桜 死よりも遠い君へ
すこし昔の日本を思い浮かべて。
その桜には意思があった。
地中の種子から芽が出て、一番初めの葉を広げたときからではなく。
枝を広げ、その淡い色の花を最初にまとった年でもなく。
枝を広げ、幹を太らせ、
何年も何十年も花を咲かし続けるうちに。
春と呼ばれる季節が巡るたび、その大きな全身に花をまとい、
その度に、人から賞賛を浴びているうちに。
何度も何度も。
見つめられて。
言葉をかけられて。
想いを寄せられて。
そうして、初めて花をつけた時から何十年もたってから。
―――桜に、心が生まれた。
人を見つめて。
人に聞こえぬ言葉をかけて。
想いを募らせて。
その桜の周りには、いつも幸せが溢れていた。
無意味な争いが起こっていた時代も、ただそこに桜があるだけで。
人々の心には安らぎが生まれ、遠くにいる人の無事を祈ることができ。
その願いが叶えば、感謝する気持ちも生まれた。
その温かい心が、桜は好きだった。
ある日。
その年の花も散り始めた、物悲しい夕暮れ。
一人の少女が桜の元を訪れた。
少女はそっと桜の幹に触れて、目を閉じた。
「あたたかい………」
鈴を鳴らすような小さなかわいらしい声だった。
「あなたはとても暖かいのね…………」
少女の頬を幾筋もの涙が伝っていく。
その涙が、地に落ち。桜の元へとその感情を伝えた。
痛み。
苦しみ。
悩み。
孤独。
虚無感。
少女の身に刻まれた過酷な運命を、桜は知った。
そして、その運命がどうしても救われないことを。
だから。
せめてものなぐさめに、と。
桜は自身の中にあるすべての幸福な思い出を少女に伝えた。
たとえひと時でも。
たとえ、ほんの短い眠りの中ででも。
………少女が幸せでいられるようにと。
少女は、桜の木の下で。
刹那的な、安らかな眠りについた。
少女の穏やかで満たされた寝顔が、桜の最後の記憶。
桜は。
少女に己のすべてを伝えたために、己の意思を見失った。
深い深い、闇の底へと。
己の意思が沈んでいくのを受け入れた。
少女は。
満たされた気持ちで目を覚ました。
それでも。
その少女の前から過酷な運命は消えていなかった。
逃れることは、とうにあきらめていた。
そして。
もう何も語らない桜にそっと口づけをして、去って行った。
桜は。
ただの桜として、その場所にあり続けた。
眠りについた意思を抱えて。
何年も。
何十年も。
何百年も。
そしてようやく、桜は目覚めた。
その年の桜の花は。
言葉を失うほど見事で。
生涯忘れえぬほど美しかった。
桜は。
再び、少女が訪れるのを待ち続けていた。
何年も。
………何十年も。
………何百年も。
いつしか。
またゆっくりと、桜のそばに幸せが溢れていくようになった。
そうして桜は、新しい力を手に入れた。
人を、少しだけ幸せにする力。
桜は惜しむことなく人々を幸せにし続けた。
微笑みながら。
慈しみながら。
………いつの日か再び訪れる、あの少女のために。
過去サイト初出2003/11/08
桜には絶対になんか不思議な力があると思う。
ずっとそう思い続けてます。
桜に狂う日本人の性ですか。笑




