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青春スクエア ~柳葉李哉の片思い~ 小学生編14

 翌日、李哉は目を覚ます。

一瞬、ここが何処なのかわからなかった。

天井が今まで見ていたものと違う。

少し起き上がって辺りを見渡し、そこで思い出す。

(そっか…。大部屋に移動したんだ)

思い出してから李哉はもう一度ベットに横になる。

天井を見上げながら、樹姫やバジル――

拓海のベットを仕切っているカーテンを見つめる。

三人はもう、起きているのだろうか。

まだ寝ているのならば、起こしてしまうのは悪いだろうと思っていると。

シャッと、勢い良く樹姫のベットのカーテンが開いた。

それが天井を見つめていた視界の端に入った。

すると、隣の拓海のベットのカーテンが静かに開く音が聞こえた。

「おぅ、起きてたのか」

「本読んでたんだよ。今日はいつもより早く起きたから」

「お前が本? なんだァ? 今日は嵐でも来ンのかァ?」

「樹姫が読めって押し付けて来たんだろうが」

「面白いだろ? その本」

「ん~……まぁ」

そんな樹姫と拓海の会話が聞こえて来た。

バジルの声が聞こえないので、どうやらバジルはまだ眠っているようだ。

少し寝返りを打って何時かと思い、翼のくれた腕時計を見つめる。

腕時計の指す時間は七時半頃だった。

足音が病室から出て行き、遠くなっていった。

樹姫か拓海のどちらかが部屋から出て行ったのがわかるが。

拓海のベットの方からはページを捲る音が聞こえたので樹姫が出て行ったのだとわかった。

それから少しして、水の流れるような音が聞こえて来た。

その音を聞いて思い出した。

病室の左隣にはトイレがあった事を。

樹姫はトイレに行ったのだとすぐに理解出来た。

水の流れる音がする中、足音が病室に戻って来た。

李哉は樹姫か拓海に声を掛けるべきかと考えていると――

李哉のカーテンが少し開く音が聞こえた。

不思議に思って音のした方を見てみると。

「おぉ。なんだ起きてたのか。おはよう李哉」

そう言って笑う樹姫の姿があった。

「うん…。おはよう」

「カーテン、開けてもいいか?」

「うん、いいよ。声掛けていいのかわからなかったから」

李哉がそう答えると樹姫は李哉のベットのカーテンを全て開いた。

そのおかげで病室を見渡せるようになった。

「――なんだ、起きてたのか」

拓海がそう小さく呟いた瞬間。

李哉から向かって拓海の方の閉まっていたカーテンが開いた。

李哉は起き上がって拓海の顔を見る。

拓海は横目で李哉の姿を確認すると、すぐに視線を本に落とした。

少し声を掛け辛かったので拓海には声を掛けられなかった。

すると。

「ゴラァ! いつまで寝てンだお前はよォ! いい加減起きろや!」

「ウワァ!?」

バジルのカーテンを樹姫は勢い良く開き、バジルを無理矢理起こす姿が見えた。

バジルが目を覚ましたのを見た拓海は溜息を付いて本を閉じた。

それから――

拓海は横目で李哉を見ていた。

拓海に声を掛けるなら、今しかないと思って李哉は口を開く。

「おはよう…」

「――はよ」

小さくそう答えると拓海は樹姫の方を見た。

それからすぐに朝食の時間になり、朝食を摂る事になった。

昨日の昼食のようにバジルが食べ終えると樹姫と喧嘩を始めてしまったので、昨日と同じようにしてカーテンを閉めて朝食を摂る。

本当に、この二人の喧嘩に三日で慣れるのだろうか。

そんな事を思いながら朝食を食べ進める。

騒がしい中の食事を終えると。

拓海が樹姫とバジルの喧嘩が静まったのを確認して、その隙に病室から出て行く。

李哉はそれをじっと見つめていたのだが。

拓海が思い出したように歩みを止めた。

そして振り返り、李哉に声を掛ける。

「お前、そこにいるのか?」

「え?」

「これからバジルの日本語勉強が始まるから病室から出てた方がいいぞ」

拓海の忠告を聞き、李哉は反射的に松葉杖を手に取った。

