番外367 呪法王国の侯爵
「戻ったわ」
「ただいま……」
「前線基地まで戻ってくると安心しますね」
コルリスと共にローズマリーやシグリッタ、ライブラ達も前線基地に戻ってくる。
「おかえり」
皆と一緒に、そう言って帰って来た彼女達を迎えると、ローズマリーは「楽な仕事だったわ」と羽扇の向こうで笑っていた。
地中を泳ぐ魚のような形状を取ったメダルゴーレム達も前線基地に撤退してきている。シーカー達を乗せて帰って来た者もいた。
コルリスやティールとしては地中を泳ぐ土の魚に何か思うところがあるのか、飛び込んでくる魚を目で追ってくいくいと首を上下に動かしていた。うむ……。まあ、これで撤退完了というところか。撤退してきた魔法生物、メダルの枚数も間違いない。
「――ご無事で何よりです、マルブランシュ侯爵」
前線基地の出撃用の部屋に、シリウス号側から駆けつけてきたエレナが姿を見せる。彼女の姿を見たマルブランシュ侯爵の目が大きく見開かれた。
「エ、エルメントルード殿下……!? い、いや……あのお方のお孫……?」
そんなマルブランシュ侯爵の動揺を隠せない声に、他の4人の貴族達も驚愕の表情でエレナを見やる。エレナは微笑んでそれに応じる。
「ふふ。初めて出会った時の事ですが……大人達が話をしている時……。貴方の姉上と一緒に、お城の中庭で花の冠を作ったことを覚えていますか? 貴方は別の遊びをしたいと言っていましたが、いざ作ってみると随分熱中していましたね」
そんなエレナの言葉に、マルブランシュ侯爵の表情が驚愕のままで固まり、よろけるように前に出る。「お、おお……」と、口からは驚きとも感動ともつかない声が漏れていた。
マルブランシュ侯爵の記憶そのままの姿と仕草だった、ということかも知れない。先程の短いやり取りの中で本人に間違いないと確信させる部分があった、ということなのだろう。
「……魔法による眠りについていたのです。お互い詳しい事を話す前に……貴方がたの家族については一先ず大丈夫、という話を耳にしているのですが、それは間違いありませんね?」
数瞬の間を置いて、マルブランシュ侯爵が再起動する。咳払いをすると冷静な態度に戻る。
「そう……ですな。私は領地に使い魔を置いておりましたので。隷属魔法をかけられる前に幽閉中に幾つか取引をしたのです。私からは……外の者に団結を呼びかけるような事もしない、噂話を否定するような事もしないなどと言ったところですな。代わりに、私や彼らの家族についての嘆願をしました」
侯爵は行動に制約があるからか、少し言葉を選びながらそんな風に言った。
そう、だな。侯爵と4人の宮廷貴族の家族らに関しては――マルブランシュ侯爵が地方に持つ領地に送られた、という情報を得ている。
王の言い分では「侯爵の家族達まで責任を問おうとは思わない。だが、治安維持の観点から王宮には留め置けない」という話であったらしい。
王の公明正大さを示す話として広まっていたが……蓋を開けてみれば侯爵の交渉手腕と、ザナエルクの利害が一致しただけと言うことなのだろう。
使い魔がいる事を上手く利用して、交渉のテーブルにつかせた、ということになるか。絶体絶命の窮地からよく踏ん張ったものだ。
ともあれ、家族については地方にいる使い魔や家人達がその安否を確認したらしく、ザナエルクが一先ず約束を履行したのも間違いない。とりあえずは王都でまた救出のために暴れるなどということも必要ないというわけだ。
それと……侯爵は取引の内容について「など」とぼかしていたが、ベシュメルク王国の秘密についても伏せるように約束をさせられたと見ておくべきだろう。
「喫緊の懸念事項もないのであれば……。まずは……隷属魔法を解除することから始めましょうか」
「そ、そんなことが可能とは……いや。その前に、お礼を言わせて頂きたく。事情についてはまだ分からない点も多いのですが、命を救って頂いた事に感謝を致しますぞ」
マルブランシュ侯爵が言うと、4人の貴族達も礼を言って、作法に則り頭を下げ、感謝の言葉を口にしてくる。
「俺達は以前助けられたからな。ようやく恩を返せたような気がするが……礼を言うならこっちの方だ」
