番外342 南東の城塞都市
フィリップの待つデボニス大公領南東部に向けてシリウス号は進んでいる。
港のある都市で、西の海とはほとんど隔てられているが、運河を通ってバハルザードや公爵領、西の海洋諸国との交易が可能である。
そこに物資を集積したりして前線基地の役割を持たせているというわけだ。対ベシュメルクを考えた場合、防御――つまり海側の迎撃の要ともなる都市なのである。
俺達の作戦が失敗して撤退を余儀なくされた場合はそこに撤退をする予定であるし、後詰めの面々もそこに待機するということで、既に転移での行き来も可能な状態にしてある、というのが現状である。
ともかく、もしもの場合の防衛等々のイメージを固めておく上でもみんなで立ち寄っておく、というのは必要な事だろう。
「ところで……ベシュメルクの王都への余所者の立ち入りは、やっぱり難しい? 身分証みたいなのがないとダメ、とか言っていたけれど」
と、シーラが流れていく風景を見ていたエレナに尋ねる。エレナは少し思案して、それから言った。
「私が知っている当時での話になりますが……ベシュメルクでは国民の身元を出生時や転居、婚約、死亡等の折に記帳し、管理する、という方策を取っていました」
……戸籍制度に近いものだな。国としては管理がしやすくなるし、国民側としては身分の証が立てやすくなる、治安も良くなるといったメリットもある、が……。ベシュメルク王の性格を考えるとな。
ともあれ潜入する側としては身分証明ができないから立ち回りが難しくなるというわけだ。
「ただ……今代の王になってから、その制度を更に厳格なものとするように立案されたのです。例えば犯罪歴を持つ者に対しては、以後の行動や居住区域等々に制限をかける、といったような」
エレナの語るところによると……まず試験運用として、王都やその周辺都市に住まう国民に対して、いくつかの等級を定め、地域への貢献等々の模範的な行動があれば等級が上がって幾らかの特権が与えられ、逆に問題行動が認められた場合は等級が下がり、行動に制限が加わる……という制度が考えられたそうだ。行く行くは戸籍制度と統合しての全国規模での運用をベシュメルク王は目指していた、らしい。
「何というか……暮らしていくのが窮屈そうに思います」
アシュレイが言うとマルレーンも表情を曇らせて頷いた。エレナも残念そうな表情で答える。
「師や私も……そういった制度変更があまり良いものであるとは思えず、反対意見も言ったのですが……。等級の低い者だからと無碍に扱うことはない、程度の軟化しか引き出せず……結局、制度自体の運用は始まってしまいました。身分証を作ると言っていましたから、今となってはそのあたりの制度も盤石になっているのではないかと……」
エレナがそう言って目を閉じる。等級に加えて身分証。それでは余所者が王都に入り込んで色々と活動するのは確かに難しい。
等級の低い者に対しての扱いにしても……不満を溜め込んで暴発しない程度の扱いに留める、ということだろう。治安が悪化する結果になっては本末転倒だからだ。
それと……ベシュメルク側としてもあまり極端な事をしなければ、国民が逃げ出して周辺諸国の目を引くというようなこともなく、情報等々を遮断して閉鎖的な環境を作れる。
過去の経緯を考えればベシュメルクとしても目立たないように動くだろうから……例えばバハルザード王国の元宰相カハールのような分かりやすい形――民に重税を課して私腹を肥やしたり、というのは逆に無さそうだ。
とはいえそういった話も、あくまで表向きは……に過ぎない。現に、舞台裏ではエレナの一件が起こっている。対応する側の目線としては……厄介なのはベシュメルクに間違いない。
「……貢献と言えば聞こえも良くなるけれど、そういった制度では国民同士の密告を奨励しているようなものね」
「隣人同士での監視に加えて、王国の体制に従順な者を上流階級として置くことで、重要設備の周辺に住まわせれば……周辺住民全員が監視の目として機能するわね。……その制度を利用して体制を強固なものにする方法なら色々考えつくわ」
