番外385 闘争前夜
偵察隊が本隊へと戻り、そこから更に進んで敵軍は少し早めの野営に入った。狼煙が上がったことで、待ち伏せや罠等の警戒が必要なエリアを、明るい内に進軍できるように調整を行っているのだろう。
まあ、こちらの選択としては待ち伏せではあるが、迎撃の構えを見せて待つ形だ。昼でも夜でも関係なく対応できる。
敵方は――野営場所周辺を飛行部隊が飛び回って、伏兵がいないか入念に見回っていた。その関係上、ハイダーの頭上を竜騎士が飛んで行ったりもしたが、とりあえずこちらに関しては問題なさそうだ。
「敵が動きを止めて野営して……この分だと明日の昼頃に迎撃拠点に到着する事になりそうですね」
「こちらの夜襲や行軍中の伏兵を警戒しているのでしょう」
エリオットが地図上で敵の行軍速度と位置関係を見て頷いた。
「となればあまり気を揉まず、ティアーズ達を見張りに立てて、今日のところは休息に時間を使うのがいいのではないでしょうか」
「それは確かに」
「気が張っている場合は、魔道具を使って就寝するのも良いかも知れませんね」
そんな会話をエリオットや侯爵と交わし、夕食を済ませたら明日の戦闘に加わる事になる者達は早めに休む、と。
「ティアーズ達がいるから進軍等々、明らかな動きがあればすぐに気付けるとは思いますが、小さな異変はそうとも限りません。念のため我らの部下達に交代で見張りをさせておきましょう。甲板と艦橋にそれぞれ人員配置をしておきます」
と、エルマーが言う。彼の部下達が夜間は交代でモニターを見張り、小さな状況の変化がないか見ておく、ということで話が纏まった。
そうして早めの夕食を済ませ、風呂にも入って小ざっぱりとしてから船室で寛ぐ。
「良いお湯でした」
と、グレイス達が風呂から戻ってくる。紅潮した肌とほのかに湿った髪、染髪剤の香りがふわりと鼻孔をくすぐってくる。
「おかえり」
「はい。ただ今戻りました」
答えると一緒に戻ってきたアシュレイ達もにこにこと笑う。
俺達の使っている船室は少し改修され、みんなで広々としたスペースが使えるようにと、絨毯を広げて床面の上で過ごせるようにしてある。
航行中に就寝しても大丈夫なよう、寝台から転げ落ちないような機構も元通り残されているが、停泊中はみんな床の上を広々と使って寛げるというわけだ。ローテーブル等々も設置できて、そのままお茶等も楽しめる。
今日はのんびりと循環錬気に時間を使って過ごそう、ということになっている。既に風呂から上がっているシーラも絨毯の上を転がったりして、意識してだらけに行っているのがわかる。
イルムヒルトも人化の術を解いて床に寝そべり、転がってくるシーラにタイミングを合わせてすれ違い様に軽く尻尾の先と掌でタッチしたりと、遊びとも何ともつかないコミュニケーションを取っていたりして。
グレイスはそんなシーラとイルムヒルトの様子に少し破顔して、俺の近くに腰かけてくる。
「明日……ですね」
「うん。緊張したり、肩に力が入ったりしてない?」
メイナードの事もある。ベシュメルクに関しては因縁も多いし。
そう尋ねるとグレイスは心配いらないというようににっこりと微笑んだ。
「私は大丈夫ですよ。テオやみんなが一緒なら、いつだって。でも、ご先祖様が守ろうとした国ですから……そういう意味で言うなら気合は入っていますね」
グレイスは静かに言う。そうして、何の気なしに顔を寄せてきて――そのまま唇に触れるだけの軽い口づけをされてしまった。
少し気恥ずかしそうに頬を赤らめてはいるが、グレイスは俺の表情を見ると、悪戯が成功したというように嬉しそうな表情を浮かべていた。
「ふふ、たまには吸血鬼みたいに……でしょうか? こんな風に言えるぐらいには、私自身の種族にも、誇りを感じられるようになりました。この力は、初めから誰かを守るためにあったもので――それをリサ様やテオが守ってくれているから、私もこうして大切な人達と一緒にいられるんだって、そう思えるんです」
