青春スクエア ~柳葉李哉の片思い~ 小学生編12
李哉は抜糸をした翌日から立つ練習を必死にしていた。
一日でも早く、立てるようになりたい。
李哉はそう強く思っていた。
その事を周りに居て、李哉の事を見てくれている人達はよく知っていた。
それに、退院も近付いている。
そんな李哉を見て、藤森先生がなるべく早く李哉が立てるようになるため。
怪我をしないためと気遣ってくれて梅にヘルメットと膝と肘用のサポーターを買うようにアドバイスした。
梅もまた、李哉の努力を知っているからこそ藤森先生に言われた物を李哉にプレゼントした。
そう、全ては李哉の退院のためにだった。
それに李哉はちゃんと応えようとしていた。
梅から貰ったヘルメットと膝と肘のサポーターを立つ練習をする時に使うようにした。
ヘルメットで頭を守られるために遠慮なく練習が出来るようになった。
これで、頭を打つなどの心配がなくなり練習に専念出来る。
そう思いながら李哉は今まで以上に必死に立つ練習を頑張っていた。
とりあえずの問題は、右足で全体重を支えられるようにならなくてはいけない。
そのために今、右足で体重を支えられるように努力していた。
だが、最初の頃に比べては少し右足で体重を支えられるようにはなっていた。
今日も李哉は右足に体重を乗せる練習をする。
ゆっくりと、少しずつ右足に体重を掛ける。
だが、もう少しで立てるという所で足から力が抜けてしまい倒れてしまう。
後ろに倒れてしまい、頭を打ってしまったが――
ヘルメットのおかげで痛みは無い。
すぐに起き上がってもう一度挑戦しようとしていると。
「たぁくみぃぃぃぃぃ!!!! どぉこだゴラァァァァ!!!」
少し離れた場所から樹姫の怒声が聞こえて来た。
どうやら、今回はかなりお怒りの様子だ。
またバジルが逃げ出したのだろうか?
しかし、先程バジルの名ではなくタクミと呼んでいた。
先日藤森先生から聞いた話ではタクミはとても大人しい人だと聞いたのだが――
そのタクミが何かしたのだろうか?
そんな事を考えながらもう一度立つ練習をしていると。
「おぉ、お前拓海見なかったか?」
不意にリハビリ室の出入り口の方から樹姫に声を掛けられ、少し驚いた。
少し恐怖感を感じながらも李哉は応えた。
「逢ってないです…。なのでタクミさんがどんな方かわからないです…。すみません」
「なんだ、あいつと逢ってねェのかよ。つかお前最近良く逢うな。なんだっけ? 歩行練習してんだっけ?」
「あ、いえ…。立つ練習をしてるんです」
「そうか」
樹姫は右手で頭をガシガシと荒く掻きながら少し辺りを見渡す。
そんな樹姫の姿を見て、李哉は少し気になった。
やはり、樹姫はタクミの事を探している様子だった。
大人しいと聞いたタクミが、一体何をしたのだろうか。
それを聞いていいのか迷いながらも。
李哉はやはり気になり、恐る恐る聞いてみる事にした。
「あの…タクミさん、何かされたんですか…?」
樹姫は少し不機嫌そうな表情をしていたのだが。
その表情が突然曇り。
鬼のような形相になり、額に血管を浮かべながら怒り始めたのだ。
どうやら、李哉と話して怒りが収まったようだったのだが――
李哉がタクミの事を聞いたせいで静まっていた怒りがまた湧き起こった様子のようだ。
「あんのクソヤローがァ!!! アタシの大事にしてた花瓶割りやがってよォ!!! その上に何も言わねェでとんずらしてっから見つけてちょっくらシメてやんだよ!!」
樹姫の怒りを抑えようと思うのだが。
樹姫の威圧感に圧倒されてただ苦笑するしかなかった。
(…これ、地雷絶対に踏んだよね…?)