そういえば、バジルに日本語を教える時の樹姫は酷いと聞いた事がある。

それを思い出して片足で立ち上がり、松葉杖を付いて拓海の元へ行く。

拓海の隣に並んでみると、そこで初めて気付いた。

拓海が自分よりも背が高いのだと。

自分の正確な身長を知らないので拓海の身長が何cmなのかわからないが。

それから、二人とも松葉杖を付いて移動する事になった。

拓海の松葉杖を付く姿を見て、松葉杖に慣れているのがわかる。

それに比べて李哉の松葉杖の付き方はまだぎこちない。

拓海の後に付いて行っていると。

「基本的に飯食った後は病院を出歩いてた方がいいぞ。樹姫が日本語教え出したら声掛けてもキレるから」

「そうなんだ…」

「俺はいつもこの時間、屋上にいる。お前、外には出た事あるのか?」

「一度だけ、ほんの少しだけだけど」

「そうか」

そう言うと拓海はエレベーターへと向かい、エレベーターが降りて来るのを待つ。

李哉は初めてエレベーターに乗るので、拓海を見て同じように行動すればいいと考える。

エレベーターを待ちながら、李哉は少し気になった。

樹姫とバジルは、自分についてどれくらい拓海に話したのかを。

「バジルと樹姫って、どれくらい俺の事話してるの?」

「どれくらいって、どれくらい?」

同じ質問を拓海から返され、一瞬返答に困った。

拓海の質問に、どう返せばいいのだろうか。

李哉が困ったような表情で頭を抱えていると。

拓海が少し笑った。

それに気付いて李哉は拓海の顔を見つめる。

拓海は顔に笑みを少し浮かべていたが。

エレベーターの階数を見つめながら答えてくれた。

「名前と、記憶喪失だって事。それから物凄い努力家だって事。それぐらいだ」

「バジルと樹姫が話した事しか知らない?」

「当たり前だろ。人の事を調べようとか思わねぇし」

それもそうだと思う。

その時、丁度エレベーターが降りて来た。

中には誰も乗っておらず、拓海は躊躇う事無くエレベーターに乗り込む。

李哉もつられてエレベーターの中へ入る。

拓海は李哉が乗ったのを確認してから屋上のボタンを押す。

ボタンを押すとエレベーターの扉が閉まり、エレベーターが動き出す。

エレベーター独特の浮遊感に違和感を感じながら屋上に着くのを待っていると。

「――でも、お前の事は知ってた」

「え…?」

拓海の声が聞こえ、拓海の顔を覗き込んでみるが。

一度も李哉の方を見ない。

一瞬空耳かと思い、拓海から視線を逸らそうとすると。

拓海の口が動くのが見えた。

「お前、立つ練習必死にしてただろ。廊下這ってたりしたのは、何回も見た」

拓海の言葉を聞いて、匍匐前進をしていた頃を思い出す。

こうやって思い出してみればついこの間の事のように思える。

あの頃はとにかく早く立てるようになりたくて、必死だった。

人の視線など、全く考えていなかった。

なので今更見ていたと言われると――

どうしてだか羞恥を感じた。

「お前が必死に立とうとしてる姿見て、俺も歩けるようになりたいと思った。なんかお前見てると、やる気とか出て来た」

拓海は一度も李哉を見ずに、そう口にした。

その時、エレベーターが屋上に着いた。

だが李哉は少し驚いていた。

自分の行動が、誰かに力を与える事が出来ていたのだと。

自分は、そんな人間になれていたのだと。

その事に自分でも驚いていたのだ。

「おい、着いたぞ」

「あ、うん…」

エレベーターから降りて李哉は更に驚いた。

そこには、綺麗な青空が広がっていたのだ。

今まで李哉の見た事のない光景が広がっていた。

屋上の手摺りへと、李哉は行って外の光景を見つめる。

病室の窓から見える景色とは全く違う。

今まで見えなかった遠くの方まで見渡せる。

多くの車が道路を走り。

多くの人が歩道を歩く。

外の世界はたくさんの色で溢れていた。

白の世界しか知らなかった李哉は、少し衝撃を受けたような気分だった。

(俺の知らない世界が、そこにある…)

