幕間 ベリーネの午後
そして。
暗い金茶色の髪と瞳を持つ少年魔術師は、使用人と冒険者を連れてシルンを出ていった。
ベリーネのするべき仕事は多い。
まずは近隣の支部に連絡を取り、森林の実態調査を得意とする者や、出現が予想される魔物に対応可能な者を集めなくてはならない。そうやって需要が多い事を示唆してやれば自然と人も集まってくるだろう。
また、そうなったら冒険者の能力だけでなく、その人格についても適宜確認していかなければならない。何か大きな問題が起きたらケンネルのベリーネ達への信用を再び損ねる事になる。
ケンネル個人とはある程度の関係を築けたから多少は我慢してくれるかも知れないが、それに甘えていれば彼の堪忍袋の緒は呆気ないほど簡単に切れるだろう。その事を考えると、シルン支部の業務についてはまだまだ予断を許さない状況ではある。なので上手く冒険者達の手綱を握らないといけない。
但し、シルンの領主については割合展望が明るくはあるか。ギルドの業務に直接的に関わるわけではないので、本来はベリーネの仕事と直接は関係のない事ではあるが。ギルドや自分の仕事に関わった善良な者達が不幸になるわけではないのなら、それはベリーネとしては諸手を挙げて歓迎すべき事だ。彼女が仕事にやり甲斐を感じる時というのは、そういった場面であり、またそのために尽力しているとも言えるのだから。
……といった具合にベリーネは多忙で遊んでいられない状況ではあるのだが、昼下がりの午後、彼女はアシュレイの屋敷の応接室にて、ケンネルと差し向かいで紅茶を飲んでいた。
勿論、遊びに来たわけではない。自分の提案した事について確認しておきたかったからだ。
「それで――アシュレイ様のご意思は確認なされましたか?」
「うむ。二つ返事であったよ。同じ年頃の友人など、今までおらなんだからな。余程嬉しかったのじゃろうが」
ケンネルは目を細め、寂しそうな表情を浮かべた。
「この老骨もお役御免かと思うとな」
「何を気弱な事を仰っているのです。あなたの仕事は山積みですよ? アシュレイ様があちらで安心して過ごすためにあなたはとても重要な役割を担っているのですから。アシュレイ様を陰から支える仕事である事に、何ら違いはありません。それに冒険者達がやってくれば食い扶持も増えるのですから街に落ちるお金も多くなるんです。警備隊の再編と再教育もありますし、それに――」
「あー。解っとるわ。言わんでも良い。単なる愚痴じゃよ」
ケンネルは言葉を遮るように邪険に手を振るったが、彼の調子が戻ってきたのを見て取ったからか、ベリーネは寧ろ笑みを深めた。
「……儂の事は心配はいらん。それより、アシュレイ様の事を論じるに当たり、心砕くべきは、あのテオドール殿の方ではないのか? お主は彼をどう見る?」
ケンネルに意見を問われ、ベリーネは顎に手をやって首を傾げ、言った。
「んー、そうですねえ。割合歪んでいるかな、と」
「それは……大丈夫なのか?」
「大丈夫でしょう。食うに困って冒険者に身を窶す子供というのは多いので、職業柄色んな子供は見ていますがね。比較的真っ当な歪み方をしていますよ、彼は。際立って有能であるし、かなり尖っていますので、そこは見ていて危うくはありますが……少なくとも非道、外道の素地はないと思います。まあ……優良物件かと。一押しですね」
ベリーネはそのようにテオドールという少年を見ている。
彼の場合はそれだけではない気もするが……そこはベリーネにもよく解らない部分ではあった。一芸に秀でており得意分野では大人より高い技術力を有する子供。頭が切れて雄弁な子供。それらは才能もあるのだろうが、そうなるだけの理由を抱えてきている。
そういう視点でテオドールの事を見た場合、背景として想像できる部分と全く不可解な部分が混在しているのだ。
解る部分としては……あの少年は自分以外のほとんど全ての者に距離を置いて一線を引き、なかなか内側には踏み込ませないという事だ。その割に冒険者に対しては妙に好意的な辺り、少年らしい憧れがあるのか過去に冒険者と関わって良い思い出でもあったのか。
それでもそれは冒険者とは契約を介して付き合えるからという部分があるからだろう。
契約だから信用する。たとえ裏切られても、それはそれで傷つかず後腐れなく処断できる。自分に対してもそうだ。
だからとにかく、他者への警戒度が高い。まるで過去に人間に手傷を負わされた野生の狼というような印象を抱いた。だが、そのくせあのグレイスという少女に向ける目は穏やかなものが多かったから、一度内側に抱え込んだ身内に対しては非常に寛容なのだろう。裏返しとして、身内に対する敵への態度は苛烈でさえあるが。あの時オスロに向けたテオドールの目は、場数を踏んでいるベリーネをして心胆寒からしめた。
ああいう形に落ち着かなければならなかった背景を想像すると、ベリーネも眉を顰めてしまうところがある。
だから、危うい。能力が高いだけに自分は何でもできると思っている節があるから自分の限界まで無茶をするだろう。あんな少年がタームウィルズに行く理由なんて、明々白々だし。
ベリーネとしては……あの少年にも、不幸にはなってほしくはない。もう少しぐらいは他者への警戒を下げたっていいし、子供は子供らしくしていていいのだ。あんな子供が、あんな風に生きるべきではないと思う。
隣に、あの使用人の少女がいてくれて良かったとも思うが……彼女は最初から少年が信頼している身内だけに、その関係がどうあれ外への警戒を解く理由にはならない。
だから彼が多少の肩の荷を降ろして多少の気を抜くには、その築いた高い障壁を誰がどうやって潜るかが問題なのだろうが……その点アシュレイならばうってつけだった。ベリーネと違って駆け引きをしないからというのもあるし、テオドールもアシュレイに対して感情移入している節が見受けられたから。
アシュレイ自身の人柄も好ましく、彼女の健康状態の事や現状の人脈の乏しさなどを総合的に勘案するに……適材適所であろう。
「本当に……お主は女狐じゃな……」
「んー。何の事でしょうかね?」
呆れたような表情のケンネルに、ベリーネは肩を震わせて笑った。
ケンネルとしてはベリーネの手管に舌を巻かざるを得ない。
つまりそうする事でベリーネ自身にも実利があるのだ。
そちらが上手くいけばシルン領主とギルドの関係まで良好になるのだから、本来の彼女の仕事に合致する。彼女のギルド内での評価はまた高まるだろう。
自分の思うように人を動かして環境整備している事を知られるとテオドールには眉を顰められるのだろうが……彼がそれを知る時、彼はタームウィルズにおり、ベリーネはシルンにいる。テオドールが不満に思おうが、ベリーネは文字通り、痛くも痒くもないのだ。
そしてベリーネへの不満を何も知らないアシュレイにぶつけるような事はしないだろうと確信しているし、第一ベリーネは最初に彼に言っているのだ。アシュレイに関わるのなら歓迎する、と。
それは関わるなら利用するという宣言に他ならないし、彼もそれは解っていたはずなのだから。ベリーネが行動を躊躇する理由はどこにもないのである。
勿論アシュレイにも益があり、ケンネルの業務も捗る。つまり、一挙両得以上の物が得られるのだ。
策は巡らすし他人も利用する。それで誰も不幸にならないならそれで良いじゃないかと、ベリーネはそう信じている。
あの少年と次に会った時、どんな反応を返されるかが、ベリーネはやや楽しみであった。
幕間回でした。
次話辺りからタームウィルズにいけるかな、と。