番外356 夢と呪法と
草原を――風が撫でるように通り過ぎていく。抜けるような青空。色とりどりの花と、遠くに霞む山々。遠くに壮麗な印象の城も見える。
「稜線が綺麗ですね」
と、グレイスが微笑み、マルレーンが遠くを見ながらこくこくと微笑む。
「本当に。穏やかで良い場所だな」
ユーフェミアの能力は、説明するより体感してみる方が早いということで……夜も更けていたので風呂等に入ってから眠るということになったのだが。
そうして「呼ばれた」のがこの場所だった。夜間の見張りを残した俺達全員と、スティーヴン達を纏めてユーフェミアの見ている夢の世界に招待してもらったわけだ。
グラズヘイムのような夢魔とも戦ったし、ホルンと共に他者の夢に色々と潜ったから分かるが……普通の夢は細部が曖昧なのに、ユーフェミアの夢は現実との差異が分からない程の圧倒的な臨場感があるというか、ディテールがあるというか……。これにはホルンも驚いているようで、目を瞬かせていた。
「気に入ってもらえた?」
と、どこからともなく少女が現れる。ユーフェミアだ。見た目は年端もいかない少女だが、実年齢はもっと上ということで、落ち着いた雰囲気があった。
「素敵な場所です」
アシュレイが微笑んで言うと、ユーフェミアも微笑みを返す。
「ありがとう。初めまして。ユーフェミアよ」
そう言ってスカートの裾を軽く摘まんで膝を曲げ、挨拶をしてくる。こちらも各々自己紹介を返した。
ユーフェミアが指を慣らすとちょっとした煙と共に敷布が空中に出現して。ティーセットと茶菓子まで用意されている。
「お茶でもどうかしら」
「それじゃあ、お言葉に甘えて」
と、みんなで敷布に腰かけてお茶とお茶請けを頂く。
「ユーフェミアは俺達の中では珍しく出身が分かっている。地方に住んでいた劇作家の令嬢でな」
スティーブンが言う。イーリス達はユーフェミアの夢を知っているからか、慣れた様子で寛いでいた。
「劇作家――」
「物心ついた時には本を読んで、その風景を空想したりしてね。見たことのない世界を想像するのが趣味だった、ような気がするわ。夢の中でさえ、色んな世界を思い描いてね」
ユーフェミアが遠くを見るようにして言った。だから、こうした臨場感のある世界を夢の中に作る事ができたのだろうか。
「その内に……両親が事故にあって亡くなり……遠い親戚に遺産をだまし取られてね。私は孤児院に引き取られたわ。私に残されたのは父の蔵書が少し……ぐらいで。ますます本の虫になっていたわね」
そう言って苦笑する。
「孤児院に引き取られてから……私の夢の中に、周囲の子供達が迷い込む事が少しずつ増えていった。みんな同じ夢を見て……最初は子供達はその事を不思議がっていたわ。私自身、自分にそんな力があるなんて、最初は知らなかったんだけど……」
そうこうしている内に……夢の世界で揉め事が起こった。単なる孤児同士の喧嘩だったが、現実でも痣や擦り傷が残っていたという。それで孤児院は、ちょっとしたパニックになった、らしい。
それを知ってか知らずか。中央から魔術師が調査にやってきた。
元々孤児の中から呪術の才能を持つ者を見繕う役割だったのだろうが、ユーフェミアの特殊能力を見出して魔術師は大層喜んでいたそうだ。
ユーフェミアの場合は――呪術の適性が高かった。
ユーフェミアには、あまり選択肢が無かった。次は死人が出るかも知れない。能力を制御できるかも知れない。そんな言葉に促されて、研究施設に引き取られたというわけだ。
研究する魔術師側としては、対象を選んで夢の中に引き込み、圧倒的に優位な状況から暗殺する、といった運用を考えていたらしい。
行く行くは能力を模倣して、同じような力を持つ呪法兵を作ろうだとか、夢の世界を利用して呪いを増幅し、魔界への門を開けられないか、など、色々と勝手な計画を立てていたとか。
そうしてユーフェミアは術を受けて能力を強化された。力の増大と共に段々と起きている時間よりも眠っている時間の方が長くなったそうだ。能力故の代償のようなもの、らしいが、ユーフェミア自身が眠りを望んでいた部分もあるそうだ。