李哉はそんな事を考えていた。
「そうだよ! こんな事してる時間なんかねェんだよ! んじゃ、またな!!」
樹姫はそれだけ言い残すとすぐに行ってしまった。
疾風のように現れて疾風のように去ってしまったので少し李哉は途方に暮れてしまった。
だが、どうしてだか李哉は楽しいと思っていた。
翼と二人で居た時は、今とは違う楽しさがあった。
翼と一緒に居た時は例えるならば――
静かな楽しさ。
今は、騒がしい楽しさ。
だが、今の方が楽しく感じているような気がする。
樹姫の事については、バジルが可哀想だと思うのだが。
それでもやはり楽しいと思っていた。
翌日、今日も今日とて李哉はリハビリ室で立つ練習をしていた。
今日も右足に力を入れる。
途中で力が抜けないようにと。
今日は昨日に比べて少し足に力が入るようになっていた。
だが、結局はまた転んでしまう。
それでも李哉は頑張って練習を続けていた。
もう少しなのに、もう少しで立てそうなのに――
右足にゆっくりと体重を掛ける。
しかし、結局倒れてしまうのだ。
もう一度立ち上がろうとしていると。
「お、アンタ昨日も逢った――確か……柳葉李哉、だっけ?」
とても可愛らしい女の子の声が聞こえた。
一瞬自分に声を掛けたのではないと思ったのだが。
確かに女の子は、李哉の名前を呼んだ。
聞き覚えの無い声に戸惑いながらも声の聞こえた方を振り返ってみると――
そこには樹姫の姿があった。
あまりにいつも聞く声とは正反対の可愛らしい声だったので、他の人物の声ではないのかと思い辺りを見回してしまった。
しかし、廊下には樹姫の姿しかなかった。
樹姫の可愛らしい声は、見た目とすごい合っているのだが。
李哉は初めて聞いた樹姫の可愛い声に驚き、樹姫の顔をじっと見つめていた。
まだ、本当に樹姫が先程の声を出したのか疑っていたのだ。
すると樹姫が少し不機嫌そうに。
「……え、何その顔。なんかすごい疑いの目で見られてる気がするんだけど?」
優しく、可愛らしい声で樹姫はそう言い。
そこでようやく李哉はその声が樹姫のものだとようやく認識出来た。
李哉のよく知っている樹姫の口から発せられた姿を見たからだ。
自分の知っている樹姫だと思うと、少し緊張を解いた。
いつも樹姫がまとっていた殺気がなかったからだ。
「――怒ってる時と雰囲気変わるんですね…」
感じ、思った事を素直に口にすると。
樹姫は怒るでもなくただ。
少し笑って、明るく答えた。
「ん? ああ! いや、アタシ上に兄貴が四人いるんだよ。だから口調が荒くなったり悪くなったりすんだよ。驚かせたらごめんな? つーかアンタ……いや李哉ってアタシが怒ってる時しか逢った事ないっけ?」
「はい……」
李哉が素直に答えると。
樹姫は少し声を上げて笑った。
それからすぐに声を上げて笑うのをやめ、表情で笑いながら口を開いた。
「そうだったのか! そりゃあ悪い事したな!」
樹姫はそこまで言い。
ふと、顔から笑みを消した。
そして少し考える素振りを見せ。
やがて、樹姫は口を開き――
「じゃあなんだ? アタシの印象は最悪って事か……。よぉし……後でバジルの野郎に逢ったらシメてやろうじゃねぇか……」
その一言が、李哉の聞き慣れたドスの利かせた声だったのは一応聞かなかった事にした。
表情も若干、李哉のいつも見ていたあの恐ろしい表情になったのも見なかった事にした。
だが、すぐに樹姫の表情が先程の優しげな表情に戻った。
「ま、怒ってねェ時は至って普通だからさ。あ、ここ自分で言っちゃダメか」
そう言って樹姫は笑う。
その姿は本当に普通の女の子で、笑顔がとても綺麗だ。
李哉はそんな事を思い、ある事に気付いた。
年の近い女の子と話をする事が初めてだと言う事に。
李哉が話した事のある女の子はいつも、十歳未満の子供。
その事に気付いて李哉は少し考えてみる。
(普通は、こういう人の事を好きになるんだろうな…)
それから、翼と樹姫を少し比べてみる。
翼とはまるで、正反対の女の子。
それにきっと樹姫は、年相応なのだろう。
子供らしさがまだ樹姫には見える気がする。
それに比べると、翼からは反対に大人の雰囲気を感じる。
――もしも。
もしも翼と逢うよりも先に樹姫と逢っていたとしたら。
自分は樹姫の事を好きになっていたのだろうか?
