青春スクエア ~柳葉李哉の片思い~ 小学生編6
李哉が翼への想いに気付いてから一週間ほど経った頃。
最初李哉は翼にどう接していいのかわからなかったが、何も変わらない翼の態度のおかげですぐに今まで通りに接する事が出来た。
なので李哉も翼への想いを胸の内にしまい込んだ。
翼と今以上に仲良くなった時に、冗談のつもりでも伝えようと考えて――
〝好き〟という言葉を――
本日の李哉はご機嫌だった。
その理由は――
李哉の目の前に置かれているのがお粥ではなくて。
柔らかいご飯と温野菜だったからだ。
最初目の前に出された時、一瞬夢かと思ってしまったくらいに驚いた。
あまりに驚き過ぎて何回もナースに「本当に食べてもいいんですか?」と聞いてしまったほどに。
あまりに何回も聞いてしまったので最終的にナースに食べろと言われるほどに。
それで思わず涙ぐむくらいに、嬉しかった。
しばらくご飯を見つめ、少し戸惑いながらも少量のご飯を箸で掴んで口へと運ぶ。
ご飯を口に入れた瞬間、お粥の時に諦めずに食べ続けて正解だったと思えた。
まだまだ先だと思っていたご飯が食べられるのだから。
李哉は出された昼食を全て食べ終えるときちんと手を合わせて「ごちそうさまでした」と言う。
食べ物を残さず食べられると言う事が、とても嬉しい。
そして今日ほど〝ごちそうさま〟と言える事はなかった。
なので今日の李哉は上機嫌だった。
早く夕方になるのを待っていた。
早く、この事を翼に伝えたい。
早く翼の顔が見たい。
翼の顔が見たいのはいつもの事なのだが……。
抑えようと思っている翼への想いは、翼の顔を見る度に溢れ出して来てしまう。
それを必死に抑えようとするが、次から次へと溢れて来て止められない。
だが、それは今の所あまり問題ではない。
あるとすれば翼の顔に見惚れて翼の話が耳に入って来ない事ぐらいだ。
特に翼の朗読が最近、ほとんど頭に入って来ない。
翼の顔を見ているだけで幸せで、翼の声を聞いているだけで眠りに誘われる。
眠れるなら眠りたいが、左足の激痛が眠らせようとはしてくれないのだ。
だけど最近では、足の痛みが大分楽になって来たと思う。
実際はそうでなくとも、李哉はそう感じていた。
昼食を食べ終え、李哉はいつものようにダンベルを持ち上げる。
ダンベルを持ち上げながら壁に掛けてあるカレンダーに目をやる。
今日は日曜日。
土日になると翼は昼頃にしか病室には訪れない。
その間はいつもダンベルを持ち上げたり、字を書く練習や本を読みながら翼が来るのを待つ。
最近ではもう字は完全に書けるようになったので、翼に教えてもらいながら勉強も始めた。
翼の勉強の教え方はとても上手く、とてもわかりやすい。
最近では朗読よりも勉強を教えてくれる時の方が待ち遠しかったりする。
だが、やはり一番は翼と話をするのが良い。
李哉は少し休憩しようとダンベルを置こうとした時、不意に気付く。
ダンベルを持ち上げなかった頃の腕と今の自分の腕の違いに。
前に比べると力が出るようになったし、筋肉も少し付いている。
――これなら、歩く練習もすぐに出来る。
そう思っていた時だった。
不意に病室の扉がノックされた。
壁に掛けてある時計に目を向けると、丁度翼が来る時間だった。
「どうぞ」
李哉が答えると、病室に入って来たのは翼ではなくて藤森先生だった。
待っていた人物ではなかったので少し拍子抜けしたが。
あまり病室には来ない藤森先生が来た事に驚きながらも李哉は藤森先生に聞く。
「こんにちは、藤森先生。どうしたんですか? あんまり病室には来ないのに…」
「こんにちは。いやね、今日翼君。この病室に来れなくなっちゃって……」
「え、な…何かあったんですか!?」
藤森先生の言葉に、思わず驚いて少し身を乗り出してしまった。
そんな李哉を見て少し藤森先生は驚いて。
それから少し困ったように頬を掻いて口を開く。
「そんな心配するような事じゃないと思うけど……。僕が代わってあげられれば良かったんだけどね、みんなが嫌がってねぇ」
藤森先生が何を言っているのか理解出来ずに首を傾げていると。
藤森先生は少し笑って、頬を掻きながら教えてくれる。
「前に見ただろう? 僕が子供達に囲まれているのを。僕の場合はああやって子供達の相手をするけど、前は翼君が子供達の遊び相手をしてあげていたんだ。最近は僕ばっかりだったから翼君と遊ぶんだー、ってみんなが言い出して。だから翼君から伝言を頼まれたんだ。今日は行けないって伝えてくれってね」
「そう、だったんですか…」
少し、李哉は残念そうな声を出してしまった。
藤森先生にそう言われて、少し意外な感じがする。
確かに翼は優しいが、何故だか子供達の相手をする姿が想像出来ない。
という事は、李哉にとって翼のイメージは子供の相手をするような人じゃないという事だろうか。
そう思いながらも李哉は翼が子供達の相手をしている姿を見てみたいと思う。
すると藤森先生が優しく李哉に言ってくる。
「実はね、車椅子――持って来てるんだ。翼君が気になるんでしょう?」
「え――」
李哉は驚いて目をパチクリとさせた。
一瞬、藤森先生の言った言葉が理解出来なかった。
車椅子を、持って来た?