グレイスは大切なものを抱えるように、胸のあたりに手をやって言った。ああ。そうだな。メイナードの行動は……グレイスにとっては嬉しいもので。オーガストを倒した以上、フラムスティードの名も取り戻したと言える。
「――そっか」
「はい」
俺の言葉に微笑んで頷くも、少しだけ表情を困ったようなものに変える。
「ああ、でも抜け駆けみたいな形になってしまいました」
「あー……うん。まあ、ね」
視線を周囲に向けると、視線の合った先でローズマリーとクラウディアが少し頬を赤らめて咳払いしていた。明日が決戦なのでのんびりと循環錬気などして過ごす、ということになってはいるが……。
「ん。抜け駆けはよくない」
そう言ってシーラも転がってくる。マルレーンも頷くと嬉しそうに近付いてきて……2人から軽いキスをされてしまう。そんな光景にステファニアやアシュレイはくすくすと笑って、交代というように近付いてくる。
「私もね。今の生活は好きよ。一緒にいて楽しい人達と……誰かを守れる、笑顔にできる。憧れていたものに近いわね」
「憧れというなら、私もそうです。みんなと一緒に誰かの力になれるというのは……嬉しいです」
ステファニアとアシュレイはそんな風に言って、口づけをしてきた。柔らかな感触と香り、それから体温を感じる。
……憧れか。ステファニアは王族だから我慢していたことを。アシュレイは母さんの話を聞いてそう思ってきた。だから。
「一緒に居られる事が嬉しいっていうのは俺もそうだよ」
そう答えると、2人もにっこりと微笑み、マルレーンも自分もだと言うようにこくこくと頷いていた。
「明日は、頑張りましょう。あの子達も、助けてあげないと」
イルムヒルトが言う。双子のことだな。囚われているという点で言うなら、イルムヒルトが捕まっていた時と同じだな。そっと顔を寄せてきて、唇が触れる瞬間、背中をくすぐるようにイルムヒルトの尾の先が撫でていった。そうして離れてにっこりと笑う。
「そうだね。あの2人が戦っているのは、自分の意思じゃないし」
「私としては、こうして過去の因縁に自分の手で決着をつけられるというのは吝かではないわね。みんなと一緒なら、道を違えずに進めると思っているわ」
「わたくしが言うのもなんだけれど、連中はとっくに越えてはならない一線を踏み越えているものね。ま、王族の矜持というものは叩き込んでやらなければならないかしら」
クラウディアとローズマリーもそんな風に言って。2人は照れ隠しするように笑って。そうして口づけをかわす。
「うん。終わらせて来よう。もう連中には好きなようにはさせない」
「わたしも、がんばる」
マルレーンが気合の入った面持ちで言う。微笑ましいものを見るように笑って、みんなで頷き合う。そうして顔を付き合わせるように寝転がり、手を取り合って循環錬気を行う。
みんなの魔力と、そしてお互いへの気持ちが混ざり合うように、循環錬気の効果を高めているのが分かる。
温かな感覚が胸の中に広がっていくようでもあり、暖かな海に浮かんで溶けて広がっていくような感覚でもあり……それに身を任せながら、互いの魔力の調子を整えていく。
そして静かに、戦いの前夜は過ぎていくのであった。
――明くる日。循環錬気に長い時間を当てただけに相当に魔力が研ぎ澄まされている。身体も思考も軽く、目を覚ました時点で調子が良いと分かるほどだ。指先に魔力の輝きを宿し、それを消失させて拳を握る。
普段よりも割増で調子が良いぐらいだな。お互いへの気持ちであるとか、目的であるとかを確認しあったから、相乗効果がでたのかも知れない。
これなら十全に戦える。迎撃戦は……敵の進軍ペースを考えるに昼を少し過ぎたあたりになるだろうか。昼食の時間や内容も調整し、コンディションを維持したまま連中をきっちり迎え撃つとしよう。