李哉は目の前にある景色を目に焼き付けていた。

すると拓海が李哉の隣に立つ。

何も言わずに、拓海はただ傍に居てくれる。

「ここに連れて来てくれて、ありがとう」

そう言って李哉は拓海の方を見て微笑む。

拓海は李哉の表情を見て、少し視線を逸らした。

それから右手で首に手を当てて口を開く。

「別に。バジルが煩いからこっちに来た方がいいと思っただけだ」

最初は照れているのかと思ったのだが。

どうやら拓海は照れていない様子だった。

拓海は透き通った青空を見つめる。

李哉も同じように空を仰ぐ。

この世界は本当に、自分の知らない事で溢れている。

――いや、病院しか知らない方が可笑しいのだ。

外に出てみて、初めて気付く。

なんて自分の世界は小さくて、狭かったのだろうかと。

外の世界を見つめているとやがて――

隣に居た拓海が口を開いた。

「お前、退院したら大変なんじゃねぇのか?」

「え…」

「外の事、何も知らないんだろ? それで、平気なのかよ?」

「――物知りの友達がいるから、平気だよ。多分」

「教えてくれる奴がいるなら、いいんだ」

李哉は少し、李哉の方を見つめる。

拓海は一度も李哉の方を見ないのだが。

少し、李哉は気になった。

もしかして拓海は――

「もしかして、心配してくれてる…?」

李哉がそう言うと。

拓海が少し反応を見せた。

チラリと李哉の方を見て――

そっぽを向いたのだ。

照れているのかと顔を覗き込んでみると。

「別に心配なんてしてねぇよ。ただ気になっただけだ」

そう言うと、完全に拓海は李哉から視線を逸らしてしまった。

だが、自分の事を心配してくれた事が嬉しい。

口ではそう言っていたが、拓海が心配してくれたのはすぐにわかった。

ここで礼を言うと、いつも『礼なんて言うなよ』と言われる。

その事を思い出して李哉は礼を言う事をやめた。

それを言ってしまうと、いつも拗ねてしまうからだ。

礼を言う代わりに、李哉は微笑む。

それを拓海は横目で見ていた。

そのため、李哉と目が合ってしまった。

目が合うとすぐに拓海は目を逸らした。

だが、少し照れながら口を開く拓海の姿が見えた。

「その……。お前の名前、だけどよ……」

「うん、何?」

「――本当に、りーやって呼んでも……いいのか?」

「俺はいいよ、そう呼んでくれて。寧ろそう呼んで欲しいかな。ニックネーム付けられたのなんて、初めてだし」

口元に笑みを零しながら李哉がそう言うと。

拓海が李哉の方を初めてまともに見てくれた。

お互いに少し見つめ合い。

「いや、別にそう呼ぶのが恥ずかしいとかそんなんじゃなくて――」

「ふふっ…」

拓海の少し動揺したような言葉に思わず笑いが口から漏れてしまった。

笑っている李哉の姿を見て、拓海が少し照れたように。

拗ねているように右手で右側の首に手を当て、李哉を横目に見る。

それから小さな声で――

「何、笑ってんだよ」

そう言った。

その姿を見て更に笑いそうになったが、それは流石に耐えた。

「ごめんごめん…」

一応そう言ったが、声が震えてしまっていたかもしれない。

笑いを抑えようとして腹部に手を当てて堪えていると。

「俺の事は、拓海って呼び捨てで呼べばいい。みんなそうやって呼んでるし。今更さん付けや名字で呼ばれたらすげぇ違和感あるし」

「うん、じゃあよろしくね。拓海」

拓海の一言のおかげで、ようやく笑いが収まった。

そして、李哉は左手を拓海に向けて伸ばす。

すると拓海も、少し手を受け取ろうかと迷うような素振りを見せたが。

李哉の手を握ってくれた。

「こっちこそ、よろしくな。りーや」

少し照れながら拓海はそう言ったが、何処か嬉しそうに見えた。

それが、拓海と初めてちゃんと目を見て話せた時の事。

拓海と仲良くなれた日だった。




 翌日の事。

李哉は目を覚ます。

隣の拓海のベットのカーテンが閉まっているため、朝日を直接拝む事は出来ないが。

天井には朝日が差しているのが見えた。

何時かと気になり、李哉は翼から貰った腕時計を目にする。

腕時計が示していた時間は、午前七時五十分だった。

今誰が起きているのか、カーテン越しではわからず李哉は静かにカーテンを開く。

どうやら、まだ誰も起きていない様子だった。

この時間はまだ、早いのだろうか。

昨日はたまたま早く起きていたのだろうか。

そんな事を考えながら、尿意を催して李哉は松葉杖を手に取る。

ベットから起き上がり、松葉杖を使って自分で立ち上がる。

病室から出て、トイレへと向かう。

そこから、ふと気付く。

退院が日々近付いているのだと。

それから、思い出す。

翼に逢わなくては、と。

しかし、何処へ行けば翼と逢えるだろうか。

それに――

逢いに行っても、この間のように無視をされたとしたら。

それを考えたら、逢いに行けなかった。

しかし、逢いたいと思う衝動は止められない。

どうすればいいのかと思いながら、李哉は用を足して病室へと戻る。

自分のベットへと戻ろうとした時。

拓海のベットのカーテンの中から、バジルが出て来た。

「おはよう。あれ、どうしたの? バジル」

「何デモナイヨ。オハヨウ、キシヤ」

不思議に思いながらも李哉はバジルを見つめる。

少し挙動不審なバジルの手にはマジックペンが握られていた。

それを見た瞬間、何故だか瞬時に理解した。

(ああ、またか)