「現実に夢が侵食し始めたわ。想像したものを外に持ち出せるようになって。私が離れると幻影のように消えてしまうけれど、ね。いつか、私の夢が周りのものを全部飲み込んでしまうんじゃないかって……怖かった、わ。でも、しっかりと夢の世界を固定することに力を割いてしまえば……無駄に人を巻き込んだり、現実を侵食したりすることもない」
つまり……五感に作用する程の強力な暗示の幻覚と、夢で起こった事を現実に反映する「呪い」の合わせ技が、ユーフェミアの能力の正体だ。
ユーフェミアが現実に剣を具現化させて人を斬れば。それは結果もそのように現れるだろう。夢の中ならもっと色々と自由にできる。絡繰りを知らなければ対処の難しい、極めて強力な力と言える。
自身を夢の世界の主として固定しているから……それが肉体にも作用して歳を取らない、というわけなのだろう。
「精神支配は私の能力とぶつかり合って、上手く機能させる事ができなかったみたい。結局眠り続けるだけになってしまった私をどうにもできなくて、現実では術式で私の能力の再現するとか、そういう方向に研究は動いていったようね。私は何も知らなかった。どのぐらい眠っていたのか、時間は曖昧で……いつだったか、エイヴリルと出会ったわ。夢の中にいた私に、現実側から話しかけてきて……酷い実験のことを教えてくれたの」
「私の場合は……自分の能力故に、精神支配が解けてしまったのね。共振で感情を動かす事ができるから。だから……支配を受けたままの振りをしながら考えたわ。どうしたら……みんなを助けられるか。ユーフェミアと友達になって、夢の世界に仲間達を呼び込んで……」
と、ユーフェミアとエイヴリルは顔を見合わせてそんな風に語り合う。
「精神を共振で揺さぶって、心を取り戻させていったということかしら」
「夢の中なら、堂々と作戦を立ててもばれる心配もないものね。現実の城と同じようなものを作って、脱走の予行演習も可能なのではないかしら?」
「ん。それは……便利」
クラウディアの言葉に、ローズマリーが目を閉じて頷く。シーラがローズマリーの言葉に同意すると、ユーフェミア達も笑みを返してその推測を肯定していた。
そうして心を取り戻し、逃げ出して自由を得た、というわけだ。
「みんなに向けられた呪いを止めている、というのは?」
イルムヒルトが首を傾げて尋ねると、ユーフェミアが答える。
「夢の中に囮の人形を作って、そちらに呪いを向けさせてしまえば良い、というわけね。その後は地下に作った檻の中に閉じ込めているけれど……強力な呪いだから、偽者に騙されはしても、まだ目的を達成できていないって分かるみたい。破壊しても再生して、囮の人形に襲い掛かってもうずっと暴れているわ。私にとっては、大した負担でもない、けれどね」
「だから……ユー姉は、能力制御に熟練した今になっても目覚める事ができないの」
イーリスが少し悔しそうに言った。
「私は……今のままでも……。現実への侵食も不安なのよ」
「だがみんなは、お前と一緒に歩いていきたいとは思っている。呪いの元を断って、今度こそみんなで自由を勝ち取りたい、とな。侵食は……きっとどうにかなるさ。他人を巻き込まない方法を見つけた、お前ならな」
スティーヴンが言うと、ユーフェミアは自信がないのか、少し表情を曇らせた。
なるほどな……。事情は分かった。クラウディアや……みんなもユーフェミアの事情には思うところがあるのだろう。俺に視線を向けてくる。
そうだな。クラウディアの事情に、少し似ている気がする。だとするなら、答えは一つだ。
「そういうことなら。諸々何とかできるんじゃないかと思う」
そう言うとスティーヴン達の視線もこちらに集まった。
「まず呪いをどうにかしてからっていう前提になるけれど。ユーフェミアの能力が日常生活中に発動しないように封印術を施すことで、侵食が起こらないように対処することは可能だと思う」
「そんなことが……できるの?」
「見込みはかなり高いと見積もっているよ」
そう言って頷く。
「実例として……参考になるか分かりませんが。私は、ダンピーラですが、封印術のお陰で吸血衝動等もなく、普通の生活ができていますよ」
そう言ってグレイスはユーフェミアににっこりと微笑むのであった。