街に出て昼食をとったら――王城に報告に行ってこようかなって考えてる。お陰で執務も結構進んだし、報告はゆっくりでもいいって言われてたけど、先延ばしにするのもどうかと思うし」
早めに報告を終わらせておけば他の諸々にも集中できるしな。執務や魔界に関することだけではなく、迷宮核を使っての仕事にしても、工房の仕事にしても。
「それじゃあ私達は、その間工房にでも顔を出していましょうか」
「アピラシアも工房を見るのを楽しみにしていたようですからね」
クラウディアとアシュレイがそんな風に言うと、アピラシアもこくこくと頷いていた。
「じゃあ、報告が終わったら工房にいくよ」
というわけで午後からの予定も決まった。昼食を取ったら動いていくとしよう。