クラウディアがかぶりを振って、ローズマリーも肩を竦める。
「それは……住民が潜在的な敵、みたいなものね。敵と言っても戦って解決するわけでもないし……」
「そうだな。ますますホルンが居て良かったとは思うよ」
困ったような顔のイルムヒルトの言葉に頷く。ホルンもこくこくと首を縦に振って同意していた。俺達の想定している敵はあくまでベシュメルク王。ベシュメルクの国民に悪印象を持たれてもデメリットの方が多い。
「その制度での、冒険者の扱いというのはどうなっているのかしら?」
と、ステファニアが尋ねる。
「制度については試行されたばかりで事細かに把握しているわけではないのですが……ベシュメルク出身かそうでないかで、中央の都市内部で活動できるかどうかを分類することになった、はずです。元々の等級もそこに加味されるのでは、と思います」
「冒険者である前に国民であるから、実績を積めば等級も上がる、という具合でしょうか」
「そうなると思います。当時の延長からの推測が混じってしまうのが恐縮ではありますが」
エレナがそう言って目を閉じるが……十分過ぎる程有益な情報だろう。制度等は根付くのにも時間がかかるし、一度目指して動いたものを、現在盤石なものにしているかどうかという、それだけでもベシュメルク王の性格の一端を見る事ができる。
「やはり完全な隠密行動が正解、となりますか」
エリオットが顎に手をやって言う。
「そう……ですね。大人数での行動はやはり難しいかと思います。幸いエレナさん、エルマー卿やイチエモンさんが同行してくれていますし、情報は通信機でやりとりできますから」
「情報をやりとりすれば、エレナ殿の情報や、諜報部隊の目線で動ける、ということでござるな」
「全力を尽くしましょう」
と、イチエモンとエルマーも頷いていた。
そうしてシリウス号は進み、やがて、最初の目的地であるデボニス大公領南東部の都市が見えてきた。
南方の港町、ということで明るい雰囲気だ。白い壁と赤屋根で統一された民家、青い海が何とも美しい。
但し、海の要衝となるべくして作られたということで、岸壁の上に城下街が作られていて……岸壁の下にそれなりの規模の港町があるという……上下に分かれる構造になっている。岸壁下の港町も日当たりが良さそうで何とも、明るい雰囲気ではあるが。
海に迫り出した突端部分に監視塔兼灯台。街の中心部に城。その近くに月神殿……と。
海側から見ると非常に攻めにくく、かといって上の城下町には立派な外壁があり、陸地側から攻められても籠城して耐えつつ、大公領の内陸部から援軍が来るのを待つのにも向いている。天然の城壁、要塞として期待されて作られた街だと言えよう。
「後詰めが待機する場所としては、良いな。守りやすそうな都市だ」
街の全貌を見たところで、テスディロスが感心したように言った。テスディロスの傭兵などの経験から言っても好印象な都市であるようだ。
「これはテオドール公。お待ちしておりました」
船は近隣に迷彩を施して待機させて都市に向かう。俺達がこっちに来ている事は秘密ではあるので、偽名を名乗るわけだが、きちんと通達も行き届いているようで。すぐに兵士達が城へ案内してくれて。到着を知らされたフィリップがすぐに出迎えにきてくれた。
挨拶もそこそこに、城の一角に案内してもらう。
作戦継続中は割り当てられた部屋をいつでも自由に使って良い、ということになっている。まあ、俺達はシリウス号で出撃してしまうわけだから、ベシュメルク潜入中は後方の城に居室が確保してあっても使わないが……今回の作戦全体を通して見ればヴェルドガル国内最前線の拠点としての意味合いがあるわけだ。
「ありがとうございます。物資の集積に関してはどうでしょうか?」
「そちらも滞りなく。兵器、食糧共に十分な量を輸送済みで、後詰めの方々が合流なさっても、当分籠城できる程度にはなっておりますよ」
フィリップがそう言って相好を崩した。よし。これなら諸々問題なさそうだな。ここで一泊し、体力、魔力等々を充実させてからいよいよベシュメルク潜入に臨むということになる。