99 遺産
道中は平穏そのものと言っていい。茶を飲んだり砂糖菓子を摘まんだりしながらみんな思い思いの時間を過ごしている。
「マルレーン様。こういうのはどうでしょうか?」
マルレーンは刺繍に挑戦中だ。グレイスとアシュレイも自分達の刺繍を進めながら、時々マルレーンにアドバイスをしている。マルレーンは真剣な顔でこくこくと頷きながらも、割合楽しそうに作業を続けているようである。
イルムヒルトはゆったりとしたテンポの曲をリュートで奏でていて、シーラは自分の武器や鍵開け用の道具の手入れをしているようだ。
カドケウス、ラヴィーネ、ウロボロスは一ケ所に集まって目を閉じている。イルムヒルトの奏でるリュートが心地良いのだろう。
全体的に割とのんびりした時間だ。街道に沿った空の旅だから滅多な事もあるものではない。順調なのは良い事だろう。
『テオ君。そっちの調子はどうだい?』
『さっきシルン男爵領の上空を通過したところだよ。ところで新しい魔道具について考えがあるんだけど』
『あはは。君は本当に手持ちの札が多いねぇ』
と、アルフレッドから送られてきたメッセージに返信。定期的なやり取りをかわす。
魔法通信機の方は、タームウィルズからは結構離れたが調子は良好と言っていい。問題なく向こうとのやり取りもできている。
それだけでは時間が余るので、紙に羽根ペンで書き物もしている。アルフレッドに打診中の新魔道具に関する物だ。
せっかく専属の飛竜を持てたことであるし、リンドブルムと召喚獣のように契約を結んで、必要となった時に呼べれば便利だと思うのだ。
基本的な召喚と送還の魔法の詠唱を紙に書き起こしているところだ。
魔力資質が向かないと召喚魔法ができないという一点が解決できれば良いのだから、マルレーンから魔石に魔力を注いでもらう事で、召喚用の魔道具を製作する事ができる。
これは魔石に溜めこんだ魔力を消費すればまた込め直さないといけないので、普通は術士への依頼料も馬鹿にならないのだが……。まあ、召喚術士が身内にいるからこその話ではあるか。
……そうすると俺の魔力を込めた魔石を使って攻撃用の魔道具を作ったり、アシュレイの魔力を使って治癒用の魔道具も作れるだろうとは思うが。
うーん。やはり魔石に魔力をチャージしなければいけないから、使用はその都度1回限りになるな。ここぞと言う時に使う感じか。
術式を刻む魔石も別に用意しなければならないが……あまり複雑な術式は刻めないから大魔法も込められないし、やや使い勝手が悪い。
試行錯誤しながらバランスを考えていると、外でリンドブルムが一声鳴いた。
外を確認してみると、覚えのある街並みが段々と近付いてくるのが見えた。
『伯爵領が見えてきたみたいだ』
『どうやらその辺までの通信は問題ないみたいだね。邪魔になるといけないから、何も無ければしばらく文章は送らないでおくけれど』
『分かった。お互い、何かあったらという事で』
という事で、一旦アルフレッドとのやり取りを終える。
「リンドブルム。近くの森の中に湖と大きな木が見えるだろ? あっちに行ってくれ」
リンドブルムは小さく声を上げる。3頭の飛竜の中では、歳若いながらもリンドブルムがリーダーシップを発揮しているらしく、俺が指示した方向に向かって竜籠が下降していく。
正確な位置は伯爵領の外にはなってしまうのだが……。森の中、湖のほとりにはガートナー伯爵の別宅があるのだ。
別宅というのは名目上の話だ。馬鹿げた太さの巨木の幹に螺旋階段がくっ付いていて、樹上に居住空間が作られているという……木と一体化したような、中々に風変わりなデザインの家である。
木魔法や土魔法を駆使して作られた家だ。作り自体はしっかりしているが、貴族の別荘や別宅と言うには趣を異にするだろう。
魔女の家などと伯爵領の子供達が噂しているのを聞いた事があるが……ま、事情を知らない他人から見たらそんな物なのかも知れない。
それでも正式な話をするなら「ガートナー伯爵の別邸」である。事実として母さんの家だったし、現在の管理者は父さんであるから。
