番外392 ベシュメルクの行方
「――おはようございます、テオ」
「ん。おはよう」
……目を覚ますとグレイスに抱きかかえられているような状態だった。
グレイスも心地よさそうに寝息を立てて俺ものんびりとまどろんでいたが、やがてどちらからともなく目を覚まし、にっこりと微笑まれてそんな風に朝の挨拶をされたのであった。
「何だか、小さな頃の事を思い出すね」
「そう、かも知れません。ただ、あの頃よりも落ち着いた気分で……目を覚ましてもこうしていられるのが嬉しいな、と」
「ん。そうだね」
グレイスにとって、今回のベシュメルクでの一件は過去の蟠りを解くものであったなら。それは俺も嬉しいと思う。これからベシュメルクも良い方向に進んでいってくれれば良いが。
……昨晩は循環錬気に時間を使い、のんびりとさせてもらった。みんなも目を覚まして朝の挨拶をするけれど、昨日の激戦もあってもう少しゆっくりしていてもいいだろうと、寝台の中でゆったりと気怠い朝を楽しむという贅沢な時間の使い方をしてしまう。
アシュレイに昨日の負傷がちゃんと治っているかどうか手を撫でられたりして、そこから何故だかマッサージするという流れになってアシュレイやシーラにくすぐられてしまったり。
それを見たステファニアとマルレーンがローズマリーとじゃれて、焦ったローズマリーが2人と一緒に俺の方に転がってきてどことは言わないが顔を埋めてしまったり。
それを微笑ましそうに見ていたクラウディアだったが、イルムヒルトにくすぐられて、更にはグレイスもそこに混ざる事になったりと、寝台の上は朝から笑い声が絶えない賑やかなものになってしまったのであった。
そんな朝の騒ぎも落ち着いて……ゆっくりと朝食を済ませてシリウス号からマルブランシュ侯爵領へと向かう。場所は会議室だ。
「おお、皆様、おはようございます」
「おはようございます」
とマルブランシュ侯爵やエレナ、ガブリエラ達、各国の王達やスティーヴン達とも朝の挨拶をかわす。
マルブランシュ侯爵は騎士団長のスコットや兵士長にあれこれ指示を出したり、今後の事についてエレナやガブリエラ、各国の王とも相談を進めていたようである。
スティーヴン達は会議室でそんな面々の忙しそうな風景を眺めながらのんびりとお茶を飲んでいたようではある。挨拶をすると、スティーヴンが言う。
「良い朝だな。あー……。カルセドネとシトリアについても気になるだろうが――意識は戻ったが今度は少し……ユーフェミアにべったりになってしまってな。もう少し……心の整理がつくまで待ってやってほしい」
「それは勿論。2人は、操られていたのに近いし、感情が出せるようになったのも昨日の今日だしね。あまり慌ただしくせず、ゆっくり進んでいけばいい、と思うよ」
封印術は施してあるし。危険はないと思う。ゆっくりと……同じ立場の人達と打ち解けて。それから回りの人達とも交流の輪を広げていけば、それでいいのではないかと思う。
そう答えると、スティーヴンは助かる、と言っていた。
「まあ、テオドールにも攻撃してしまったし、謝ったりお礼も言いたいと、そんな風に言っていたそうだがな」
「そっか」
「ああ」
それじゃあ、もう少し落ち着いたら2人に会いに行こう。今は事後処理でバタついているから、そのあたりが落ち着いてからか。
スティーヴンとの会話を終えて、侯爵達に今の状況を聞きに行く。
「――騎士達の間から上層部の意向を知らずに清廉であった者を探したり、怪我の度合いが軽い兵士達から協力者を募っている段階でしてな。それらも恐らく昼前には諸々終わって、王都に出発も可能かと」
と、そんな返答があった。
「飛行船団でということになりそうです。兵士達の話では王都の戦力はかなり出払っていますが、全くないというわけでは無いそうですので」
侯爵の言葉に、エレナがそんな風に言う。
「なるほど。確かに、速めに行動した方がいいのは確かですからね」
結界を展開して一人も逃さなかったのでザナエルク敗北の一報が王都にすぐに伝わるということもないのだが、まあ、それらの情報が伝わるより早く行動を起こし、王都を開城させたいという部分はある。
「ふふ。東国の妖怪さんも心が読めるからってね。騎士達のお話を聞きに向かっているわ。私は昨日、能力も大分行使したから甘えさせてもらって休憩中」
と、エイヴリルが笑う。妖怪……サトリだな。サトリの方が細かく思考を読み取れるが、エイヴリルのように共振させて相手の感情を励起する、というのはできない。このあたりは同じ系統の能力ではあるが少し違いがある。
「ふむ。王都の開城が首尾よくいったとして……ザナエルク亡き後の後継者については大丈夫なのかな? そのあたりはあまり干渉したくはないが、それも事と次第によろう」
「確かに何かしらの協力や働きかけも必要になるかも知れないな」
ファリード王がそう尋ねると、レアンドル王が頷く。
ああ。それは確かに気になるところだな。今のベシュメルク王国事情に詳しいのはガブリエラとマルブランシュ侯爵だ。視線が集まるとガブリエラが答える。
「それが……少々問題があります」
「というと?」
「ザナエルクは50年前――。若くして王となり専横を強め、反対派と対立。一時内乱に近い状態となりました。その折に多数の王家に近しい貴族が亡くなり、その後に粛清も……。元々ベシュメルクの王族は始祖の女王の願いに同調し、伝統を守る立場の者達が多かったものですから……それが粛清されてしまったとなると……」
「ザナエルクに近しい立場の王族しか残らなかったと?」
だとすると少し拙い、か?
