番外395 過ちの先へ
「御足労かけます。殿下」
「いいや。私の同席が国の大事に繋がると言うのであれば、当然のことだ」
と、兵士に案内されて、エレナの従甥であるクェンティン=ベシュメルクが外壁上部までやってくる。あまり身に着け慣れているようには見えないが、立派な拵えの鎧を身に着け、戦時に対応できる服装での登場だ。
兵士が一礼してその場を去り、クェンティンはエレナの顔を見て、驚きを露わにしつつも、一礼して名を名乗る。こちらからも簡単に自己紹介すると、クェンティンが言った。
「驚きました。ガブリエラ殿下の縁の御仁でしょうか? 私が立ち会う理由も分かるような気がしますが」
クェンティンはエレナの容姿からガブリエラの祖母に縁のある人物だと思っているようだな。
「そうではないのです、クェンティン殿下」
ガブリエラがそれは誤解だと伝える。
「どういうことですかな?」
「それを、これから説明するために殿下にも立ち会っていただこうと」
と、バルソロミューが言う。
「……ふむ。私が想像する以上に込み入った話のようですね」
バルソロミューが簡単に書簡を書いてザナエルクや今の状況に関することは伝えたらしいので、このまま説明に移っても問題あるまい。
エレナに視線を向けると、彼女も頷いて。そうして一歩前に出て口を開く。
「今の時点で公にするのも問題があると思いますから、あまり周囲に動揺が伝わらないようにしていただきたいのですが……私は――先程今の名であるエレナと名乗りましたが、エルメントルード本人なのです」
そう、告白する。
クェンティンは目を見開いてエレナの顔をまじまじと見ていた。
他の貴族、騎士や魔術師達も、エレナの事については知らされていなかったのだろう。一様に驚愕の反応といった様子だ。
「必要ならば当時の出来事もお話できますよ、バルソロミュー様とも、幼い頃にもお会いしたことがあったと記憶していますが――」
と、マルブランシュ侯爵にしたように、当時の出来事……しかも細かな出来事を語るエレナ。バルソロミューも……それで大体の事情に想像が及んだのだろう。静かにエレナの言葉に頷いたり、質問を返したりして、エレナの語った当時の出来事は確かにあったと頷いていた。
「私は……戻らなかったのです。刻印の巫女姫について一般に知らされていない事情から、ザナエルク王の元に連れ戻されるわけにはいかず。さりとて私が死ねばまた王国に次の巫女姫が現れてしまう。船で漂流をしながらバスカール様と話し合い、魔法の眠りについて王の追跡を掻い潜り、巫女姫が王の手に落ちる事を阻止した、というわけです。目を覚ましたのは――つい最近の事です」
「では、王国にお戻りになったエルメントルード殿下は――」
「王の立てた影武者……ということですか」
バルソロミューとクェンティンの言葉にエレナは頷いた。
「ですが、その事でガブリエラ様やその祖母君を侮辱することのなきよう。ガブリエラ様は、王国を憂い、私に力を貸して下さった。祖母君は脅されて利用された身でありながら傀儡とはならず、平穏のために尽力し、真実をガブリエラ様に伝えて下さった。お二方とも正統なる巫女姫であると、私からここで皆に宣告しておきます」
「エレナ様……」
エレナの言葉に、ガブリエラが感じ入るように目を閉じる。反論の一切を許さないといったエレナの口振りと雰囲気に、彼らは神妙な面持ちで頷く。
「しかし……王も姫も、何故そこまでなさる必要があったのです?」
バルソロミューが尋ねる。そうだな。ザナエルクもエルメントルードも、裏の事情を知らなければそういう反応になるだろうが。
「刻印の巫女姫の真実の役割は――過去の王国の過ちで起こしてしまった災いを封じ、また、儀式を通して災いの記憶を新たにすることで、それらの惨劇の記憶を後世に語り継ぐことにあるからです。王は――始祖の女王との約束を違えた。何かの形で利用できないかと封じられた禁忌に手を伸ばしたのです。そればかりではありません。各地から身寄りのない子供達を集め、ディアドーラと共に人道に悖る研究を」
エレナがスティーヴン達に視線を向ける。
「王宮の地下研究棟でな。俺達は生きた兵器となるよう作られたような存在だったわけだ。俺達はそれぞれ違った異能が使える。こんな風にな」
白い靄のような衝撃波を、何もない空間に打ち放つスティーヴン。氷を拳に纏ったり、影の剣を展開したりと、子供達も自分達の能力を実演してみせる。
「何と……いうことか……」
「子供達を……実験に使ったと」
「だから、実験動物扱いが嫌で逃げ出したってわけだ。侯爵は――まあ、世間で言われていたような裏での繋がりはなかったが、そうした実験に勘付いて調べていて、偶々助けてくれたのさ」
「……宮廷魔術師副長として研究資料を当たっている内に、表沙汰にできない事情や、件の研究が行われていることを突き止めましてな。そうした事情を色々と調べている内に、王に詰問を受けて――後は皆様の知る通りです」
スティーヴンの言葉を受けて、マルブランシュ侯爵が言う。その時、話を聞いていたベシュメルクの兵士達も口を開く。
「お、俺……私達は――ザナエルク陛下の魔法で全員身体の自由がなくなって、ひどく暴力的な気分になって……そうして空を飛んだりして、戦いの場で暴れ回ったんです!」