確かにそう聞こえた。
「い、いいんですか…?」
「もちろん。車椅子は勝手に使っちゃいけないって訳じゃないからね。あ、もちろん車椅子が必要ない人が使うのはダメだけど。遊びで車椅子を使うのはいけないけど、ちゃんと必要としている人は使ってもいいんだよ。行きたい場所とかがあったら、僕かナースさんに言ってね。すぐに持って来るから」
「はい!」
そう言うと藤森先生は病室の外から車椅子を押してきてくれた。
どうやら病室の前に車椅子を置いていてくれたらしい。
藤森先生は車椅子をベットの横に持って来て、いつも翼がしてくれるように車椅子へと乗せてくれる。
その時に李哉は気付く。
――やはり、翼でないとドキドキしない。
翼の事を特別に想っているのだと改めて思い知った。
藤森先生は李哉を車椅子に乗せて、病室から出て行く。
車椅子を押してもらいながら、李哉は少し疑問に思う。
藤森先生は、翼の事をどれくらい知っているのだろうか。
藤森先生ならすぐ最近知り合っても、ずっと前から知り合いのように親しくなれると思うが……。
少し気になって李哉は藤森先生に聞いてみる。
「藤森先生って、いつからこの病院にいるんですか?」
「んー、そうだねぇ……。二十二歳の時からかな」
そう言う藤森先生の声に驚く。
藤森先生は二十代前半に見えるので、李哉は今が二十二歳くらいだと思っていた。
「何? その反応は」
藤森先生は少し笑いながらそう言ってくる。
「先生、今何歳なんですか…?」
「二十七歳。この病院には五年いるよ」
五年――という事は翼が七歳の頃だ。
自分が七歳の頃にどんな生活をして、どんな人と居たかは知らないが、翼の事は知りたい。
そう思っていると、藤森先生が懐かしむようにして目を細め、言い出した。
「あの頃は驚いたな……。まだ研修医の頃だったから、右も左もわからなくて。そんな頃に出逢ったのが翼君。翼君は本当に賢い子で、僕達がする大人の会話について来れるんだ。それに話してる時によく言葉が出て来ない時があるだろう? そんな時は翼君が代弁して言ってくれるんだよ。次に何を話すのかがわかってて、すごく頭の回転が良い子だと思ったよ。僕にはとてもじゃないけど、子供には思えなかったな。見た目とかは子供なんだけどね。何て言うのかなぁ? 雰囲気、なのかな? いや、どうかな? 少なくとも僕が七歳の頃、あんなにしっかりしてなかったからそう思うのかなぁ。最初話した時、翼君に兄弟でもいるんじゃないかって思ったくらいだからね。一人っ子だって聞いてもっとビックリしたんだ」
藤森先生の話を聞いて、李哉は感じる。
なんだか自分だけが、翼の事を何も知らないような気がする。
それは会ってから日が浅いのだから仕方がないのだが。
――藤森先生は、李哉の知らない翼を知っている。
自分と出逢う前の翼を。
それも良く考えれば当然の事なのだが。
「翼君、最初はすごくこの病院が大好きだったんだよ。確かに僕もこの病院の雰囲気は好きだよ。だからあの頃はよく翼君、病院に来てた。僕は最初、お父さんかお母さんがこの病院で治療を受けているからか、この病院で働いてるから来てるのかと思ってたけど――まさか院長と総師長の息子さんだとは……。聞いて驚いたよ。あの子は後にこの病院を継ぐ人間なんだって知ったから。まぁ、それを聞いて翼君の賢さに納得した自分も居たんだけどね。確かに翼君がこの病院を継いだら安泰だろうし、いい事だと思った。だけど……幼い翼君には〝病院を継ぐ〟という言葉の意味がわからなかったんだと思うんだ。ただ大好きなこの病院にずっと居られる――そう思っていたんじゃないかな? だから大きくなって病院を継ぐという本当の意味を知ってから、翼君は変わったんだ」
「変わった…?」
少し気になって李哉は振り返って藤森先生の顔を見る。
それに気付いた藤森先生は笑顔で返してくれて。
言葉を続けてくれた。
「そう。僕の知ってる翼君はね。すごく笑顔の似合う可愛い子だったんだよ。いつも明るくて元気で、楽しそうに笑ってる子でね。元気がない時とかには元気と笑顔をくれる子だったんだ」
藤森先生の教えてくれる翼と、李哉の知っている翼は――
まるで正反対のようだった。