李哉はそう思いながら自分のベットのカーテンをなるべく静かに開いた。

どうやらまだ、樹姫は眠っている様子だった。

昨日はバジルが一番遅く起きたと言うのに。

そう思いながら樹姫と拓海が起きないかと二人のベットの方を見つめる。

するとすぐに樹姫のベットのカーテンが勢い良く開いた。

それと同時に樹姫がベットから降りて来た。

頭にはすごい寝癖が付いており、まるで山姥のような髪型になっていた。

しかし、それを言ってしまうと絶対に樹姫に怒られるだろう。

そう思い、李哉はとりあえず朝の挨拶をする。

「おはよう、樹姫」

「ん~……」

頭を荒く掻きながら、樹姫は病室から出て行った。

――どうやら、まだ寝惚けている様子だ。

樹姫が病室から出て行くと、つられるようにして拓海も起きたようだった。

拓海のベットのカーテンが開いた。

そして拓海が李哉側のカーテンを開いた時だった。

李哉は思わず、拓海の顔を見て吹き出してしまった。

「――なんだよ」

不機嫌そうな拓海の声が、耳に届く。

言葉を紡ぎたくても、笑いが邪魔をして言葉にならない。

李哉が大笑いをしていると、バジルも拓海の顔を見る。

そして――

バジルもまた、大笑いした。

流石に拓海は自分の顔に何かされたのだと気付き、松葉杖を付いて病室の出入り口前にある洗面所へと向かった。

そこには鏡が付いているからだ。

そう、拓海の顔には。

恐らく――いや、明らかにバジルがマジックで落書きをしていたのだ。

それを見た拓海はと言うと。

「おい、バジルテメェ何しやがんだ」

「別ニ何モシテナイヨ」

そう言って、バジルはシラを切るつもりのようだ。

しかし、こんな事をするのはバジルしかない。

バジルと一緒に居た拓海がそれを一番理解しているだろう。

「おい、ちょっとお前こっち来い。お前の顔にも塗ってやるから」

「嫌ダヨ!」

「じゃあ人の顔に塗るんじゃねぇよ!」

「ダッテ、拓海ノ反応ガ見タカッタカラ……」

「よくわかった、じゃあ塗ってやろうじゃねぇか」

樹姫とは違い、底冷えがするような冷たい声で拓海はそう言い放ち――

マジックペンを手にした。

キャップを外し、ペン先をバジルへと向けて迫って行く。

その姿を見て、なんだか懐かしく感じながらも二人を止める。

「まぁまぁ、落ち着いて拓海。いつもの事じゃないか」

少し笑いながら、そうやって仲裁をする。

しかし、拓海の反応が少し想像していたものと違った。

いつもならば、バジルが悪いと言って引かないのだが……。

驚いた表情で拓海は、李哉の顔を見つめていたのだ。

どうして拓海がそんな表情をするのかがわからず――

少し首を傾げたのだが、バジルの落書きが笑いのツボを刺激して思わずまた吹き出してしまった。

「と、とりあえず…っ、その顔を洗った方がいいよ…」

笑いながら、李哉はとりあえず拓海に顔を洗うように促した。

拓海が洗面所で顔を洗い始めた頃、トイレから樹姫が戻って来た。

「なんだ? なんかすげェ笑ってたみてェだけど」

「またバジルが拓海の顔にマジックで落書きしたんだよ」

「ん?」

樹姫は、李哉の言葉を聞いて少し首を傾げた。

そしてバジルの顔を見た。

バジルも樹姫の顔を見つめ、首を傾げてから李哉の顔を見る。

しかし――

「そんなに面白かったのか? だったら見なくて正解だったな。見たら絶対に死ぬ所だっただろうからな。拓海、お前絶対にアタシを殺す気だろうが」

樹姫は明るく笑いながら拓海にそう言った。

拓海は顔をタオルで拭きながら樹姫に言い返す。

「違ぇんだよ。今回のはバジルが悪いだろどう考えても。なんで俺が悪いんだ」

「お前なァ、アタシを笑わせたらどうなるか知ってるだろうが。なのにお前は一々アタシの笑いのツボを押さえてきやがる」

「だから、なんで俺が悪いんだって」

「アタシを笑わせると有罪なんだよ」

「だから――はぁ、もういい。好きにしてくれ」

落書きを全部落として拓海は諦めたように溜息を吐き出した。

それから松葉杖を付いて、自分のベットへと松葉杖を付きながら戻って来たが。

李哉の目の前に来て、拓海の歩みが止まった。

どうして止まったのかと思いながら拓海の顔を見上げてみると。

拓海は無表情で口を開いた。

「お前――」

「何?」

「――――」

拓海は少し視線を逸らし――

松葉杖を再び付き出して口を開いた。

「なんでもない」

拓海が今、何を言おうとしたのかわからない。

何か、自分は言ってしまったのだろうか。

拓海を傷付けるような事を、言ってしまったのだろうか。

そう思いながら拓海の顔を見つめてみるが。

特に拓海の表情は変わらない。

怒っている様子でもなかった。

樹姫とバジルの反応も気になり、李哉は樹姫とバジルの顔を見てみる。

だが、樹姫とバジルもいつもと変わらない。

少し違和感を感じたが、みんながいつも通りに振舞うので李哉もそうする事にした。

 どうしてだか、拓海と一緒に居ると。

拓海の行動を見ていると、懐かしく感じてしまう。

拓海と一週間一緒に居ると、もうその懐かしさもいつの間にか考えなくなっていた。

それが当たり前の事だと思ってしまったからだ。

そうやって病院生活も刻々と終わりが迫って来ている。

そんなある日。

バジルの日本語勉強の時間は、毎回のように拓海と一緒に屋上へと来ていた。

この時間は屋上で、拓海と雑談したりする時間だ。