(…いや。好きにはならないと…思う)
気が付いたら李哉は自問自答をしていた。
たとえ樹姫と先に逢ったとしても、恋はせずに翼と逢った時に恋に落ちるだろう。
その理由は。
李哉は〝翼〟が好きなのだから。
「そういえばさ、李哉は何歳なわけ?」
「え…?」
不意に樹姫に声を掛けられ、現実へと引き戻された。
一瞬、樹姫が何を言ったのかわからず。
何を聞かれたのかと聞き返そうとした時に樹姫の言った事を思い出した。
「あ、十二歳…です」
「じゃ年下か。つーかアタシの周りって年下ばっかだな」
「そうなんですか?」
「バジルは十一で、拓海が十三。んでもってアタシが十四」
確かに年下ばかりだ。
という事は、李哉はその反対だ。
李哉の周りには、大人ばかりだからだ。
と、言ってもみんながみんな大人ではないのだが。
特に言えば翼は。
だが、翼は李哉の中では大人だった。
年の近い人と話す方が少なかったのは、覚えている。
「なら、俺と反対ですね」
「そうなのか?」
「はい、バジルと逢うまではそんなに年の近い子と話さなかったんで」
「ふぅ~ん」
そう、バジルと逢うまでは。
それまではずっと、翼と一緒に居た。
ずっと、翼と――
(翼…)
また、翼に逢えない悲しみで胸が痛む。
逢いたい。
逢いたくて堪らない。
翼に、逢いたい。
そんな事を強く思いながら、重症だと李哉は思っていた。
恋もまた、病だというのならば李哉はかなりの重症だ。
もうずっと、翼の事ばかりを考えている。
李哉の胸は、ずっと翼の事で痛んでいた。
これはきっと、重症なのだと。
「つか、なんで李哉敬語なわけ?」
「え…?」
またもや、樹姫の言葉で現実へと引き戻され。
李哉は言われた質問が何かを思い出して返答に困った。
どうして、敬語なのか。
それは樹姫が年上だから。
だが、どうして年上相手には敬語を使うのかと言われれば確かにどうしてなのだろうか。
そんな根本的な事を考え始めた李哉に樹姫は。
「アタシ、敬語とか無理だからタメ口でいいぞ?」
「あ…いいんですか?」
「いいって」
そう言って樹姫は笑う。
その笑顔が、とても似合っている。
樹姫は、怒っている時よりもこうやって笑っている方が似合っている。
とても女の子らしくて、可愛い。
だが、不思議と胸がときめく事はない。
ときめいていたらそれはそれで問題なのだが。
やはり、この胸は翼にしか反応しないのだと改めて認識出来た。
「じゃあ…よろしく」
「おぅ、よろしくな!」
笑って樹姫はそう言うと。
右手の親指を立てて李哉へと向けた。
そして、樹姫はリハビリ室を去った。
樹姫が去り、李哉はまた立つ練習を再開する。
だが、樹姫の印象が変わった事に自分でも気付いた。
確かに、藤森先生の言っていたような人物だった。
もう少し話せば、仲良くなれそうだ。
まぁ、あのようにフレンドリーな樹姫とならすぐにでも仲良くなれそうだが。
少なくとも、向こうはもう仲が良くなれたと思っている様子だったが。
多分、樹姫は話した時点で仲が良くなったと思っているのではないだろうか。
しかし、樹姫のような人を李哉は嫌いではなかった。
寧ろ、清々しくて良いとさえ思っていた。
もう少し、樹姫と話したいと李哉は思っていた。
翌日、今日も李哉はリハビリ室へと向かっていた。
廊下の手摺りに縋り付き、下半身を引き摺って。
早く立てれば、このようにして身体を引き摺って行く必要も無いのに。
それが中々出来ないから、今こうしてリハビリ室へと向かうしかないのだ。
早く、立てるようになりたい。
立って早く――
翼に逢いたい。
そのために李哉はどんなに倒れても。
どんなに転んでも。
どんなに辛くても。
どんなに痛くても。
絶対に諦めない。
たとえ動けなくなったとしても、無理矢理にでも身体を動かすだろう。
とにかく、逸早く立てるようになりたかった。
リハビリ室に着き、いつものように立つ練習をしようとしたのだが――