「いえ。そういった立場の王族も内乱や粛清の折に大半が命を落としてしまっています。逆に現在、王位継承権を持つ王家直系が非常に少ないのが問題なのですね。巫女姫も……王にはならないという決まりですから……」
そうしてガブリエラが現在の状況に関して詳しく説明してくれる。
ふむ。エレナの曾祖父の代でザナエルクの家系とエレナの家系に分かれたということらしい。どちらも王族という括りに間違いはないが。この二つの家系が最も王位継承権に近いのだろう。
「ザナエルクは男子に恵まれず、結局孫娘に当たる方がエレナ殿下の従甥に当たる方と若くして婚姻を」
「叔父上の家系は……残っておいでなのですね」
従甥。つまりエレナにとっては従弟の子だな。エレナの叔父も王に反目したが、ザナエルクに鎮圧され……王位継承権の放棄を条件に家の存続を許された、という話らしい。
偽のエルメントルード姫の家系は……表向きはともかく実際のところ、ザナエルクは王族からは遠ざけている……というよりも自由にさせている。
一方で本物のエルメントルード姫に近しい家系は断絶させず、自分の直系共々、次代の巫女姫が生まれる可能性を高くしておきたかった、という思惑もあったのかも知れない。
当人は若返りができるということもあり、王座を譲るつもりなどなかったのだろうしな。必要なのは次代の巫女姫だけだった、ということなのか。
王位継承権については王の長子からの直系、次いで次男、三男以降の直系、王の兄弟の直系、王の伯叔の直系――それもいなければ更に近親という順で高い優先度を持つらしい。孫娘との結婚を契機にその子の代から継承権の復帰を認めた、ということらしい。
それも……表向きの話だったなら。実際どうするつもりだったのか。
「つまり、そのお二方の間に生まれた長子が最も継承順位の高い方となります。実はこの方が、まだ生まれたばかりの赤子でして」
「……なるほど。特例を認めるのでなければ、後見人や摂政を立てて、王として然るべき教育を、ということになりますか」
「そうなります。とはいえ、ご両親はお二方とも考えのしっかりした方ですよ。子を後継者としてザナエルクに引き渡すということに難色を示しておいででしたから」
「そうですな。ご夫婦でザナエルクとは距離を置いておられました。というより、ザナエルクが実権を与えないように冷遇していたと言いますか」
ガブリエラとマルブランシュ侯爵。2人が揃って言う。
「祖父であった王と仲が悪かった、と。まあ、ザナエルクは……最初から王位を譲る気が無かったのかも知れませんね」
継承権を持つ子にまで若返って成り代わるなんてのも……ザナエルクならやりかねないな。このあたりも……そういう計画がなかったか、騎士団長のクロムウェルやディアドーラあたりに聞いてみるのが良いだろう。
「ふむ。纏めると……信用のおける者で宮廷内を固めて、その中から後見人、摂政を見繕うということでいいのではないかしら?」
「敵味方は騎士から情報を得られている以上、ザナエルクの悪行を理由に人事を固める事は難しくないであろうしな」
オーレリア女王とエルドレーネ女王が言う。
そうだな。こちらの基本方針はこんなところか。件の夫婦に問題が無ければベシュメルクの後継問題については一先ずは安心かも知れない。
まあ……その前に王都の武装解除だな。こちらは侯爵領に守りとしての戦力を残しつつ、飛行船団で向かう事になっている。戦闘にはならないとは思うが――これについては俺も同行しておくのが良いだろう。