「イグナード陛下や他の方々は、私達は操られているだけだからって、なるべく怪我をさせないように取り押さえようとしてくれました……! 本当だったら、殺せばそれですぐに済んだのに……!」
「境界公も俺達を救おうと、身体を張って大魔法を止めてくれて――! だから、先程から仰っている事は……し、真実なんだと思います!」
と、兵士達が口々に言い募る。
次々明かされる王の悪行には流石にショックを受けたような表情の者が多かった。この場に立ち会っている魔術師も固まっていたが。
――部門が違えば研究の全体像は知らされていないというのは、マルブランシュ侯爵に情報提供した魔術師の話でも分かっている。立場だけで判断せずに個々人をしっかり見ていく必要があるだろうな。魔法審問もあるし、エイヴリルもサトリもいるから、冤罪が起こらないようにするのは難しくはあるまい。
彼らが落ち着くのを待って、エレナが言葉を続ける。
「王は――私が帰らぬ50年の間、禁忌を利用する手段を長年模索し、研究を続けていました。私は――私を助けて下さった境界公のお力を頼り、研究の続行の有無を調査し、間違いないと確信に至ったからこそ……此度のような仕儀と相成ったわけです。私を王国の裏切り者と謗る者もおりましょう。しかし、最初に王国の志を裏切ったのはザナエルク王の方であると……今ならそう反論しましょう」
そうした話を聞かされた彼らは、言葉もないというように静まり返っていた。
やがて、クェンティンがかぶりを振って口を開く。
「王は私の……私の子も、もしかすると何らかの形で実験に使うつもりだったのかも知れませんな。次期王として後継に相応しい教育を施すからと、3歳になるまでには私や妻から引き取ると……そう宣言しておりました。有無を言わせぬもので……私達が王とは距離を置いているとはいえ、いくらなんでもと妻と共に不満というか、不審にさえ思っていたのですが」
クェンティンの言葉は――ガブリエラから聞いた情報の通りだな。
「……王は呪法により若返りができた。これは推測でしかありませんが、もしかすると、どこかで次代の王として成り代わる計画があったのかも知れません」
俺がそう言うと、クェンティンは目を見開き口元に手をやって、戦慄が走ったというような表情を見せる。
「何か……思い当たることが?」
「わ、私達の間に子供が生まれた少し後で……王が曾孫の顔を見に訪ねてきたことがありました。その時息子は眠っていて……妻は王より、瞳の色を尋ねられた、と。その時……王と同じ色だと伝えたら……似ている事に喜んでくれたが、その笑い方が曾孫について喜ぶ曾祖父のものではないような気がして、何故だか怖かったと。妻はそう言っていました。引き渡しを求められたのは……そのすぐ後です」
クェンティンは青い顔で額のあたりに手をやってかぶりを振っているが。
……そうか。それは多分、間違いないな。
王の若さについては皆周知の事実だ。言われてみればというところがあるのか、クェンティンの話に慄然としている者も多い。
そうして。オーレリア女王が場を引き継ぐように言った。
「私達がこうして訪問してきた理由はこういった諸々の経緯によるものです。巫女姫の封じる禁忌については、本格的に解放されればもっと大きな脅威となって、世界に災いをもたらしていたでしょう。ですから――今後、野心を抱いた者が禁忌に触れられないような状況にしたいのです。人道に悖る忌まわしい研究も……先々に渡り行われない事を望んではいますが、これは各国共に、約束を守る必要があることなのでしょう」
「過ちや悲劇を知らぬ国はない。今回の事だけではなく、我らとてそうであるし、これからの事を考えれば他人事ではいられぬ。しかしそれでも。我らはそこから学び、同じことを繰り返さないように前へと進んでいかなければならぬのだろう」
オーレリア女王の言葉にイグナード王がそう言って、静かに目を閉じた。
そう。そうだな。どの国だってそうなのかも知れない。居並ぶベシュメルクの貴族、騎士、魔術師……。誰からも抗戦を訴える者はいなかった。
クェンティンがバルソロミューと顔を見合わせ、頷く。
「仰ることはよく分かりました。我らに……交戦の意思はありません」
「戦力差も歴然としておりますからな。この上、新たに血を流す愚は致しませぬ。武装を解除し、改めて話し合いの席を用意させていただきたく思いますが、如何でしょうか」
「勿論です。それこそが私達の希望するところでもありますから」
オーレリア女王はそう言って頷いた。
その時だ。俺達の話し合っている場の空中に、どこからか靄のようなものが集まってくる。これは……知っている魔力反応だ。
「これは――」
「――いえ。大丈夫です。心配には及びません」
驚いて身構えるクェンティン達に、ガブリエラが答え、エレナも頷く。
「今を生きる者達。各々の意思と決断。確かに見届けさせてもらった」
そう言って。燃えるような赤い髪の女王がそこに顕現する。
「始祖の女王、パルテニアラ女王陛下です」
そんなエレナの言葉に、居並ぶベシュメルクの重鎮達は、今度こそ揃って驚きの声を上げるのであった。