番外390裏 真理の探究者
ベシュメルクの将兵は人とは思えないような雄叫びを上げて次々に空へと飛び立つ。だが、獣のような雄叫びと、内側から溢れる力を持て余しているような様子とは裏腹に、すぐさま敵に向かって飛びかかっていくようなことはせず、呪法の赤い輝きに導かれるようにして、組織だった動きを見せた。
彼らを支配するのはザナエルク。故にその呪法の支配――操作に従う限り、単純な命令よりももっと一糸乱れぬ――組織的な動きを見せる事が可能だ。
戦場に現れた飛行船から降りてきた者達に、それぞれ相対するように集団を作って分散。地上で隊列を組んでいた並びを、そのまま空中に浮かび上がる事で流用するつもりらしい。一部の者は、ある程度の規模を確保して正面を突破しようという構えなのだろう。
彼らに指揮官として「命令」を下すのが、正面突破を役割とする兵士達を率いるディアドーラだ。飛行呪法はディアドーラもまた使えるらしく、膨大な赤い輝きを纏いながら正面の霧の森を見据える。
外界とはグランティオスの祈りの結界で遮断されているが、それでも結界に辿り着けば、一斉に内側から打ち破ろうとするだろう。結界の効果が途切れるのを早める事は不可能ではない。
だからこその正面突破。それを邪魔しようとする敵を押さえる者達という役割分担。
それを――止めなければならない。
恐らく船による突撃は――呪法兵である以上、そしてザナエルクがその場にいる以上、一斉の反射呪法といった対処に出る。
魔力変換装甲を持っているにしても、そのような場合に術式同士の干渉は何が起こるか分からない。最悪の場合、船が航行不能となる可能性さえ有り得る。
というのも反射呪法の対策は個々人レベルに留まっているからだ。つまりは、暴走した将兵達を止めるならば、これは直接戦闘によって、ということになる。
どこからともなく、戦場に呪歌と呪曲が響き渡る。グランティオスの民とハーピー、ラミア達の混声合唱が、対魔人同盟各国の援軍である将兵達の心に勇気を与えていく。
「さて。意識を刈り取れば止まるのは理解したが」
「暴走とは厄介な話ですな。生半可な事では止まらないかも知れませんぞ」
イグナード王とイングウェイが、隊列を成そうとしている敵兵を睥睨しながら膨大な闘気を纏う。
「ふむ。武芸よりも魔法でというのが手っ取り早いかも知れんのう」
「武芸では手足に穴を穿っても駄目そうね。点ではなく、面での攻撃。斬撃や刺突ではなく、衝撃で意識を刈り取る。拘束術式あたりも有効そうね」
ジークムントの言葉にオーレリア女王が頷いた。
「ならば術が使えないものは術師達の方に追い込んだりする方を考えるのが良さそうだな」
「飛行部隊ならば機動力で引っ掻き回して隙を作るといったところか」
ファリード王とレアンドル王がそんな風に受け答えする。
人間、エルフ、ドワーフに獣人、魚人、鬼に妖怪達。あらゆる種からなる連合軍。
混乱を避けるために命令系統の一本化は重要だが、部隊ごとに能力の違いが大きいので各国の王が部隊指揮官として機能する。
判断が分かれる際の意思統一はオーレリア女王、ということになっていた。
「いずれにしても。肉体と精神に依存するなら、意識を刈り取る事は不可能ではないだろう」
「確かに。本能的な部分に術式が働きかけているようにも見える」
「うむ。人形のような駒とするなら、ああはなるまいよ」
ヨウキ帝の言葉に、シュンカイ帝とレイメイが首肯する。