いつもならば李哉の手の届く範囲の高さや床にもらったヘルメットなどを置いていたのだが。
それが何処にもない。
何処にあるのかと辺りを見渡してみると。
李哉のヘルメットやサポーターは机の上に置かれていた。
恐らく、床に置いていると他の人の邪魔になり誰かが移動させたのだろう。
李哉はその机の元へ行ってみるのだが……。
どんなに手を伸ばしても李哉の手はヘルメットには届かない場所に置かれていた。
取れるとしたら、立てた場合だ。
そう思い、李哉はヘルメットとサポーター無しで立とうと試みた。
もしかしたら、立てるかもしれないと思いながら。
右足を床に付き、ゆっくりと体重を乗せていく。
力が抜けないようにと、右足に強く力を入れる。
力を入れながら、ゆっくりと立ち上がる。
ゆっくりと、ゆっくりと。
左手で机を掴み、右手でヘルメットとサポーターを取ろうとして伸ばす。
もう少しで、取れそうだ。
あともう少し、手を伸ばせば――
「おぉ、今日も頑張ってんな」
不意に、樹姫の声が背を向けていたリハビリ室の出入り口から聞こえて来た。
意識が足から樹姫の方へ向いてしまい。
その瞬間、右足から力が抜けてしまった。
後ろの方へと倒れそうになり、李哉は反射的に机の端を掴もうとしたのだが。
手が滑ってしまい、机を掴む事が出来ない。
このままでは、頭を床に打ち付けてしまう――
どうする事も出来ずにいると。
「危ねェ!!」
そんな樹姫の声が聞こえ。
気が付くと、樹姫が李哉の身体を支えてくれていた。
そのおかげで頭を打たずに済んだ。
李哉が無事だと確認すると、樹姫は安堵の息を漏らした。
「危ねェな……。怪我はねェか?」
「うん…。ありがとう」
「で? 付けてたヘルメットとかどうしたんだ? あれ付けりゃいいだろうがよ」
李哉を座らせてくれながら樹姫は優しく聞いてくる。
口調は少し悪いが、とても優しい。
李哉は机の方を左手で指しながら、樹姫に頼む事にした。
「ヘルメットとサポーター、誰かが机の上に置いたみたいで…。自分じゃ取れなかったから、悪いけど取ってくれる…?」
「ああ、そうだったのか。だったら早く言ってくれよ。まァ、急に声を掛けたこっちだって悪ィんだけどな」
そんな事を呟きながら樹姫は机の上に置かれていたヘルメットとサポーターを取ってくれた。
取ったヘルメットとサポーターを李哉に渡してくれ――
樹姫の表情が急に変わった。
それはいつものように怒った表情ではなく。
心配そうな、少し慌てるような樹姫の表情だった。
「お前……膝破れてすげェ事になってるぞ!」
樹姫にそう言われ、李哉は膝を見てみた。
李哉の膝は、樹姫の言った通りにパジャマが破れてしまい。
膝が擦れて肘と同じようになっていた。
その事に李哉は、今初めて気付いた。
それに、李哉はそれを見ても膝の事など考えていなかった。
つい先日、梅に新しく買ってもらったパジャマの膝がもう破けてしまった。
そんな事を考えていた。
だが、廊下を移動する時に下半身を引き摺って移動しているので仕方ないといえば仕方ないのだが。
梅に申し訳ない気持ちになっていた。
そんな李哉に樹姫は気付かず、心配そうに聞いて来た。
「本当に大丈夫なのか? 先生、呼んで来ようか?」
すごい心配してくれる樹姫の姿を見て、李哉はわかったような気がした。
藤森先生とバジルの言っていた事を。
本当に樹姫は優しい。
心配して先生を呼ぼうとさえするほどに、良い人だ。
こんなに優しい人がバジルにだけあのように厳しい接し方をする理由もなんとなくわかったような気がした。
優しさ故、バジルの事を思うが故にちゃんと日本語を喋れるように厳しくしているのではないのだろうか。
それがわかったような気がした。
「心配してくれてありがとう。もう大丈夫だから」
そう言って李哉は樹姫を安心させるために笑って見せた。
李哉の笑顔を見て、樹姫は安心したようなのだが。
樹姫は李哉の隣に胡坐を掻いて座り、少し腕を組んでから口を開いた。