藤森先生の知っている翼は、明るくて元気で、楽しそうに笑っている。
李哉の知っている翼は、とてもクールで冷静、表情をあまり顔には出さない。
まるで、別人のようだった。
「翼君、夢があったんだ。いつも僕に教えてくれていたんだ。「将来ぼくは、小説家になるんだ」って言ってた。それに時間がある時にとても嬉しそうに語ってくれてた。自分で考えた話を。――僕も、翼君の才能はすごいと思った。出来る事なら医者じゃなくて、小説家になればいいのにって、そう思ったよ。だけど、翼君の家柄じゃそれは無理だったんだ。きっとお父さん……院長から強くダメだって、言われたんだろうね。翼君、急に変わっちゃったんだ。あんまり笑わなくなって、前みたいに自分の書いた話を話さなくなったし。病院に居る時も、前みたいに楽しく無さそうで、寧ろ嫌そうだった。そんな翼君を見てて、少し辛かった……」
――翼は、一体どんな思いでこの病院にいるのだろうか。
どんな思いで、大切な夢を捨てたのだろうか。
一体翼は、どんなにたくさんの思いを押し殺しているのだろうか。
藤森先生の話を聞くと、またも浮かび上がってきた。
あのイメージが。
笑っていた人が、笑わなくなった。
楽しそうに話していた人が、話さなくなった。
きっと翼は、全ての感情を押し殺しているのだろう。
藤森先生の話を聞いて、そう感じられた。
必死に押し殺して、ノートに書く話の中でだけ、素直になっていたのだろう。
だから翼の書く話には悲しさや、寂しさ、切なさが含まれているのだろう。
聞いているだけで胸が切なくなるような、そんな話ばかり書いているのだろう。
誰にも押し殺した感情を伝える事が出来ず、唯一伝える方法は――
話を書く事だったのだろう。
だけどその書いた話を、誰も読んではくれなかった。
だから、ずっと翼は待っていた。
自分を理解してくれる人を、ずっと……。
李哉は、勝手にそう推測していた。
いや――
翼の考えた話を聞いたから、これはきっと確信してもいいはずだ。
翼の考えたあの話は――
どう考えても心の叫びだった。
その時、李哉はようやくわかった。
翼が悲しそうな表情をした時に見えたイメージが。
今なら説明出来る。
それがどんなイメージなのか。
そのイメージは、初めて翼を見た時のようなイメージ。
誰とも異なる、孤立している翼の姿。
悲しそうに、寂しそうな、小さな背中。
それは多分、藤森先生が話してくれた翼が子供の頃の姿。
初めて病院を継ぐという言葉の意味を知った時の、翼の姿。
諦めたくない夢を諦めた時の――翼の悲しそうな姿。
その姿はきっと、誰にも見せてはいないのだろう。
そんなイメージを、李哉は感じた。
そんな翼の後ろ姿が、李哉には見えた。
きっと、翼が求めているのは理解者。
自分の事をわかってくれる、唯一の理解者。
その理解者にずっと助けを求めていた。
李哉は今すぐにでも翼の元へ行って、伝えたい衝動に駆られる。
『俺が、翼君の理解者になる。翼君が感じてきた思いや気持ちが、俺にはわかるから』
言いたい。
伝えたい。
そう思っていると――
いつの間にか車椅子は翼がいる待合ホールに着いていた。
そこにいた翼は、子供達に囲まれていた。
藤森先生のように身体に纏わり付くようではなく。
翼の周りを囲むようにして、子供達に囲まれていた。
「ここを、こう折って――ほら。鶴の完成」
そう言って翼は折り紙の鶴をみんなに見せる。
それを見た子供達は嬉しそうに笑い、作り方を教えてと言ってくる。
「折り紙の鶴はね、平和と幸せを運ぶんだよ。そして人の祈りを運ぶんだ。だからみんな、一度は千羽鶴を誰かに貰った事があるだろう? それはみんなの怪我や病気が早く良くなるようにって、治るようにって、作ってくれた人の祈りと想いが込められてるんだよ」
そう言う翼の表情は柔らかく、少し嬉しそうに笑っている。
その姿を見て、藤森先生の言っていた子供の頃の翼とは正反対のように変わってしまったが。
心は変わっていないのだと思えた。
今の翼の姿を見て、きっと子供の頃も今のようにとは言わないが、明るく誰かに元気を与えていたのだと思える。
それは、今も変わっていない。
変わったのはきっと、思考回路だ。