「敵が理性を失っているなら丁度いい。正体を看破されて情報戦に使われる心配も無くなったからな。殺さないように行動できなくする、というのも俺の能力には向いているか」
雷を纏いながらテスディロスは静かに言った。
「倒した連中は残らず夢の世界に放り込めるので安心して欲しいとユーフェミア殿が仰っておりました。現実で脱落した連中は吾輩の分身達が安全な場所に運び込みますので心置きなく」
ケットシー……ピエトロの本体が片目を閉じてにやりと笑った。ピエトロの役割は分身やメダルゴーレムを率いての戦闘以外の補助を行う事だ。危険な作業でも分身を使えば易々と行える。
「ふっふ。巻き込む危険が少ないというのは有難いのう」
そんなピエトロの言葉に、アウリアが笑う。
ベシュメルクの将兵達に対抗する飛行船はシリウス号を含め、全部で四隻。霧の森――正面下部にシリウス号。上空にもう一隻。正面突破をしようと深く食い込んだ敵を、包囲する目的で左右に分かれて一隻ずつ。
本当は結界内部に広く展開し、四方から包囲した方が有利なのだろう。しかし、丘陵より向こう側はテオドールの戦場だ。
敵にしても味方にしても、巻き込まれて被害が拡散するのを防ぐという意味で、正面側に戦力を集中させざるを得ない。
いずれにせよ、飛行船が避難場所にもなるので、ある程度密集して連係しやすくしておくというのは悪い話ではない。代わりにオリエが糸の結界を。ミハヤノテルヒメが巨大な水の帯を展開している。防御陣地を築くにせよ、有利なフィールドを構築するにしても、防衛側に有利に働く。
そんな彼らを睥睨して、それでも尚ディアドーラが笑う。目を見開き、牙を剥いて。ディアドーラが手を翳す。
「――さあ、行け! 敵を打ち砕き、我が王に勝利を齎せ!」
ディアドーラの号令と共に。ベシュメルクの将兵達が空を揺るがす程の咆哮を上げる。呪法の輝きを爆発的な勢いで噴出させて、赤い津波が打ち寄せるように飛行船団へと迫る。
「出鼻を挫いて勢いを殺す!」
「承知ッ!」
先陣を切って相手方に飛び込んだのはレイメイ達の率いる鬼達だ。ゲンライ達が呼吸を合わせるように仙術で目眩ましの分身を作り出す。
どれに対応すべきかを迷わせた逡巡で鬼達には事足りる。凄まじい闘気と頑強さに物を言わせて掴みかかったかと思うと、組織だった行動をさせまいと敵の密度が少ない上空や地表付近に力任せに押し込んでいく鬼達。
呪法への対策装備は各々持っている。となれば後は力任せに押し込んで分断。邪魔の入らないところで絞め落とすなりしてしまえばいいというわけだ。
とは言えあくまで突撃の勢いを削ぐ役割。ベシュメルクの将兵はまだまだいる。右翼から切り込んでくる部隊にレアンドル王とエリオット達の率いる飛行部隊が応じ、左翼からの敵は膨大な水の帯と共に魚人達が迎え撃つ。
強引に正面に突っ込んだ者はオリエと小蜘蛛達の作り出した糸の結界に囚われていた。七家の長老が眠りの雲を浴びせるが、赤い呪力を漲らせて抗い、糸を呪法の剣で切り裂こうと咆哮を上げる。そこにテスディロスの雷撃が降り注いだ。電圧だけの一撃は殺傷力を持たない鎮圧用の一撃。それで身体の自由を奪い、眠りの雲を確実に吸い込ませて、術の抵抗に必要な時間を延ばす事で、確実に眠りに落としていく。
意識を失った者は糸が巻き付いていずこかへと掻っ攫われていった。
「逸るな、馬鹿どもが! 隊列を崩さず、呪法の剣と槍を以って確実に押し込め!」
獣の咆哮を上げるベシュメルクの将兵はそんなディアドーラの命令を受けて突出しないという程度には戦列を組み直す。