「でもお前、いつも必死に立とうとしてるよな。あんまり無茶、すんじゃねェぞ?」
「うん、そうするね」
口ではそう言っていたが、李哉は無理はしようと思っていた。
しかし、無理をし過ぎてはいけないともわかっている。
わかっているのだが、どうにも自分が止められない。
藤森先生や樹姫に〝無理はしないように〟と言われる度に気を付けなくてはいけないと思う。
注意をされた時に、自分は無理をしているのだと不意に気付くのだ。
だが結局はまた無理をしてしまい、注意をされてしまうのだが。
そんな事を思いながらも、やはりその言葉が嬉しかった。
「それにお前と話す時っていつも、立つ練習してるだろ? 無茶するような奴なんじゃないかって気になってもいたんだ」
「心配してくれてありがとう。樹姫さんって優しいね」
李哉が感謝の気持ちを素直に口にすると――
樹姫は少し驚き、それから。
照れた様子で口を開いた。
「さん、なんてやめろよ! なんかむず痒くなるだろうが!」
そう言いながら、本当にむず痒そうに首を捻ったり回したりしていた。
少し首を鳴らしてから。
「樹姫って呼び捨てで呼んでくれよ。それでいいからさ」
「じゃあ…樹姫…?」
「おぅ! つーか今までさん付けで呼ばれた事がねェからびっくりしたわ」
そう言いながら樹姫は照れたように笑う。
それにつられて李哉も笑う。
それから、少し思い出した。
今までで何回か、樹姫の名前を呼び捨てにして呼んだ事がある。
でもその時はバジルから聞いた〝イツキ〟の事だ。
李哉が男だと思っていたイツキ。
しかし、実際は女の子で樹姫という名前だった。
その上に年上だった。
なのでさん付けで呼び、敬語を使っていたが。
樹姫からそう言われたのならば、いつもの自分で接する。
それに――
もう樹姫への恐怖感はなかった。
「あ、そういえば…」
「ん?」
「この間のタクミさん、見つかった?」
流石にタクミの事を呼び捨てにするわけにはいかないな、と思いながら李哉はそう聞いた。
樹姫には今、呼び捨てにしてもいいと言われたので呼び捨てにしているが。
まだタクミ本人には呼び捨てにしてもいい許可をもらっていない。
そう思い、タクミはさん付けにして言ってみた。
李哉はふと思い出して何気なく聞いたのだが――
樹姫の反応は李哉の想像していた反応ではなかった。
いや、ある意味想像は出来たのだが。
樹姫は李哉にそう言われ、一瞬無言になり。
「ああ、逢ったさ! 逢ったんだけどよォ!」
鬼のような形相に突然なり、声も可愛らしい声から完全に変わってしまい、ドスの利かせた男の声へと。
更には額に血管が浮いている。
挙句の果てには殺気を放っているのだからまたも恐怖を感じてしまう。
流石にこれは、恐怖を感じられずにはいられない。
しかも、迫力がすごい。
「な…何があったんです…か…?」
その迫力は、思わずまた敬語に戻ってしまうほどだ。
そして、李哉はまたも思う。
(――地雷、踏んだな…)
だが、自分で聞いたのだから聞かないわけにはいかない。
李哉は樹姫が口を開くのを待った。
やがて樹姫は怒った様子で口を開いた。
「拓海の野郎とっ捕まえて、階段から突き落としてやろうかとさえそりゃ思ったわ! つかするつもりだったわ!」
――病院で怪我人を出すというのは、どうなのだろうか。
そう思いはするが、口にはしない。
とりあえず今の最善策はこれ以上樹姫を怒らせない事だ。
そうするには李哉は大人しく話を聞いているしかないだろう。
「そんで拓海の野郎見つけたからとっ捕まえて聞いてみりゃあバジルがやったって言うじゃねェか!!」
怒りながら樹姫はそう言った。
それを聞いて、なんとなく想像が出来た。
恐らくバジルが樹姫の大事にしていた花瓶を割ってしまい、怒られる事を恐れたバジルはタクミのせいにしたのだろう。
確かに、怒った樹姫の顔を見たらそう言ってしまうかもしれない。