色んな知識を手に入れて、色んな事を考えるようになった。
子供のように何も知らないわけじゃない。
だけど、子供の頃のように誰かを想う優しさは変わっていない。
――翼は、医者に向いている。
李哉はそう思えた。
翼には小説家の才能もあるが、こうやって子供達に優しく接している翼の姿を見ると、医者も向いていると思えてくる。
翼ならきっと、親に言われたから仕方なく医者になるのではなく。
翼らしい医者になると思う。
誰にも指図をされない、翼自身の意思で。
李哉はそう考えた。
「めぐみにぃちゃん! 今度はえほん読んで!」
「えほんよんで!」
「違うよ! 今度はあやとりだよ!」
「みんなちがうよ! めぐみお兄ちゃんの考えたお話を聞くんだよ!」
「みんな、喧嘩しないで。全部するから。今日はみんなの相手をするからね。じゃあ次はあやとりをするよ。茅君、今日は何を教えて欲しいの?」
「東京タワー!」
「いいよ。じゃあ見ててね」
翼を見ていると、藤森先生とは違う子供達の接し方で、子供達に懐かれている。
それを一緒に見ていた藤森先生が呟く。
「僕ね、ああやって子供達と接している翼君を見て、今みたいに子供達と接するようにしたんだよ。やっぱり子供は大好きだし、子供が一番デリケートだからね。放っておくと傷付けちゃうから、一番相手をしてあげなくちゃいけないから。それに――子供達に囲まれてる翼君の姿を見ると、安心する」
藤森先生の言葉を聞いて、李哉も賛成する。
きっと翼は、李哉がこの病院に来る前は李哉のように動けない子供の病室に行って、このように相手をしていたのだと思う。
それが急に翼が李哉の方を選んで李哉を優先するようになったので、子供達も寂しかったのだろう。
「それにね。李哉君と話すようになってから翼君、よく笑うようになったんだよ」
「え…?」
少し驚いて藤森先生の方を見てみると。
藤森先生はウィンクをしただけでそれ以上は教えてくれなかった。
自分と、話すようになってから笑うようになった――
確かにそう聞こえた。
それが本当なら、とても嬉しい事だ。
という事は、自分は翼にとっては少しでも大きな存在なのだろうか。
そう思うと、嬉しくなる。
「ねぇねぇ、めぐみおにぃちゃん」
「何? 綾音ちゃん」
「あしたもあそべない?」
「明日は学校があるし、友達の所にも行きたいし」
「それって、彼女ぉ?」
「お、と、こ、友達だよ。なんで龍君、そんなにマセてるの」
「えぇ~! めぐみお兄ちゃんともっといたいよ!」
「でも……」
「毎週日曜日でいいから!」
「曜日、指定なんだ……?」
「おねがい~!」
翼が困ったように視線を泳がせていると。
不意に、その目が李哉と合う。
突然の事だったので李哉の心臓は跳ねて。
目を逸らそうと思うのだが、やはり逸らせずに。
翼は目が合った時に李哉に気付き。
少し子供達に待っているように言って李哉の方へと来てくれる。
一瞬李哉はどうすればいいかと混乱したが。
いつも通りに振舞えば良いと自分に言い聞かせて無理矢理自分を落ち着かせる。
「ごめん、李哉君。今日は病室に行けなくて……」
「いいよ。僕は大丈夫だから。それより、子供達の相手してあげてよ」
「それもそうだけど……。李哉君、今度から日曜日は会えないけど……いい?」
「うん、いいよ。俺よりも子供達の相手をしてあげて。みんなだって、翼君を俺が独り占めしたから寂しいと思ってるだろうし」
「ごめん……」
「謝らなくていいから。ほら、みんなの所に行ってあげて」
李哉がそう言うと、翼は「ありがとう」とだけ言い残して子供達の元へ戻って行った。
――本当は、日曜日に会えなくなるのが嫌だった。
だけれど、子供達の事を考えると譲るしかない。
本当は譲りたくないが。
それでも、ずっと逢えないわけじゃない。
一日、逢えないだけだ。
それぐらいなら、我慢出来る。
翼が子供達と楽しそうに話している姿を見て安心するが――
やはりあのイメージは消えない。
近々、今日感じ取ったイメージについて話そうと思っていると。
「藤森先生! 今患者さんが緊急搬送されまして、お願いしてもいいですか?」
慌てた様子のナースが李哉と藤森先生の元に来て、そう言ってきた。
それを聞いた藤森先生は。