家の前。拓かれた森の一角に竜籠がそっと降ろされる。
リンドブルムや他の飛竜達の鼻先を軽く撫でて労うと、彼らは小さく喉を鳴らした。
「素敵なお家ね」
「面白い」
イルムヒルトの言葉にシーラとマルレーンが頷いている。
「……本当。物語の中に出てきそうな、可愛いお家ですね。ここでリサ様とお二人が暮らしていたのですか?」
アシュレイが興味深そうに家を見上げる。
「ええ。ここに来るのも――久しぶりです」
グレイスが目を細めて、呟くように言う。確かに……父さんの屋敷に引き取られてからは滅多な事では足を運ばなかったからな。色々と、思い出が多すぎて。まあ、毎年墓参りには来ていたけど。
例によってスノウゴーレムを作って家の周りの雪を除けていく。除雪作業は彼らに任せて、荷物を運び込んでしまおう。
螺旋階段を登って、入り口の扉に触れて合言葉を呟く。魔法の鍵で施錠された扉だ。開錠の言葉を知っているのは、今となっては俺とグレイス、それから父さんぐらいのものだ。
合い言葉は、俺と母さんの誕生日。それからグレイスに初めて会った日の合計の数字。母さんらしいと言えば、らしい。
扉を開けて家の中に入る。魔法の明かりを浮かべて室内を照らすと……僅かに眩暈に似た感覚を覚えた。あまりに記憶のままで昔と変わらない光景だったからだ。
木の香りがする居間。大きな切り株のようなテーブル。厨房のスペース。
奥の方に寝室へ繋がるドアや、樹上の露天風呂に出る登り階段やら、母の書斎へと向かう階下への階段がある。
大樹の内部にもくり抜かれた空間があり、家の中は見た目以上に広かったりする。
今日はここで一泊。墓参りは明日、日が高くなってから行う予定である。
竜籠の中に積み込んできた荷物や毛布を運び込む。暖炉に火を入れ、魔法で水を作って桶に満たし。
「テオ」
そう言った雑事をしていると、名を呼ばれた。顔を上げるとグレイスとアシュレイがいて。
「ん? どうかした?」
「テオドール様はゆっくりなさっていてください。後の事は、私達が」
「そう?」
「私達は陽が落ちる前に、森で少し狩りをしてくる。夕食を豪華にできるし」
と、シーラとイルムヒルトは、ラヴィーネを連れて出ていった。あのメンバーの狩りでは大猟が確約されているようなものだが……まあ多分、食べ切れない分は飛竜の餌になるのだろう。
さて。俺の方は手持ち無沙汰になってしまうが。――家の中を見て回るのも、悪くないか。
「わかった。それじゃ、俺は家の中やその辺を見て回ってるから」
「はい」
まず樹上の露天風呂に行ってみる。テラスのようになっていて、柵の向こうで遠くの山々などの景色が一望できる構造になっている。
「本当……懐かしいな」
思わずそんな言葉が口を衝く。
ここから見える山々の景色は、何も変わっていない。
……ああ。そういえば確かに……小さい頃は母さんやグレイスと一緒に風呂に入ったりもした……んだっけ。
軽く頭を振っておぼろげな記憶を追い出す。
浴槽を水で満たしておこうかと思ったが、止めておいた。みんなに任せると言ったしな。アシュレイの得意分野なのでここは彼女がやってくれるだろう。
階段を降りて、母の書斎に向かう。
こちらは書物が運び出されて……書棚はがらんとしていた。
魔導書などもあったので放置しておくわけにもいかず、父の書斎の方に運び込まれたりしているのだ。
母さんは子煩悩な人だったが、さすがにあまり書斎には立ち入ってほしくないようだった。魔法絡みの本が置いてあったから当然とも言えるが。
……それを差し引いてもだ。今にして思えば無防備と言えば無防備な話である。
子供に入ってほしくないなら、鍵付きの扉でもつければ良かったのだ。実際立ち入ってもやんわり注意されるぐらいだった。
階段から降りてくれば、そこは書棚と作業用机のある簡素な空間があるだけだ。
そんなに危ない本も、無かったとは思う。ガートナー伯爵邸に運び込まれた母さんの本は、魔法の教本みたいな初心者向けのものばかりで、然程高度な内容のものは無かったし。
「んー……」
そんな事、あるのだろうか?