「あんのクソワン公がァ…! ま、形あるモンはいつか壊れるモンだから仕方ねェけどな。あいつにはとりあえず消灯時間までみっちり日本語教えてやったけどよォ」
「それは…」
酷い事を考えるとは思いながらも考えてしまう。
自業自得だと。
(――バジル、ごめん)
思った事に対して心中で李哉は謝っていた。
だが、嘘を付く事はやはり悪い事であり。
嘘を付いて逃げたバジルの、自動自得だと。
だが、それでもまだ軽く罰なのではないのだろうかとも思っていた。
「って……悪い悪い! ビビらせたな!」
そう言う樹姫の声は可愛らしい声に戻っており、放っていた殺気も瞬時に消えた。
そのおかげで感じていた恐怖感も消えた。
やはり、怒っている樹姫は苦手だ。
それとは反対に、笑っている樹姫は好きだ。
男のようにサッパリとした性格だからだろうか。
李哉がそんな事を思っていると。
「つってもなァ……。兄貴達の方がアタシよりもっと怖ェぞ?」
「そっ…そうなの…?」
「一番下の兄貴は怒らねェから平気だけどよ……三男は……悪魔だ」
「あ…悪魔…?」
「三男が怒ったらよォ。精神的に効く攻撃してくんだよ」
それは――
それで嫌だ。
李哉には、少し想像が付かなかったが。
怒ると大抵の人が怒鳴り付けるか、酷い場合は殴ったりする。
どのように、攻撃してくるのだろうか少し気になった。
「そんで、次男は鬼。次男と口喧嘩で勝った奴なんていやしねェ。次男は言葉の暴力を使うんだよ」
それもそれで嫌だ。
言葉の暴力は、実際に殴られるよりも辛いのではないのだろうか。
言われて傷付く言葉を、その人はどんな顔で言うのだろうか。
少し気になったが、聞きたくもなかった。
「そして長男は――魔王だ」
「ま…おう…?」
魔王とは一体、どのようなものなのだろうか。
悪魔、鬼と並べられ魔王とまできた。
どれほどに怒ったら怖いのだろうか。
李哉が唾を飲み込んで樹姫が口を開くのを待っていると。
「長男はな、学生時代は喧嘩番長って呼ばれてたんだよ。長男の喧嘩のスタイルはなんでも有りなんだ。勝てさえすりゃあなんでも良い。酷ェ時は三男と次男が怒った時に使う手も使う。精神的な攻撃でも、言葉の暴力だろうと、実際の暴力だろうと関係ねェんだ。だからみんな長男だけは怒らせねェようにしてんだ」
「そ…うなんですか…」
それならば、樹姫が怒ると怖い理由が納得出来た。
そのような環境で育ったのならば、そうなってしまっても仕方ないだろう。
李哉がそう思っていると。
「そんな家族だからだろうな。怖いって思うのはさ。今更どうにも出来ねェんだよこれだけは。ま、これから仲良くしようや。今日はもう行かねェといけねェけど。また今度な」
そう言って樹姫は少し笑うと右手を軽く上げて、リハビリ室から出て行った。
樹姫がいなくなり、リハビリ室に一人になった李哉はヘルメットやサポーターを付けながら少し考えた。
樹姫が怒ったら怖い理由はわかった。
だが、それを聞いて樹姫の事を嫌いにはならなかった。
樹姫に対して嫌な印象も抱かなかった。
自分の兄弟がそのような人物なのは、仕方がない事だと少し思ったからだ。
人の性格というものは、その人を表す。
それに、樹姫が今更怒った時に怖いのを直そうと思っても直せないのならば樹姫の兄弟も同じだと思ったからだ。
そう思い、李哉は今日もまた立つ練習を始めた。
今日こそ、立てるようになると思いながら――
翌日。
李哉は今日も朝食を食べ終えてからすぐにリハビリ室へと向かっていた。
流石に、立てるようになりたい。
もうそろそろ、立てるようになっても良いだろう。
しかし、まだ立てないのが現状だ。
もう少し――
もう少しで立てそうなのに。
あと少し、足を踏み出せば右足だけで体重を支えられるようになるのに。
そのあと少しが出来ないのだ。
今日こそは絶対に立てるようになろうと思いながら李哉は手摺りに縋り、下半身を引き摺りながらリハビリ室に向かう。
それから、立つためには何が足りないのかと考えてみる。
(やる気? 根気?)