先程まで朗らかな表情をしていたが、一瞬で真剣な表情になって真剣な声でナースに言う。
「わかりました。その代わりに、李哉君を病室まで連れて行ってあげてください」
そう言って車椅子に乗った李哉を預けると、藤森先生は白衣を翻して走り去った。
藤森先生が真剣な顔をしたのを初めて見たので、少し李哉は驚いてしまった。
それに、とても藤森先生が格好良く思えた。
やはり、人の命を救う仕事は素敵だと思う。
医者と言う仕事は、本当に良いと思っていると。
「じゃあ李哉君、病室に戻ろうか?」
「え…」
もう少し、翼の姿を見て居たかったのだが。
いつまでもここにいても特に何かをするわけではないので、李哉は病室に戻る事にする。
子供達に囲まれている翼の姿を目に焼き付けて――
病室に戻り、それから李哉は勉強を始めた。
梅は今日老人会などがあるらしく、夜には戻ると病室に戻って来た李哉に告げてすぐに病室から出て行ってしまった。
最近梅はよく自分の家に戻ったり、老人会などに行ったりするようになった。
元々梅は老人会などにはよく顔を出していたようなのだが。
最近は李哉が入院してしまったので中々行けなかったようだった。
だが、足が大分治ってきて梅が居なくても少しは生活が出来るようになってきたので。
最近では梅も安心して老人会へと行っていた。
李哉は少しペンを置いて窓の外に視線を投げる。
外には夕焼けが見えたので時計に目をやってみると、もう夕方の四時半だった。
(本当、最近は時間が経つのが早いな…)
勉強など、全くと言って良いほど進んでいないのに。
勉強を始めて、わかった事が一つある。
どうやら自分は、勉強がわりと好きなようだった。
苦手な分野は嫌だが、得意の分野は好きというように見事に別れていた。
それでも、李哉が苦手な分野は翼が得意な分野なので好きになれそうだった。
李哉は、ぼんやりと窓の外を見つめる。
溶けかけている雪が夕日を少し照らしている。
日に当たった雪がキラキラと輝き、溶けた雪は水溜りのようになって夕日を照らす。
その景色を見つめながら、李哉は少し休憩する。
一度、ペンを置いて少し伸びをする。
そして、左手で首元を押さえる。
少し、肩が凝ったかもしれない。
そう思いながら首を揉んでいると、ある事に気付く。
「あれ…」
左耳の後ろに、疣のようなものがある事に気付いた。
結構大きく、それが気になった。
何があるのかと思って、少し手鏡を手にしてその疣の辺りを見てみる。
耳の後ろの方にあるので、少し鏡でも見辛いが。
それを見る事が出来た。
耳の後ろには、大きなホクロがあった。
大きいと言っても3cmほどのものなのだが。
それでも、結構大きかった。
「こんな所に、ホクロなんてあったんだ…」
全然、気付かなかった。
李哉は少し気になって、そのホクロに触れてみる。
すると、病室の扉がノックされた。
それに気付いて、梅が早く戻って来てくれたのかと思い、返事をする。
「どうぞ」
李哉が返事をすると、ノックをした人物が病室に入って来る。
李哉は完全に梅だと思い込んでいたが――
それは、違った。
病室の扉の前に居たのは。
翼だった。
その事に少し驚きながらも、李哉は翼に聞く。
「翼君? どうしたの。子供達はもういいの?」
翼はいつも座る椅子に腰を下ろして。
李哉と向かい合って答えてくれる。
「遊ぶ時間はもう終わり。だから、少しでもいいから李哉君に会いに来た」
「そう、なんだ…」
子供達と遊び終わったのなら、そのまま家に帰ってしまえばいいのに。
それなのに翼は李哉の元に来てくれた。
その事が、すごく嬉しい。
嬉しいと思うのと同時に、今日感じたあのイメージについて翼に言おうか言うまいかと少し迷う。
どうしようかと迷いに迷って――
李哉は口を開く。
「翼君、もし…間違ってたらごめん」
「何?」
翼は、いつものように無表情で李哉の顔を見つめて聞いてくる。
翼の悲しげな瞳を見て、一瞬言葉が詰まったが――
口を開いて声を出す。
「――前から、翼君が悲しそうな表情をした時や翼君の考えた話を聞いた時に感じるイメージみたいなものがあったんだ。どうしてそんなものを感じるのかわからなかったんだけど、今日それがわかったんだ。今日、翼君の所に行く時に藤森先生が教えてくれたんだ。小さい頃の翼君の事を」
