番外270 都の幽霊騒動
都市から十分に距離を取りつつシリウス号を停泊させる。
さて。今回の潜入に関してだが……まずゲンライ達やレイメイの姿を見られるわけにはいかない。同様にヒタカの面々も……見られた場合にレイメイの存在を勘付かれる可能性、ショウエンの矛先がヒタカに向かう可能性を考えると――今回同行してもらうのは難しいだろう。妖怪達は姿を消せると言っても、道士達はそれを看破するのが仕事なわけだし。
万が一の時に備えて、発見された場合の正体が不明であればあるほど良い。
勿論、見つからないに越したことはない。というわけで、魔法による隠密行動を行いつつ……俺とカドケウスで潜入する、ということになった。バロールは――連絡役としてシリウス号に残ってもらう。
「テオ、十分にお気をつけて」
「お帰りをお待ちしていますね」
「ん。油断しない、とは思うけど、油断禁物」
と、潜入前にグレイス、アシュレイ、シーラから声をかけられる。
「ああ。ちょっと行ってくる」
そう言って。みんなと抱擁を行う。柔らかな感触と、鼻孔をくすぐる優しい香り。
「ふふ、テオ君がそう言ってくれると安心できるのよね」
そんなイルムヒルトの言葉に、マルレーンがこくこくと頷いて抱きついてくる。
ローズマリーが小さく笑って肩を竦めた。
「そうね。ベリオンドーラの調査でも殿をして帰ってきたものねえ」
「けれど、もし発見されるような事があったら――その時は……打ち合わせ通りに動くわ」
「状況を見ながら、シリウス号で強襲を仕掛ける、だったわよね。任せて」
クラウディアが言うと、みんなも頷く。ステファニアが力強く言い切った。
そうだな。ショウエンの所在を掴むぐらいの仕事はしたいが。
俺が不在になるので、グレイスの封印も一旦解除しておく。
そうしてみんなに見送られる形で、光魔法と風魔法のフィールドを纏いつつ、甲板から飛び立った。
ハルバロニスの隠蔽魔法で気配を遮断しつつ、光魔法による不可視化、風魔法による消音と温度の遮断……等々、五感や魔法的な探知への対策を色々施しているが……さて。
草原を低高度で進んでいき、外壁に合わせるような形で直角に上昇。飛び越えて都の内部に降り立つ。
都というだけあって、街並みは立派だ。しかし……規模の割に活気がない。
人通りが少なく、兵士も出払っているからか。警備兵の巡回も少ない、というのが余計にそう感じさせる理由だろう。
酒家等もあるが、そういった店は残らず閉まっていた。少し歩いてみるだけでも都市部の民衆には、自由な活動を許しているとは言えない雰囲気がある。
「家の中に生命反応はある、みたいだけど……」
見える反応は女子供、老人……と、非戦闘員が目立つな。
若い男手は徴兵されているか、或いは農作業に従事しているとするならまあ、説明はつくが。
それよりも気になるのは……あまり性質の良くない精霊がやたら目につくことだ。
邪精。魑魅魍魎。そんな風に呼ばれる弱い精霊達ではあるが、普段は物陰に潜んでいるのに、あちらこちらに漂っていて、都市部を覆う魔力が全体的に澱んでいるように思える。
隠蔽魔法の魔道具はしっかり機能しているようで、そんな小さな精霊達の目も誤魔化せているようではあるが。隠蔽魔法を使っていないと、多分俺の周りに集まってきてしまう結果になるな。コルティエーラの加護があるから。
しかしまあ……この光景は魔力溜まりとも違うな……。東国特有の精霊が漂っているということもあり、ちょっと記憶にはないような光景だ。この土地――都を統治しているのが邪仙だから、ということなのだろうか?
状況については魔道具を通して、小声でシリウス号のみんなにも伝えつつ、街を行く。
ショウエンの所在を確認することもそうだが、都内部の様子を共通認識として知っておくのも重要だからだ。
「……儂らの目指すところは精霊に近付くことでもあるからのう。仙人が統治するとなれば、土地に住まう近しい性質の精霊が呼応する、ということはあるかも知れん。仙人が統治するという前例があまりないだけに、推測混じりにはなってしまうが」
ゲンライが俺の疑問に対してそんな風に答えてくれた。
「ゲンライ殿の修行場に関してはどうなのでしょうか?」
「ふむ。あの場所は確かに精霊の動きも活発なようじゃが。顕現していない小さな精霊は感じ取れても通常では目にすることができぬし、最初から清浄な土地を修行の場として選んでおるからのう。単純に比較するのは難しいかも知れん」
「それは確かに」
推測の域は出ない、か。
さて……。目指すところは都市部の中心にある王宮であるのだが……こうして実際潜入してみて、すぐに敵に察知されるかどうか、様子見のために時間を取っている部分がある。
ただ待機しているというのも勿体ないので、街を歩いて多くの情報を集めるというのも並行してこなしているわけだ。
だから、真っ直ぐ中心部に向かうのではなく……街の外れの様子も見ておく。先程、壁を乗り越える時に気になる一角があったのだ。
スラム……と言って良いのかどうかは分からないが、あまり整備が進んでいないように見える区画だ。すえたような臭いが鼻に付く。
区画内に立ち入って様子を見てみる。普通、こういった場所は人の往来があれば雑多な雰囲気もある場所なのだろうが、ここもまた静寂が広がっていた。
ある建物は壁が崩れていたり。何というか、荒れに荒れているという雰囲気だ。……壁やら何やら、人為的な力で壊された建物は――元は酒家……いや、娼館か?