その条件ならば、既に満たしているはずだ。
他には何が足りないのだろうか。
李哉はそれを考えながらリハビリ室へと向かう。
一体、何が足りないというのだろうか。
翼への想いが足りないとでもいうのだろうか。
とにかく、今日は何が何でも立てるようにならなくては。
李哉がそう思った時――
視界の端にある人物の姿が入って来た。
李哉は思わずその人物を見つめてしまう。
「――――」
驚きのあまりに、声すらまともに出ない。
李哉の視線の先に居た人物とは――
そう、綾崎翼だったのだ。
久々に翼の姿が見れて、すごく嬉しかった。
元気そうな姿を見て、すごく安心した。
何事もなく、無事で居てくれたと。
だが、そこである事に気付く。
いつもの翼ならば李哉の姿を見つけるとすぐに李哉の方へ見て、李哉の元へと来てくれる。
しかし、今日は違った。
李哉の存在に明らかに気付いているはずであろうに。
それにも関わらず、翼は李哉の方を見る事は愚か。
李哉の事を一度として見る事無く――
李哉の隣を通り過ぎたのだ。
(え――)
李哉はその事に驚き――
いや、強いショックを受けながらも翼の後ろ姿を見つめる。
翼は振り返る所か、歩みを一度も止めずに行ってしまう。
「――――」
あまりのショックで声が出ない。
いつものように翼の名前を呼ぶ事が出来ない。
名前を呼べば、翼は振り返るかもしれないのに。
声さえ出れば、自分の元へ来てくれるかもしれないのに。
それなのに李哉が取った行動は――
立って、翼の元へと行こうとしたのだ。
今はそれしか、方法がなかったのだ。
それに微かな希望だった。
翼を追い掛けようとして、立つ事が出来るのではないかと。
しかし、結果はやはり。
右足では体重が支えられずに――
その場で倒れてしまった。
李哉はそれでも翼の元へと行こうとしたのだが。
だんだんと、翼の背中が見えなくなっていく。
翼の悲しげな背中に李哉は左手を伸ばす。
だが、その手が届く事は無い。
それはまるで、李哉の想いまでもが届かないようにも思えた。
「め、ぐみ…」
ようやく出た声で紡ぐ名前さえ、翼に届く事は無い。
――李哉はただ、聞きたいだけなのに。
どうして逢いに来なくなったのか。
どうして今、無視したのか。
流石に今回は辛すぎた。
胸が、酷く痛む。
頬が、涙で濡れていく。
久しぶりに逢えたというのにあのような態度。
普通ならばここで翼の事を嫌いになってしまうのだろうが。
李哉はそれでも翼の事を想っていた。
だが、このまま倒れて泣いているとナースや先生達に声を掛けられる。
そう思って李哉は涙を拭い、起き上がる。
そして、手摺りを強く握り締めた。
胸はまだ酷く痛むが、それを無視してリハビリ室へと向かう。
リハビリ室へ着くと、李哉はすぐにヘルメットとサポーターを付けて立つ練習を始めた。
右足に体重を掛けて、立とうとする。
先程の事はやはり辛い。
胸が痛くて、涙が溢れそうだ。
痛すぎて、堪らない。
だが、確かに感じていた。
翼の姿を見る前と今、李哉の中で何かが変わっていた。
前よりも李哉を突き動かす衝動が強くなったような気がする。
そして以前よりもずっと強く思う。
翼に逢って理由を聞きたいと。
李哉は、胸の痛みを糧に。
悲しみを糧にして立ち上がる事にしたのだ――
~To be continued~