拓海の愚痴を聞いたり、基本的にいつも李哉が聞き手に回っていた。

李哉には、話すような事がそんなにないからだ。

「いや、バジルはマジでどうにかするべきだろ。つか、もうそろそろ樹姫に殺されるんじゃねぇの? あいつ」

「そんな事ないよ」

「いや、日々エスカレートしていってるぞ樹姫は」

「でも危ないって思った時、いつも何気に拓海がバジルのフォローしてるよね?」

「してない」

「いやしてたよ。俺がフォローしないとって思ってる間に」

「バジルの奴を止めた覚えはない」

「いつも樹姫の方を止めてるよね」

「馬鹿を止めるより根本を止めた方が良いだろ」

「それに、いつも面倒とか良いながらちゃんとやるんだよね」

「――――」

李哉がそう言うと、また拓海が驚いたような表情をして見せた。

どうしてそんな表情をするのかと聞こうとして口を開くと。

それよりも前に拓海が李哉から視線を逸らしてしまった。

今日こそその理由を聞こうと思うのだが。

どうやって切り出そうかと考えていると――

拓海からの視線を感じて、李哉は拓海の方を見てみる。

拓海はじっと、李哉の顔を見つめていた。

どうしたと聞こうとした時。

拓海の右手が、李哉へと向かって伸びて来た。

それを李哉はじっと見つめていたのだが。

拓海の手が右頬に触れた。

その瞬間。

頭の中が、酷く揺さぶられたような感覚を覚えた。

ずっと前、こうやってしてきた人が居た。

よくこうやって、見つめてきて、触れてくる人が居た。

だが、それが誰なのか思い出せない。

それが、拓海のようにしか思えない。

拓海は李哉の頬に触れ、顔を近付けて来る。

顔の近さに心臓がドキドキと鳴り、あまりの近さに突き放そうとした時。

「りーや、顔にゴミが付いてるぞ。ちゃんと顔、洗ってんのか?」

吐息が触れそうな距離まで近付いていた拓海はそう言い、手を引くと同時に顔も離れて行った。

そして拓海は李哉の顔に付いていたゴミを、風に乗せて飛ばす。

拓海の触れた頬に触れてみる。

もう、ドキドキとはしない。

あのドキドキは恥ずかしいとか、そういうものではなかった。

何か不思議な感じがしている。

上手く説明出来ないような、曖昧な感覚。

その上に、すぐにその感覚は消えてしまった。

〝拓海〟はいつも、こうやって自分に触れていた。

どうしてだかそう思っていた。

拓海が屋上からの景色を見つめていたので、李哉は口を開く。

「拓海っていつもこうやって教えてくれたよね? 顔にゴミが付いてるって」

李哉がそう口にすると――

拓海が、また驚いたような。

不可解そうな表情をして見せた。

その表情を見て、李哉は今日こそどうしてそのような表情をするのか聞こうとした。

口を開こうとした時。

先に拓海の口が開いた。

「りーやさ、俺は〝いつも〟そうやるとか言うけど。お前の〝いつも〟はいつもの事じゃねぇから」

「え…?」

「バジルが、俺の顔に落書きした時。あれ、初めての事だからな?」

拓海が、李哉から視線を外してそう言った。

拓海にそう言われた瞬間、理解出来たような気がした。

どうしてあの時、樹姫とバジルが首を傾げたのか。

「それにな、お前が言う〝いつも〟の俺とか――それ俺じゃねぇから。俺が初めてする事や言う事をお前は〝いつも〟って言う。記憶が戻って来てるからそう言うのかはわかんねぇけど。これだけは言っとくけどな。俺達、いつもって言えるほど長く居ないからな?」

拓海の一言で、ようやく自覚出来た。

どうして、懐かしいと感じたりするのか。

どうして、〝いつも〟と言ってしまうのか。

それは、記憶が戻り掛けているからだ。

もしかしたら、記憶を失う前に拓海と似たような人と一緒の居たのだろうか。

その記憶が少しずつ戻って来て、少し混乱しているのだと。

その記憶が、今のものだと思い込んでしまっているのも。

全部、記憶が戻り掛けているのだと。

「…ごめん。自覚なかった」

「まぁ、別に気にしねぇけどな。最初からそう思ってたし」

「ずっと間違えてたんだ…。ごめん」

「謝るなって。気にしてねぇから」

「うん、ありがとう」

「パニックとか、起こしそうか?」

「ううん。懐かしいとか思う程度で。ハッキリとしたものは思い出せないんだ。すぐに忘れてしまう…」

「そうか……」

拓海は小さくそう呟いた。

それから少し、また拓海と雑談をした。

しかし、すぐに拓海は屋上の手摺りから松葉杖を手にして離れようとした。

「少し早いけど病室に戻る。りーや、一人で戻れるよな?」

「うん、大丈夫」

李哉の返事を聞くと、拓海はエレベーターを使って屋上から降りて行った。

そんな拓海の姿を見て、少し悪い事をしたと思う。

しかし、記憶が戻って来ているのだと自覚する事が出来た。

「――混乱、していたのかな」

その自分が言っていた〝いつも〟の人と拓海を重ねてしまっていた。

〝いつも〟の人と、拓海の記憶を混ぜ込んでしまっていた。

それはつまり――

(混乱、していたんだ…)

自分で自覚こそしていなかったが。

きっと、自覚していたらそれこそパニックになっていただろう。

そんな事を考えながら、李哉は病室に戻ろうと思い手摺りに立て掛けていた松葉杖を手に取る。

エレベーターに乗り込み、自分の病室のある二階のボタンを押す。

それから、エレベーターの階数を見つめながら思い出す。

(あと、五日…)