大通りでも酒家が軒並み店を閉じていたことと言い、こういった習俗への風当たりが厳しいということか。
痩せこけた子供が蹲るように路地に座っていたり、壁にもたれかかったまま動かない者がいたりと……。大通りに面したところと違って、一応外にも人はいる。外に人がいるというよりも……彼らには帰る家がないと言うべきなのかも知れない。
巡回の兵士達が通り過ぎるのを待って、路地に蹲る住民達が安堵のため息を吐いたりと……普段の姿がうかがい知れるというものだ。
恐怖政治は行き届いているが、こういった場所に手を差し伸べてまで状況を改善する気が、ショウエンにはないということなのだろう。
「……ショウエンを打倒したら真っ先に何とかしたいな。孤児院と静養院を作るか……。それともまずは食糧……次に毛布、衣服の配給か」
状況を伝えると、カイ王子は眉根を寄せて善後策を練っていた。そう、だな。確かに対策が必要だろう。
横になったまま動かない子供。生命反応が弱々しくて、かなりの危険域だ。
こっそりと体力回復の魔法を用いてやると……軽く呻き声を上げながら上体を起こし、不思議そうに自分の掌を見やっていた。それでもまだまだ空腹なのは変わりないということなのか、音を立てる自分の腹を押さえ、ため息をついて壁に寄り掛かる。
……目に付いたから魔法を用いたが、この状況ではあまり派手には動けないな。ショウエンを倒した後ならば対応もしやすいのだが。
これ以上この場で何かをするより、作戦を次の段階に進めて、対応可能な状況に持って行ってから動くというのが正しい。
スラムを離れ、都の中心部へと向かう。
宮中からの生命反応や魔力反応の動きに注意を払いつつ南の正門側へ向かう。
門番の兵士が見える。街中を色々歩いてきたからよく分かるが、巡回している兵士の数が都市の規模に比して極端に少ない。出払っているのは間違いないが……残りの兵士は外壁と中心部付近に配置されているようで。
さて。ショウエンの所在を尋ねるなら、今ここで、という形になるか。
物陰に入り、ゴーレムを作る。サイロウの副官であったリクホウと寸分違わず同じ形のゴーレムを作り、俺の身体の上から被る形だ。マルレーンのランタンと、妖精の魔道具で質感を再現するように幻術を被せる。ゴーレム外部の様子はカドケウスの視界を通して見る。
風魔法で俺自身の声を加工し……リクホウに似たような声を再現。
「あー、あー。んん……。こんなところかな?」
光魔法の術式を切り、リクホウの皮を被るような形で、正門を守る兵士達の前に姿を現す。
「こ、これはリクホウ殿!」
「今……戻った。ショウエン陛下はおられるか。至急……取り次いで欲しいのだ。不在であれば……その旨、この場で教えて欲しい。陛下以外の余人には……伝えられん内容でな」
「はっ! そ、その。随分と顔色が優れないようですが……?」
「大丈夫、だ。気にする必要はない。それより、急いで欲しいのだが」
「は、はっ!」
脇腹を押さえて青い顔。いかにも具合が悪そうな雰囲気を見せながら、それでも伝えなければならない緊急の用事という雰囲気を醸し出す。
門番の片割れが慌てたように走っていき、そうして暫く沈黙が続く。門番は怪訝そうな面持ちだが、構わない。敢えて普通とは違う雰囲気を醸し出すことで、普段のリクホウとは違っていて当然という空気に持っていく。
やがて門番が戻ってくる。
「その……申し訳ありません。陛下は不在であります。側近の方々を伴い、近隣の視察に出ております」
近隣の視察。或いは狩り。そう言った名目でショウエンは都をたびたび抜け出して墓所に足を運んでいるのだとか。それも魔法審問からの情報にあった。
つまり、都には不在、というわけだ。
「そう、か。残念、だ。サイロウが……皆に……攻撃、を」
そう言って。外側の幻影だけを残し、グレンデルの魔道具を発動。俺はゴーレムごと地下に潜り込む。
俺自身は安全な場所まで移動しつつ、地上部分に残した幻影を血みどろにしながら薄れさせていけば……幽霊騒動の出来上がりだ。
それを見た兵士達が素っ頓狂な悲鳴を上げて、宮中に走っていくのが分かった。
さてさて。ショウエンも高弟達も不在であるというのなら……こちらとしても、もっと大胆に行動させてもらおうじゃないか。この幽霊騒動自体、次の作戦への布石だからな。