実際呪法の剣と槍というものは厄介なもので、闘気や魔力で干渉するか、対呪法の魔道具や術式などで対抗しない限り、盾や鎧をすり抜けてくるのだ。
「くッ!?」
盾に闘気を込め損ねた騎士の眼前を呪法剣が掠めていく。
崩れたところに押し込もうとするそこに――一匹の獣が飛び込んでくる。エレナが工房で建造した大型呪法兵だ。大型のエッグビーストというべき姿だが――それが咆哮すると呪法の剣と槍がぐにゃりと歪む。ベシュメルク兵達が制御を乱したところを尾に宿した赤い輝きの一撃で薙ぎ払う。
即席のエッグビーストやエッグナイトとは違う、対呪法に特化した能力を備えるアンチ呪法兵。エレナの用意した切り札だ。
「エルメントルード……面倒な手駒を用意しているな!」
ディアドーラがそちらに気を取られた瞬間だった。
巨大な衝撃波の斬撃が頭上から降り注いだ。
「オクトか!」
ディアドーラは三角錐型の呪法障壁を展開して衝撃波を突破。上空に突っ込むと――そこにスティーヴンがいた。冷たい瞳でディアドーラを見据える。
「お前の相手は俺だ。みんなが邪魔をする輩は遠ざけてくれるとさ」
ディアドーラが視線を向ければ――魔人殺しの仲間達が周囲の兵士達との分断にかかっていた。精鋭中の精鋭。助力は望めないだろう。
「くく、カルセドネとシトリアに及ばなかった貴様が、手の内を知っている私に単身で挑むつもりか?」
スティーヴンの返答は――無言で拳を突き出すというものだった。正面から極度に集束された衝撃波の弾丸が飛んできて、展開したディアドーラの呪法障壁を易々と撃ち抜き、その頬を掠めていく。
「この練度は――」
「お前は勘違いをしている。あの2人に傷をつけたくなかっただけだ。薬の確保もできている以上、お前には全身全霊を叩きつけてやれる。昔と同じとは思わない事だな」
スティーヴンが構えれば、凄まじい力がその身の内側から噴出してくる。それは、ディアドーラをして目を見張らせるもので。
ディアドーラはスティーヴンを見つめたまま、両手を広げて笑う。肩を竦めるように。芝居がかった仕草で。
「過去の作品が……私への感情による呪力増大と研鑽を武器に挑んでくる、か。全く……全く。因縁や因果というものを感じるよ。魔人殺しも私を世界の敵だと言っていたが……そうなのだろうな。因果の積み重ねで成り立っているのが今の世界であるというのなら、過去に残した足跡さえも私の敵となるというのは全くの道理だ」
ディアドーラの額に亀裂が走り、そこに第三の目とも言うべき赤い瞳が姿を現し、背中から翼が生える。それは呪法によるものではなく――実体を持った黒い翼だ。
「その姿は――」
「人間だよ。だが、少しばかり血統が古くてね。先祖返りというのかな? 魔界での変容の影響を受けた者が祖先にいる、というだけの話だ」
「吸血鬼のような、ということか?」
スティーヴンの言葉に、ディアドーラが笑う。
「理解が早い子は嫌いではないよ。昔からお前は飲み込みが良かった。私の血統は少しばかり長命で、呪法の扱いに長ける者が多かったのでね。かつては別のベシュメルク王に仕え、魔界についての研究をしていたが……禁忌に触れる研究をしたと僻地に追放されてしまったのさ」
それを、ザナエルク陛下に声をかけて頂き戻ってきたのだと、ディアドーラは身振り手振りを交えながら言った。
「ああ。異形故に疎まれただとか、変な勘違いしてもらっては困る。私は昔から私さ。凡夫からは理解されない。どいつもこいつも、変容がどうだとか世界の破滅がどうだとか。何も分かっちゃいない。失敗したのならそこから学び、改善して先へ進もうと何故思わない? 叡智の光を以って、先へ先へと進むべきが人なのだ。そうは思わないか?」