李哉がそう切り出すと、翼が少し反応した。
それが見えたが、李哉はまだ自分でもまとまってない事を口にする。
まとまってなくても、翼に伝えないといけないと思ったから。
「小さい頃は明るくて元気で、とても楽しそうに笑ってたって聞いた。でも、小説家になりたかった夢を諦めてから今の翼君になったって…。それで、俺は思ったんだ。今まで笑っていた人が笑わなくなって、楽しそうに話していたのに話さなくなった――それって感情を押し殺してる事だって。翼君は、自分の感情を押し殺してるんじゃないかって…。誰かに自分の気持ちをわかって欲しいけど、誰も翼君の話を聞いてくれようとはしない。だから翼君はノートに自分の想いを込めた。物語にして、翼君の想いを形にした。だけど、それでも誰も見てくれなかった。だから翼君は、ずっと理解者が欲しかったんだと…俺は思う。自分の事を理解してくれる人が、話を聞いてくれる人が、欲しかったんだと思う」
李哉が一応考えをまとめながら言った言葉を聞いた翼は。
顔色を変えずに、いつものように聞いてくる。
「――どうして、そう思ったの?」
あまりに翼がいつも通り過ぎて、間違ってるかと思ったが。
例え間違っていたとしても、伝えてあげたい事があった。
少し、翼の顔が見れず。
李哉は少し翼から視線を外して、先程まで勉強していたノートに視線を落として口を開く。
「さっきのイメージの話に戻るけど、そのイメージが…翼君の姿なんだよ。すごく寂しそうで、悲しそうな…翼君の姿。悲しそうな、翼君の後ろ姿。藤森先生の話を聞いて、翼君の考えた話を思い出したら――そのイメージがハッキリとわかったから。翼君は、誰かに助けを求めてるって。翼君は、理解者を求めてるんだって」
翼の考えた話には、絶対にある人物が出てきた。
それは、理解者という者。
主人公の事をなんでも知ってる、理解者が翼の考えた話の全てに出て来ていた。
なので、この結論はきっと。
合っているはずだ。
李哉は少し翼の返事を待ったが――
いくら待っても翼の返事は返って来なかった。
少し気になって翼の顔を見てみると。
翼の顔を見て、少し驚いた。
翼は、李哉の顔を見て驚いた表情をしていた。
まるで、どうしてわかるんだって言いたいように。
それは、翼の考えた話が翼の心の叫びだったから。
理解者を求めて、一人は嫌だと。
李哉には聞こえたからだ。
翼の叫びが、ちゃんと聞こえた。
だが、今李哉が言った言葉は全て推測に過ぎない。
何の根拠もない。
だけど、翼の考えた話を聞いたらこれは当たっていると思えた。
それに――
翼の驚いた表情を見て。
この推測が当たっているのだとわかった。
驚いてるのが、その証拠だ。
当たっていると言うのなら、ちゃんと伝えたい。
「だから、翼君に伝えたかったんだ」
――翼はきっと、小さな頃から一人だった。
家に居ても、両親は家に帰って来ないで。
家でずっと一人。
そう、翼の考えた話で翼は表現していた。
それに、前に聞いた話。
学校へ行っても、翼は一人。
自分が、初めての友達。
翼は、何処に行っても一人だったと思う。
きっと、誰にも言えなかったのだろう。
一人は寂しいと――
だから、ノートに綴った話には何回も叫んだ。
泣き、叫んでいたのだろう。
「翼君は、一人じゃないよ。俺が居るから、一人じゃない。今度から、俺が居るよ。翼君の傍に居る。俺が――翼君の理解者になる。俺、翼君の考えた話を聞いて感じたんだ。翼君の心の叫びを。翼君の悲しみや、寂しさを。だから――俺には、わかるよ。翼君の想いや気持ちが」
李哉は、伝えた。
今日自分が感じた事を。、何一つ偽り無く。
本当に伝えたい事はまだ伝えられないが、今伝えたい事はちゃんと伝えた。
すると――
小さな雫が、床へと落ちるのが見えた。
その雫は翼の目の端から零れ、頬を伝って落ちていた。
翼が涙を流す姿を初めて見たので、少し驚いたが。
涙を流す翼の姿が綺麗で、美しいと思えて思わず、見惚れてしまう。
翼は眼鏡を取り、服の袖で涙を拭いながら口を開いた。