この病院に居られるのは、あと五日だ。

五日後には、退院だ。

まだ、翼に逢っていないと言うのに。

このまま、退院していいのだろうか。

良いわけがない。

そうやって自問自答を繰り返していると、エレベーターは目的の階に到着した。

エレベーターを降りて、自分の病室へ向かう。

そこで、気付いた。

前方を歩いている人物に――

やはり、すぐにわかる後ろ姿だ。

寂しそうな、悲しそうな背中が見えた。

周りの雰囲気とは、孤立した独特の雰囲気。

すぐに誰だかわかった。

「翼…」

そう、あの人物とは綾崎翼だった。

李哉は翼に声を掛けようと思った。

だが――

前回の事が、脳裏に過ぎった。

無視されて、置いて行かれたあの日の事を。

無視されるのは怖い。

しかし、今ここで声を掛けなかったら。

もう二度と逢えないような気がした。

李哉は付いていた松葉杖を強く握り締め――

「翼…ッ!!」

翼の名を、口にした。

どうか、振り返ってと願いながら。

前のように、無視しないで欲しいと祈りながら。

すると。

前方を歩いていた翼が歩みを止めた。

そして、振り返ったのだ。

振り返った翼は、ちゃんと李哉の目を見てくれた。

その事が嬉しくて。

無視された場合、胸の痛みに耐えられるようにと全身に力を入れていたので。

安堵すると思わず全身から力が抜けそうになった。

どうにか、まだ立っていられたが。

翼は李哉に気付くと李哉の元へと少し急ぎ足で近寄って来てくれた。

そこで、初めて気付いた。

翼の身長が、自分とほぼ同じだという事に。

今までずっと遠くに感じていた、翼がすぐ傍に居ると。

翼の隣に、並べるようになったのだと。

そう思うだけで、心臓が心地の良い鼓動を刻み始める。

翼は李哉の目の前まで来ると――

「李哉――しばらく見ない間にすごい変わった」

「え…?」

「まるで、別人みたいに感じる。また、強くなったんだ」

翼は、何処か悲しげな表情でそう口にした。

そんな翼の表情は、全く変わらぬ無表情。

しかし、瞳は以前よりも悲しげな色を帯びていた。

翼の瞳を見た瞬間、何か悲しい事があったのだと瞬時に理解する。

――それが、自分に逢えなかった事と関係する。

翼が悲しげな瞳をする理由が、自分と逢えなかった事ならば良いのに。

心の何処かで李哉はそんな事を思った。

そんな我が儘を、考えた。

それに、翼の言葉を悲しく感じてしまうのはどうしてだろう。

また翼は、自分が弱いのだと思っているのだろうか。

ならば違うと言わなくてはいけない。

「めぐ――」

「李哉、逢いに行けなくてごめん」

李哉が口を開く前に、翼が頭を下げて謝って来た。

その言葉は、李哉が一番欲しかった言葉だ。

どうして逢えなかったのか、その理由がずっと聞きたかった。

しかし、それを聞けない。

翼は今、何かを抱えている。

そのせいで苦しんでいる。

その事に気付いた瞬間、逢えなかった理由なんてどうでも良くなってしまった。

出来る事ならば、逢えなかった間に何があったのか聞きたい。

相談に、乗る事が出来たら――

「それは、いいよ。こうやって逢えたから。退院する前に一度でも逢えて良かった。でも翼、何かあったんじゃないかな」

「え――」

「翼の目が、前に逢った時よりも悲しそうだから。何か、あった? 俺で良かったら、相談に乗るよ?」

「――――」

李哉がそう言うと、翼は驚いた表情を見せた。

その表情には、まるで〝どうしてわかったんだ〟と書かれているように思えた。

そして――

嬉しそうな、悲しそうな表情を翼は見せた。

それから李哉の目を見て、口を開いた。

「父さんから、遊び過ぎだって言われたんだ。李哉の事ばかりに感けて、他の患者の事を見ていないって。李哉ばかりに逢っているって。だから、強制的に父さんに今までみたいに年の近い子供達のカウンセリングしろって言われたんだ。何回も、李哉に逢いに行こうとしたけど行く時間が取れなくて――」

翼の言葉を聞き、ようやくわかった。

翼は、したくもない事を無理矢理させられているのだと。

しかし、李哉にはどうする事も出来ない事だった。

今すぐ翼を医者の息子という鎖から解放する事が出来ない。

本当にただ、相談に乗る事しか出来ないのだ。

その事が、すごく悲しい。

翼のために何かしたいのに。

こうやって苦しんでいる翼を救いたいのに。

自分には、何も出来ない。

そんな自分に苛立ちさえ感じられた。

「この間も、本当は声を掛けたかった。手を貸してあげたかった。頑張ってって、言いたかった。李哉の顔をまともに見たかった。でも、それをやったら――」

そこまで言うと、翼は口を閉じた。

こんな翼を、ずっと見て来た。

こんな翼に、ずっと触れたかった。

だが、李哉の手は翼に届く事はなかった。

しかし、今回は違う。

今、自分は翼と対等な立場になれている。

以前のように、遠い存在ではない。

李哉は、左手を翼に向けて伸ばす。

すると、簡単に翼に触れられた。

翼の手を、優しく握り締める。

この手は、ちゃんと届く。

翼と触れられる距離まで、近付けている。

「俺、翼にああやって冷たくされたからこうやって立ててるんだ。意地でも、翼の隣に立ちたかったから。だから、寧ろ感謝したいんだ。やっぱり、翼が居なかったら今の俺は居ないよ。今の俺を生み出してくれたのは、翼なんだ。だから、ありがとう…」