「勝手な事を……! そんな考えで起こした行動が、どれだけの人間を苦しませたと思っている……!? 今だってそうだ! 戦いを望まない者を無理矢理! そんな美学だか何だかは、誰も巻き込まずに1人で済ませられる範囲で終わらせていればいいッ!」
吐き捨てるようなスティーヴンの言葉に、ディアドーラは穏やかにすら見える笑顔を見せた。
「犠牲か。そうだな。お前は。お前達は私に恨みを叩きつける権利ぐらいはあるだろう。だから――相手をしてやる。そして踏み潰して、私は更にその先へ進もう」
そう言って。ディアドーラは目を見開き、牙を剥く。
「世界の敵! ああ、結構な事だ! 元より私の敵は未知なる森羅万象そのもの! 真理を解き明かし、無知蒙昧の闇をあまねく智の光で照らすのが我が望み!」
「そういう驕りが過去の破滅を呼んだんだろうがッ!」
「驕りだと!? 禁忌を恐れて大業が成るものか! 未知から来る破滅を退けられるのならば、全ての犠牲は礎に過ぎぬと知れ!」
「他者を研究の犠牲にしてばかりのお前が何を語る! 自分は犠牲になる側のはずがないだとか考えているからそんな傲慢が言える!」
「ほざけっ!」
咆哮と共に。ディアドーラの目から閃光が奔った。衝撃波の裏拳で撃ち落とし、回し蹴りを見舞えば津波のような巨大な蹴撃が横合いからディアドーラに迫る。
それを――ディアドーラの手に宿った赤い輝きが切り裂く。呪法で形作った巨大な鈎爪だ。黒翼をはためかせて凄まじい速度でディアドーラが突っ込む。
スティーヴンの能力は近接戦闘が弱点だ。衝撃波の扱いを間違えれば自身すら巻き込んでしまう。だからこそ、ディアドーラも変容した自身の身体能力を前面に出しての近接戦闘を仕掛ける。
首を撥ねるような軌道で迫るディアドーラの赤い手刀を、スティーヴンは黒い剣で受け止めていた。
「これは……!」
カルセドネとシトリアの使っていた影の大鎌に似た――それは次世代生体呪法兵として作られた子供達の保有する異能の内の一つ。
魔石にマジックスレイブとしての能力を持たせ、契約魔法で繋ぐ事で遠隔での発動を可能としたものだ。発動のタイミングは――エイヴリルが中継することで成立する。
実戦経験が足らない子供達は戦場に立たせず、代わりにスティーヴンが扱う。スレイブを介したものなので減衰はあるが――事、ディアドーラを相手にする限りは大丈夫だと、スティーヴンは確信していた。自分の能力が情念で底上げされるというのなら。仲間達の能力もまた、折れることはない。
「なるほどな! それでこそ私の過去だ! いいだろう。全員纏めて相手をしてやる!」
ディアドーラは間合いを広げない。鍔迫り合いの、息のかかるような間合いから引き下がらない。多種多様な能力を発動してくるにしても、必殺の威力を持つのはスティーヴン本人の能力に他ならないからだ。
翼のはためきに合わせて赤い光弾が四方八方に散る。――呪法誘導弾。散った光弾がスティーヴン目掛けて突っ込んでくる。
対するスティーヴンは鍔迫り合いの姿勢を崩す事も無く、仲間の念動能力で身代わりの護符をデコイ替わりにばら撒いて無効化。同時にその念動能力を身体能力に上乗せしてディアドーラを押し返す。
右手に影の剣。左手に氷の剣を展開。ディアドーラの両手の鈎爪と、凄まじい勢いで切り結ぶ。ディアドーラの額から放たれる閃光。首を傾けて避け、爪先にレドリックの炎の鞭を展開して蹴り足を放つ。