「――李哉君の、言う通り。俺、本当はまだ小説家になりたい…。医者なんかになりたくない…。今でも、そう思う…。でも……俺がそんな我が儘言っても、今更どうにもならないから。俺がこの病院の院長と総師長の息子である事は変わらないから…。俺、ずっと思ってた。産まれて来なければ良かったって……。産まれてすぐに、自由を奪われたんだから…。俺は、めぐまれてなんかない。自由にも、親の愛情にも……。ましてや、逃げるための翼だって、俺は持ってないんだから。だから……誰も、わかってくれないと、ずっと思ってた……」
そう言って、翼は涙を流す。
――翼の心に、触れられたような気がした。
出来る事なら、その心に寄り添いたい。
出来れば、翼を支えてあげたい。
李哉がそう思っていると。
「でも……でも! クリスマスの日、李哉君が言った言葉――すごい嬉しかった。『俺は翼君と会う前に生きてるんだ』って…。俺も、そうかもしれないって、思えたから…。俺も、李哉君と会うために今まで生きてたんだって、そう…思えたから……」
泣きながらそう言う翼に、少しどうしていいかわからなくて。
とりあえず、翼の流す涙を拭ってあげたくて左手を伸ばすけれど――
その手は、翼には届かない。
なので、たまたま近くにあったハンカチを手に取ってそれを翼に差し出す。
そのハンカチを翼は受け取って、涙を拭う。
きっと翼は、胸の内に感情を隠していた。
誰にも、見つからないように。
だけど本当は誰かに見つけて欲しかった。
それを今、李哉は見つけてあげた。
――今、翼を抱き締められたら、どんなにいいだろうか。
だけど今の李哉には、翼の元に行って抱き締めてあげられない。
涙を、拭う事さえ出来ない。
声を掛ける事しか、出来ない。
「よく、我慢したね…」
「俺……李哉君みたいに強くないから。本当はすごく弱くて、何も出来ない奴だから……」
「そんな事無いよ。今の俺がいるのは、翼君のおかげだから」
「え――」
翼が驚いて、李哉の顔を見る。
涙が止まっていて、少し安心する。
翼の涙を止める事が出来た。
どうやら、翼はその事に気付いていないみたいだった。
前に、一度言ったと思ったが。
ちゃんと伝わっていないのならば、何度だって伝えればいい。
自分の想いを、何回も伝えればいい。
「俺、翼君のおかげでこうやって強く生きていけるんだ。だって俺、目が覚めて最初はもう絶望してたから。希望なんて、持てなかったから。でも、翼君がこの病室に来て、本の朗読をしてくれたから――俺は救われたんだ。翼君が朗読してくれた本の主人公みたいになりたいって、思えたんだ。それに――」
李哉は、そこで一度言葉を止める。
すると翼が不思議そうに李哉の顔を見て。
「それに……?」
そう、聞いてきた。
李哉は答えるのを一瞬躊躇ったが。
「足が治ったら、翼君と色んな所で遊びたいって思ってるから」
少し微笑んで李哉がそう言うと。
翼は更に目の端から大粒の涙を零す。
翼はきっと、誰にも頼れなかった。
だからこんな事を言われたのは初めてなんだろう。
自分が誰にも頼らなかったから、誰かから頼りにされる事もなかった。
大切に想われる事なんてなかったから。
翼は泣いた。
ハンカチが搾れるくらいに涙を流して。
しばらく翼は泣いて、涙が落ち着くと翼は言う。
「ありがとう、李哉君……」
「いいよ、お礼なんて。友達なんだから」
「――親友、でもいい?」
「え――」
心臓が、高鳴る。
心臓が鼓動を刻み、翼の言葉が心に響く。
親友。
自分が、翼の親友でいいのか。
驚きながらも翼に聞き返す。
「俺が…親友?」
「そう。李哉君が親友になってくれると、嬉しい」
翼にとって、自分は初めての友達。
李哉にとっても翼は初めての友達。
それが今、親友へと変わろうとしている。
親友になったら、今よりも距離が近くなる。
距離が近くなると、今よりももっと仲良くなれる。
仲良くなれば、冗談でも〝好きだ〟と言える。
「――――じゃあ、よろしく。翼君」
翼は李哉の返事を聞いて、嬉しそうに笑う。
そして、左手を差し出して言ってくる。
「親友なんだから、もう呼び捨てでいいよ。李哉」
名前を呼ばれ、またも心臓が鼓動を刻む。
(――どうして俺、こんなに好きなんだろう…?)