「そうね。ありがとう、マルブランシュ侯爵。私達みんなが命を繋げたのも、貴方のお陰だわ」
スティーヴンが言うと、ユーフェミア達もマルブランシュ侯爵に口々に感謝の言葉を伝えていた。
「それは……礼を言われるようなことでは……そもそも王国の……ああいや、言葉が出てきませんが」
生体呪法兵計画絡みの事は隷属魔法の禁止事項に抵触してしまうか。そもそも王国の研究の被害者であるのだから、それを手助けをしたからと礼を言われるようなことではない、というような事を言いたかったのだと思う。
「やはり、隷属魔法をどうにかしないといけませんね」
「そうですな。しかし、かけた術者でもなく、開錠の魔道具もなしに……そんなことができるのですか?」
俺が言うと、マルブランシュ侯爵が尋ねてくる。
「隷属魔法の解除術式の仕組みも、少し前に知り得る機会がありましたので。例えて言うならですが、合鍵を作る事はできますよ」
そう言って竜の兜となっているウィズを脱ぐと、マルブランシュ侯爵達は意表をつかれたのか何度も目を瞬かせる。
まあ……合鍵を作るとは言っても、循環錬気とオリハルコンによる分析や、封印術の応用が必要なので、余所で同じことがそうそう簡単にできるわけでもない。特殊な例なので隷属魔法自体が揺らぐようなことではない。
というわけで前線基地からシリウス号に場所を移し、侯爵達に対呪法用の装備やら身代わりの護符やらを渡しつつ、隷属魔法の解除作業を行うこととなった。お互い自己紹介を交えつつ、まずはこちらの事情を色々と説明していく。
「そうして、私達は王城に忍び込み、情報を探っている内に彼らと出会ったのです」
と、エレナが最近の出来事に至るまで説明をする。話を聞いている間、マルブランシュ侯爵は静かにこちらの言葉に相槌を打ちつつ耳を傾けていた。エレナの恩師が既に故人だと聞かされた時は、侯爵も痛ましげに表情を曇らせていたが。
その一方で……並行して進めている隷属魔法の解除作業はこれで最後だ。背中に手を触れて循環錬気で情報を読み取り、封印術で隷属魔法の動きを阻害。その間に合鍵となる術式を構築、オリハルコンで波長を合わせて開錠する、といった具合だ。
宮廷貴族の一人の身体が白く輝いて、何かが砕けるような音とともに光の粒がその身体から散る。
解除された貴族は驚いたように掌を閉じたり開いたりしていたが、やがてこちらに向き直ると真剣な表情で頭を下げてくる。ウィズのサポートもあるので解除の難易度は更に下がっているしな。
「驚きました……。私は大した魔術師ではありませんが、隷属魔法を非正規な方式で解除するなど、聞いたこともない……。いや、敬服いたします」
「いえ。お役に立てたようで何よりです。ですが、他言無用でお願いしますよ。独自の技術ではありますが、隷属魔法の非正規の解除手段があるなどと広まると、色々影響が大きいので」
オリハルコン等々については詳しく話せないし、半分冗談めかしつつ笑ってそう答えておく。そんな俺の言葉に、侯爵達は苦笑して頷いていた。
「……ふむ。これでこちらも色々と腹を割ってお話ができますな」
そうして、侯爵がふと真剣な表情になってそう言うと場の空気も引き締まったものになった。隷属魔法がそのままでは事情も聞けなかったからな。とはいえ……。
「そうですね。僕達としても色々聞きたい事がありますが。体調の方は大丈夫ですか?」
「一応、嫌疑のかかった貴族として幽閉されている形でしたからな。自由はありませんでしたが、交渉に絡んだ事情もありましたし、処刑の際の外聞についても気にしていたからか、そこまで過酷な環境に置かれていたというわけではありませんぞ」
そう言って侯爵は柔和な笑みを浮かべ、4人の貴族達もうんうんと頷く。なるほどな。
俺が頷くと、侯爵が言葉を続ける。
「本来ならば門外不出の話。とはいえ……エル――いや、エレナ様が承知の事とあれば、話をしても問題はありますまい」
「私からもよろしくお願いします、侯爵」
エレナがそう言うと、侯爵は静かに頷いて。そうして話を始めるのであった。