身を反らして避ける、ディアドーラの意識にエイヴリルの能力で干渉。
右方向に注意を促しながら斬撃を繰り出し、逆方向から本命となる衝撃波を叩き込むが――ディアドーラは呪法による身代わりを作り出して衝撃波を受け止め、斬撃に鈎爪で対応してみせた。
身代わりは衝撃波の余波すらも丸ごと吸い込んだようだった。そういう効果、性質を持つ術なのだろう。呪法に身代わりの護符が通用するように。同系統の術が存在するのだ。
「ちっ――!」
「能力の使い方が実戦慣れしていないな、エイヴリル! これ見よがしに怖気を増幅させても貴様の能力は知っている!」
ディアドーラは飛ぶ。後ろに飛ぶ。頭上に掲げた手に、一抱えほどもある赤い光弾が急速に膨れ上がる。翼のはためきと連動するようにそれを凄まじい勢いで投射してきた。
スティーヴンは真っ向から衝撃波を叩きつける。爆裂。爆煙。それを目暗ましにディアドーラは最短距離を突き抜けてくる。エイヴリルの能力で察知。錐揉み回転しながら繰り出してくる鈎爪の刺突。
受け切れないと判断したスティーヴンは球体型の魔道具をあらぬ方向に放り、その先へと転移して見せた。
もう岩場に仕込んだ転移ゲートはこの戦場では役に立たない。ならばイーリスの能力もディアドーラ打倒のために使う。球体魔道具を投げた先が転移先。そうした調整を施した代物だ。
能力行使にスティーヴンの負担はない。
転移した瞬間には衝撃波を放つ準備ができている。拳と拳を撃ち合わせるように、攻撃を外したディアドーラに両側面から衝撃波を打ち込む。
爆裂と共にディアドーラが上へと舞い上がる。間一髪で身代わりの呪法を間に合わせた、のだろう。反応速度、術式構築の速度が尋常ではない。
先祖返りとディアドーラは表現したが、反射神経や思考能力に優れる変異体なのだ。故に無詠唱での術式構築と精度が通常の人間のそれを上回る。マジックサークルを展開する必要がない。
「心の臓腑よ、鼓動を止めよ!」
ディアドーラの第三の瞳が輝くも、魔眼と視線を合わせた相手の命を奪うはずの呪いは、身代わりの護符一枚を焼き払うに留まる。
舌打ちしながら突っ込む。対策をたっぷりとして来ているのだろう。ディアドーラの手札の幾つかは制限されてしまっている。故にそれらの対策が通用しにくい術を用いる事となる。分かりやすいところでは――近接戦闘でスティーヴンの上を行けば。鈎爪ならば問題なく切り裂ける。
反応速度と三つの目を活かしてディアドーラは鉤爪でスティーヴンに切り込んでいく。それに対して、エイヴリルの能力による先読みとスティーヴンの実戦経験、仲間達の能力による援護射撃で対抗する。
鈎爪と剣による斬撃の応酬。小さく抑えた衝撃波。身を躱しての赤い閃光。転移ゲートに吸い込んで即座に跳ね返し。鈎爪で受け止めて、四方に操作可能な呪法光弾を展開して手動で集束させて叩き込む。レドリックの爆炎で迎撃。
光芒が瞬き、散り、火花が弾け飛ぶ。唸りをあげる互いの得物。炸裂する衝撃波と呪法。瞬き一つで命を落とすような濃密なやり取り。
掠めて皮膚が裂けて血が舞う。斬撃と魔力、異能の中に闘気を込めた打撃を混ぜて肉と骨を叩きつけ合って。
そんなやり取りの中でも、ディアドーラは気付いていた。スティーヴンが自身の本来の能力をほとんど牽制程度にしか使っていないことに。力を溜め込んで、どこかで放出するつもりなのだろう。だが、大技を撃たせる隙は与えない――!