もっと、近付きたい。

それが出来ないならば、せめて伝えたい。

翼が教えてくれた世界に。

翼が見せてくれた世界に。

翼に、ありがとうと。

たくさん、ありがとうと伝えたい。

自分の想いなんて、伝わらなくて良い。

代わりに翼への感謝の想いが伝われば良い。

そう強く思いながら、翼の手を握り締める。

「本当に、逢えて良かった…」

あの日、変わらないと思っていた日々は翼によって変わった。

翼に逢えたからだ。

立てなかった時、翼に冷たくされ隣に立てるようになりたいと強く思ったから立てるようになり、世界は変わった。

あの日、翼に逢えたからだ。

今日だって、きっとそのようにして自分の中で何かが変わっていっているはずだ。

翼に逢う度に、自分は変わっていく。

心から、李哉は思った。

翼に逢えて、本当に良かったと――

「俺も、李哉と逢えて良かった。退院した後に逢うのは、嫌だったから」

「あ、退院する日…は知ってるか」

「五日後だよね。聞いてるよ。今度逢えるのは、五日後になるけど……」

「いいよ。また逢えるなら」

「今日はまだ、逢わないといけない子供達がいるからもう行かないといけないけど……。本当に、ごめん」

「翼は悪くないよ。俺からは頑張ってくらいしか言えないけど」

「その言葉で救われた。李哉に話しただけで、気持ちが楽になった。ありがとう」

そう言うと、翼は優しく微笑んだ。

やはり瞳は悲しげだったが、先程のようにまで悲しげではなかった。

いつもの、翼の瞳に戻った。

李哉の知っている、翼の瞳に戻った。

その事に安心した自分が何処かに居た。

「じゃあ、俺もう行くから。五日後、絶対に病室に行くから」

「うん、じゃあね」

少し名残惜しかったが、李哉は翼の手を解放した。

すると翼の手はするりと抜けていってしまい、そのまま行ってしまう。

手には翼の温もりだけが残った。

それが嬉しくも、寂しくも感じられる。

翼の温もりが残る手を握り締めて、拳を作る。

もうすぐ、退院なのだと。

もう病院で翼と逢うのは、退院する日が最後なのだと――




 そして、三月二十日がやって来た。

病院から去る時間は、昼の十一時となった。

朝食を食べ終わり、ナースが食器を片付けに来た頃。

李哉は歯磨きを終えて、すぐに自分の荷物をまとめる作業に入った。

カーテンを閉めて、前日梅から貰った私服へと着替える。

ズボンはサイズの大きい短パンを自分で穿き、初めて私服姿へとなった。

荷物をまとめ終えて、病室にある鏡で私服姿の自分を見つめる。

今までずっとパジャマ姿の自分の姿しか見て来なかったため、鏡に映る自分が本当に自分かと疑ってしまった。

そうやって鏡を見つめて、気が付いた。

翼から貰った、クリスマスプレゼントを身に付ける時が来たのだと。

そう思い、左手首に翼から貰った腕時計を初めて身に付けてみた。

改めて見てみると、本当に腕時計は高そうでこのような物を自分が身に付けていいのかと思ってしまう。

身に付けた腕時計を見つめていると――

「李哉、退院おめでとう」

樹姫の声が聞こえ、顔を上げてみると。

目の前には大きな箱があり、少し驚いた。

その箱のせいで、樹姫の顔が見えなかった事にも少し驚いたのだが。

「親に頼んで、結構良い菓子折り頼んだンだ。持って行ってくれよ」

「え、でも…いいの?」

「いいんだよ。つか受け取れ。退院する時はこうやって贈りモンしてる奴のモンは受け取る義務があるンだよ」

「そうなんだ…。でも、本当に――」

「いいから、受け取れって! アタシ達世話になったし、世話掛けたし。アタシさ、李哉と逢えて良かったと思ってっから。ありがとな。良かったらまた逢おうぜ」

そう言って半ば無理矢理李哉に菓子折りを渡すと。

樹姫は爽やかに笑って、親指をグッと突き立てた。

「…ありがとう、樹姫」

「んじゃ、次拓海な!」

樹姫に背中を押されて、拓海が李哉の前に出て来た。

小声で「背中押すな」等と呟いていたが。

拓海は李哉と向き直ると、咳払いを一つして見せて。

「まぁ、退院おめでとう。良かったな、もう樹姫の怒鳴り声聞かないで済むようになって」

「おい、それどういう意味だ? ゴラァ」

「そのままの意味に決まってんだろ」

「喧嘩売ってんのか? テメェ。上等だ、買ってやんよォ」

「俺の負けでいいから、今日はりーやの事祝ってやろうぜ」

そのようにして、軽く樹姫をあしらってから拓海はある物を渡してくれた。

それは手に納まるサイズの、細長い紙袋に入っていた。

何が入っているのか気になったが、触った感触からしてどうやらペンのようだ。

樹姫、拓海から退院の品を貰い――

残るのはバジルだけとなった。

バジルは樹姫の後ろから中々出て来ようとはせず、樹姫の後ろにずっと居た。

それを今回、樹姫は無理矢理前に押し出そうとはしなかった。

その理由は。

バジルが、目の端に涙を浮かべていたからだ。

余程別れ難いのか、バジルは退院の品を中々渡そうとはしない。

「バジルよォ、永遠の別れじゃねェンだからよ。逢おうと思えば逢えンだから」

「デモォ……」

「見っとも無く泣いてんじゃねぇよ」

「ダッテェ……」

鼻声でバジルはそう言い、鼻水を啜る音が聞こえる。

そんな姿のバジルを見て、自分はバジルの中で大きな存在なのだと気付く事が出来た。

別れ難いと思うような、そんな存在になっているのだと。

「大丈夫だよ、バジル。ほんのちょっとの別れだから。だから、退院したらまた逢おう? ね?」

「キシヤ……」

李哉が優しくそう言うと、樹姫の後ろから涙目のバジルの姿がようやく見えた。

まだ躊躇っていた様子だったが――

おずおずと、樹姫の後ろから前へと足を踏み出し。

李哉の前までやって来た。

「キシヤ……退院オメデトウ。コレ、僕カラノプレゼント」

そう言って手渡されたのは。

子犬のイラストが描かれてる、レターセットだった。

レターセットを渡したバジルの頬には涙が流れており。

バジルはその涙を服の袖で拭いながら李哉に言う。

「絶対ニ手紙書イテヨ? 僕、絶対ニ返事書クカラ。病院宛テニ送ッテヨ?」

「うん、送るよ。手紙、書くから」

優しく微笑んで李哉がそう言うと。

バジルは念を押すようにして何回も口にした。

「絶対ダヨ? 絶対ニダカラネ?」

「うん、絶対に書いて送るから。だから安心して」

そう言ったが、バジルは悲しそうな顔をまだしていた。

すると、丁度梅が病室に訪れた。

梅は最初、空気を読んで別れの時間を与えてくれたのだが。

泣いているバジルの背中を樹姫が叩いて言った。

「オラ、お前がそうやってるから李哉が退院したくても出来ねェだろうが。お前はずっとこの病院に居たいのか? 出たいだろうが。だったら李哉だって同じだ。最後は笑顔で見送ってやれや」