母さんは相当な腕前の魔術師だったのだし。研究や研鑽ぐらいしていたはずだ。特に、研究。俺の記憶にある限り、そういった痕跡は一切無かった。
俺だったら隠し書庫の1つや2つぐらい作る。もしもそんなものがあるなら、空家に放置しておくのはやや問題があるが……。だが、な。
それに触れるべきか否か。考える。考える。
ただの興味本位じゃないのかとか。家族であっても立ち入るべきじゃない場所はあるんじゃないかとか。
だけれど。俺がここで探さなければ? このままずっと埋もれるのだろうか? それとも――他の誰かがそれに触れるのだろうか?
「……カドケウス。天井と床。それから本棚の裏」
五感リンクして、書斎の隅々まで探索していく。
天井の隅に小さな魔石が嵌っている。
……見つけた。
見つけて、しまった。
さて。居間まで戻り、食事の準備をしていたグレイスに声をかける。
「グレイス。ちょっといい?」
「はい?」
グレイスは微笑みを浮かべてこちらに来る。
「ええっと」
俺は言い澱むが、グレイスは先を促すでもなく、続く言葉を待っている。
「もしもの話をするけれど。母さんの書斎に隠し扉があったりしたら、中を見るべきだと思う?」
中に入るかどうかはともかくとして。グレイスの意見は聞いておきたい。もしもの話に落とし込む事で、2人で見なかった事にする事もできるのだし。
グレイスは唐突な話に目を丸くしていたが、やがてぽつりと言う。
「……もし、リサ様の遺した物があるとするのなら」
俺の眼を見て、真っ直ぐに言う。
「それを引き継いでいいのは、テオだけだと、私は思います」
「そう、か」
グレイスはふと柔らかい笑みを浮かべると、頭を下げて夕飯作りに戻っていった。
ん。そう、だな。
再び書斎に降りる。
「……母さん。失礼します」
レビテーションで書棚の上まで行って、魔石に魔力を送り込む。
書棚の1つが軋むような音を立てて奥へと開かれ、更に階下へ続く階段が姿を見せた。
大きく息を吸ってから、螺旋階段を降りていく。魔術的な仕掛けは施されていない。
……多分、俺やグレイスが何かの間違いで立ち入っても、何事もないようにだろう。
階段を降り切り、魔法の明かりで周囲を照らす。そこが母さんの、本当の書斎だった。
天井が低い。高さ的には既に地下にあるのだろう。高度な魔道書が並ぶ書棚。大鍋。実験器具の並べられた机。
机の上に使い込まれた手帳が置かれているのを見つけた。
軽く中を見てみる。案の定というか、きっちり暗号化されている。読み取れるのは日付ぐらいのものだ。恐らく何かの魔法の詠唱を暗号化したものだとおおよその察しはつくが……これはこの場で解読できるような物でもないな。
魔法の研究書だろうに。端っこに悪戯書きというか、無聊の慰みに描いたような落書きがあるのが、母さんらしくはあるか。
小さく笑って、それから手帳をゆっくりと捲っていく。
グレイスの指輪が、絵として描かれていた。製法についても書かれているようだ。勿論、暗号化されてはいるが。
……ん。充分だな。他にも何かあるかも知れないが。
ここにある物は俺が責任を持って引き取る。
母さんの手帳を握ったまま……俺は暫くの間瞑目した。