自身の身体能力を呪法で後押しして、更に攻防の速度を、圧力を増していく。
火の出るような近接戦闘を押し切ったのはディアドーラの方だった。
空中戦の経験、練度で上を行ったのだ。マジックシールドを展開し損ねた瞬間に薙ぎ払われた鉤爪の一閃がスティーヴンの胸板を横に切り裂いていく。
「ぐっ!」
だが――浅い。飛び込んで追撃を仕掛けようとするディアドーラに、スティーヴンは転移の魔道具を横に投げる構えを見せた。
見えている。追えている。魔道具の軌道。
追撃するという構えだけを見せながらディアドーラは翼の動きとは別に飛行呪法を展開。凄まじい鋭角の急制動で、転移発動に合わせて現れる方向へと突っ込んだ。
転移先に現れた次の瞬間。驚愕の表情を浮かべるスティーヴンの胸板をディアドーラの鈎爪が貫いていた。目を見開き笑うディアドーラ。飛び散る鮮血。直接呪法を打ち込み、確実に息の根を――。
それら一切合財が、ディアドーラの手の内から消え失せる。偽物――? ユーフェミア? 現実侵食。具現の産物。そんな思考がディアドーラの脳裏に過ぎる。
次の瞬間、巻き上がった巨大な衝撃波にディアドーラはその身を飲まれていた。
スティーヴンは――その場を動いていない。正確には転移で消えて、同じ場所に現れた。ユーフェミアの能力を刻んだマジックスレイブは――最初から転移と誤認させるために見た目を全く同じものとして作っているが、重量だけが違う。そういう代物だ。
そして近距離でも自分に被害を出さず、大規模な衝撃波を作れる形がある。
そう。竜巻だ。スティーヴンを中心に、巨大な衝撃波の渦が巻き起こり、ディアドーラの身体を飲み込んでいた。両手を交差させ、力を放出するスティーヴンの作り出す渦巻は二つ。上下で全く逆の方向に流れる、相反する断裂の渦。
「お、おおおぉぉおおおおッ!」
「がっ、あああああッ!」
重なる裂帛の気合。全力全開で力の放出を続けるスティーヴンと、呪法障壁を展開してそれに耐えるディアドーラ。渦に飲まれ、耐えながらも呪法の弾丸を展開して浴びせるが、スティーヴンは致命傷にならない程度に身を躱すだけで、力を緩めようとはしない。
全身全霊の力の放出にスティーヴンの身体が耐え兼ね、指先から血がしぶく。肩口を。脇腹を。赤い光弾が抉る。胸板に受けた傷から血が噴き出す。それでも止まらない。
力比べ。しかし均衡が破れれば、後は一瞬だった。押し合いに負けたディアドーラが木切れのように衝撃波の渦に飲み込まれて吹き飛ぶ。複雑な衝撃波の渦に巻き上げられていくディアドーラにスティーヴンはそれでも尚、力の放出を止めない。
二重の竜巻を手中で操り、方向を整えて更なる巨大な竜巻に変えるとそのまま地面に叩きつける。地面を抉り砕きながら土砂を吹き飛ばす。そうして肩で息をしながら、スティーヴンはようやく力の放出を止める。
クレーターの中心にディアドーラの姿はあった。呪法障壁と身代わりの術で耐えられるだけ耐えたのだろうが、継続的に放たれた竜巻は耐え切れるものではない。その四肢はひしゃげていて、翼の羽根も飛び散り……ぴくぴくと痙攣していた。
スティーヴンが荒い息を整えながら降りてくる。
止めを刺すべきかと考えるも、ユーフェミアがわめくディアドーラを夢の世界の牢獄に放り込んだという連絡が通信機に入ったところで、スティーヴンは構えを解いて大きく息を吐いた。ユーフェミアの前でディアドーラの死を見せつける必要もないだろう。
そうしている内にバロールが飛んできて封印術を叩き込んで箱詰めにしていた。
「……さっきの話の続きだがな。知恵ってのは、何でもかんでも解き明かすのが目的じゃなくて――みんなで幸せになるために使うものだろうが。俺は……あんたほど頭は良くないが……暮らしの中で、みんなの為に頭を捻ってる時は……そうだ。楽しかったがな。そんな程度で十分なんだよ。まあ、聞こえちゃいないだろうがな」
スティーヴンは少し目を閉じてかぶりを振ると――マジックシールドを蹴ってその場を離れていくのであった。