翼と居るだけで、こんなにも心臓が高鳴る。
翼の顔を見ているだけで、こんなにも幸せを感じる。
「じゃあ、よろしく。…翼」
李哉がそう言って手を握ると。
翼は嬉しそうに笑う。
その日、二人は親友となった。
今まで以上に距離が近付き、仲良くなる事が出来た。
そう、二人はお互いに初めての親友が出来た。
これからもっと仲良くなろうと、李哉は胸に誓った。
足が治ったら、翼と一緒に色んな所へ行き、翼と同じ時を生きたいと思った。
――だけれど、その思いは簡単に壊される事となった。
二月二日の事。
それは唐突にやって来た。
いつものように梅と翼と李哉は楽しく話をしていた。
時折り、翼に勉強を教えてもらいながら。
そこに――
病室の扉がノックされる。
翼なら、今目の前で話をしている。
他に、この病室に来る人がいるだろうか?
梅と李哉は誰だろうと思いながらも、ほとんど同時に答える。
「「どうぞ」」
二人の返事を聞いて、病室に入って来たのは――
藤森先生だった。
あまり病室には訪れない藤森先生が病室に来たので、やはり少し驚いた。
何か、あったのだろうか?
「藤森先生。どうしたんですか?」
「今日は、李哉君と柳葉さんに話がありまして――」
すると、椅子に座っていた翼が急に立ち上がって梅に言い出した。
「それなら俺は、外で待ってます」
「いや、翼君も居てくれていいよ。翼君は、知っている事だから」
「え――」
藤森先生が翼を止めて、椅子に座らせる。
李哉は何の事かわからず、翼の顔を見るが。
翼の表情は悲しげで、李哉とは目を合わそうとしてくれない。
これから何の話があるのか、李哉も梅も知らない。
知っているのは、藤森先生と翼だけだ。
やがて、藤森先生が口を開いた。
「李哉君、今度のプレートを入れる手術の事なんだけど……」
「その手術が終わったら、歩けるようになるんですよね?」
李哉は嬉しそうな表情で藤森先生に聞く。
思わず声も嬉しそうに弾んでいた。
それを聞いた藤森先生は少し困ったような表情をし、翼の方を見る。
翼は俯いており、藤森先生の顔を見る事はなく。
俯いたまま「すみません」とだけ言った。
藤森先生は少し溜息を付いて、急に真剣な表情をして言い始めた。
「そのプレートを入れる手術なんだけど……。李哉君。李哉君は自分の骨折した病名を言える?」
「えっと…確か、複雑解放骨折だったと…」
藤森先生があまりにも真剣な表情になったので、つられて李哉は敬語になってしまった。
藤森先生が真剣な顔をすると言う事は。
きっと、何かあるんだろう。
「そう。複雑解放骨折は、普通の骨折とは違う。普通の骨折の場合、骨が二つに折れてしまう事。その場合はすぐにくっつくけど……。でも、李哉君の場合は違う。複雑解放骨折は、骨が完全に砕けてるんだ。だから普通の骨折のように簡単には治らない。その上に神経、アキレス腱まで切ってる。次の手術は、簡単なものじゃないんだ」
「え――」
驚いて李哉は翼の顔を見る。
しかし、翼は目を合わせようとはしない。
翼の顔を少し見つめていたが。
藤森先生が口を開いたので、藤森先生の顔を見る。
「次の手術では左足にプレートを入れるだけじゃない。切れた神経とアキレス腱を繋げる手術もする。その手術は難しくて、成功率も低いんだ。100%中、20%の成功率だ。失敗する可能性の方が高い」
一瞬、藤森先生が何を言ったのか理解出来なかった。
(失敗、する…?)
確かに、そう聞こえた。
(手術の、成功率は…低い?)
それは――
一体どういう事だろうか。
「もしも手術で失敗した場合は、左膝から下は切断し、一生寝たきりか車椅子の生活になる。自分の足では立てなくなるだろう。でも、擬足という手もある」
(藤森先生は、何を言ってるの…?)
李哉の頭は藤森先生の話に追い付かなかった。
藤森先生の言っている事が理解出来ない。
もしもそれが本当ならば。
もう二度と自分の足で歩く事は愚か、立つ事が出来ない。
翼と一緒に遊び回るなんて――
それこそ夢になってしまう。
李哉は、どうしていいのかわからなくなった。
~To be continued~