「ウン……」

樹姫にそう言われ、バジルは服の袖で涙を完全に拭い。

笑って見せた。

しかしその笑顔はいつもの向日葵のような無邪気の笑顔ではなく。

少し悲しげな、笑顔だった。

「キシヤ、マタ逢オウ。ソレマデノサヨナラダヨ」

「うん、またすぐに逢えるからね」

李哉は、手にしていた祝いの品を少しだけ梅に持って貰うように頼み。

自由になった両腕でバジルを抱き締めた。

きっと、バジルは抱き付きたくてもそう出来ないと思ったからだ。

李哉の予想では、退院する日にバジルが抱き付いて来ると思っていた。

しかし、実際は予想と違っていた。

少なくとも、李哉はこうしたかったのだ。

握手が出来ない代わりに、こうやって抱き締めてあげたかったのだ。

抱き締めて、別れを告げたかったのだ。

そうやって、樹姫達と別れを告げた。

その後は梅と一緒に、待合ホールへと移動する。

待合ホールまで樹姫達が付いて来てくれて、見送ってくれる事になった。

待合ホールへ行くと、病院の出入り口の所に藤森先生と世話になったナース達、それから翼の姿が見えた。

李哉の方から二人の居る所まで近付くと。

藤森先生が優しく言ってくれた。

「李哉君、退院おめでとう。よく辛い病院生活に耐えたね。李哉君は偉いよ」

そう言う藤森先生は、両手を後ろで隠していた。

手に何か、持っているのだろう。

李哉がそう思っていると――

急に目の前に色鮮やかな光景が飛び込んで来た。

それは、花束だった。

色とりどりの花束だった。

「これは、僕からやナース一同からの花束だよ。本当に、よく頑張ったね李哉君」

「藤森先生…」

李哉は、藤森先生から花束を受け取る。

思わず目尻が熱くなってしまった。

本当に、今日でこの病院での生活は終わってしまうのだと。

藤森先生はすぐに李哉が目の端に涙を浮かばせた事に気付いた。

その姿を見て、藤森先生は優しく言ってくれる。

「また、逢いに来てくれればいいんだよ。樹姫ちゃん達の見舞いにも来てあげて。僕と話したいなら、いつでも話を聞いてあげるから。都合が悪い時もあるかもしれないけど、何かあったのなら相談に乗るからね」

そう言って、藤森先生は優しく頭を撫でてくれた。

こうやってみんなからお別れの言葉を貰い、李哉は気付いた。

自分はこのようにして人との別れが嫌なのだと。

また逢えるとわかっていても、別れる事が嫌なのだと。

別れを言われると、改めて自覚させられてしまう。

自分の生活が変わってしまうのだと。

そんな事を感じながら、李哉は服の袖で涙を拭う。

そして、目の前に立つ翼を見つめる。

翼の手には手提げ型の紙袋があった。

翼はそれを差し出しながら、口を開いた。

「退院おめでとう、李哉。これ、前に言った俺の気に入ってる本。今は三冊だけだけど、またあげるから」

「うん、ありがとう…」

花束を片手に、李哉は翼から紙袋を受け取る。

その時に、翼は気付いてくれたようだった。

左腕に、翼がクリスマスプレゼントにくれた腕時計を付けている事に。

それを見て翼は優しく微笑んだ。

安心したように、嬉しそうな微笑みを見せた。

「李哉によく似合ってる、その腕時計」

「ありがとう、翼。でも翼の方がよく似合ってるよ」

感謝の想いを口にすると、翼は優しい微笑みを向けてくれた。

その笑顔は、今まで李哉が見た事のない――

優しい微笑みだった。

その笑顔を見ただけで、心臓が鼓動を奏でる。

しばらく翼とこのように話せなかったので、すごく嬉しく感じる。

また、翼と毎日のように逢えればいいのにと思う。

早く学校が始まればいいのにと強く思う。

李哉がそんな事を考えていると、梅が藤森先生やナース達にお礼を言っている声が聞こえて来た。

「今度、李哉の家に行くから」

「え…」

「その時に、俺の家の場所も教えるから」

それだけ言うと、翼は数歩後ろに後退った。

すると李哉の背後に居た樹姫達が李哉に声を掛けて来る。

樹姫か拓海がバジルの手紙を代筆して書くなど。

自分も早く退院したいなどと。

いつもと何一つ変わらず、樹姫と拓海は話してくれた。

バジルは、悲しげな顔をしていたがちゃんと見送ってくれた。

やがて、病院から出てタクシーに乗る時間になった。

梅は藤森先生達に礼を言いながら頭を下げて、タクシーに乗り込む。

李哉も、樹姫達に別れを言う。

特にバジルに。

みんなに別れを告げると、李哉はタクシーに乗り込む。

李哉がタクシーに乗ったのを確認すると、運転手がドアを閉める。

バジルは車が発車する前から手を振っており、それに李哉も車の中から手を振る。

車が動き始めると、みんなが一斉に手を振り始める。

李哉は両手でみんなに手を振っていたのだが――

 遠ざかっていく翼の表情が、とても印象に残った。

あの表情は、今でも忘れられない。

あの時の翼の顔が、今にも泣き出しそうだったから。

もしかすると、俺が病院から去って行くのが悲しかったのかもしれない。

病院で話す相手が、居なくなるから悲しかったのかもしれない。

そんな翼に気付いてて、俺はあの時何も出来なかった。

ただ、遠ざかっていく翼の顔を見つめる事しか出来なかったんだ。

みんなの顔が見えなくなった頃。

おばあちゃんが俺に話し掛けて来た。

「李哉、退院おめでとう。本当は、ずっと前から渡したかったんだけどね。これは李哉が入院する前に身に付けていた物だから退院するまで渡せなかったんだ。それにこれはね、足にプレートを入れる手術をした時に李哉に持たせた物でもあるんだ」

そう言って俺の手に握られてくれたものは――

お守りだった。

と言っても、布と布をただ糸で縫い合わせただけのただの布。

そのお守りには――

刺繍をしようとした跡があったが、結局出来ずにマジックペンで〝李哉〟と書かれているものだった……。









                                              ~To be continued~

この回で、李哉の序章は終わりです。

ちなみに、~弘瀬來の片思い~で登場した仲原李哉と今作の柳葉李哉は全くの別人です。

――そう言わせてくださいwww

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