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雪の足音

作者: 豆生田
掲載日:2026/01/28

挿絵(By みてみん) 

 水気の多い雪が降り始めていた。

 街往く多くの人は天を仰ぎ、この雪に降られることを楽しむ。雪は紙吹雪のように大粒で、ハラハラと舞う。

 着けていたマフラーに乗る雪の粒が、吐息で水滴に変わるのを眺めながら、傘をささずに呼ばれた場所へ向かう。

 少し積もりつつある水分の多い雪は踏んでもまだジャバッと灰色に変わり、足跡を残す。

 都内の雪はすいぶんが多くて、頬についても体温ですぐに水滴へと変わり、涙のように顎へと伝う。

 何年振りだろう。先輩に会うのは。

 ここらではそれなりの敷居の高さを誇るショッピングモールの最上階のレストランに呼び出す辺り、相変わらずのようだ。

 あの日もそうだった。雪が降るのを待つように彼女は天を仰いでいた。


 大講堂で行われた授業の最後列の席の、そのまた後ろ。大学に入ってまだ二週間くらいだったろうか。単位を取りやすいと聞いたから選んだだけの授業、僕はやる気もなく最後列のさらに後ろ、壁を背に地べたに座り込んで授業を聞いていた。他の生徒らが怪訝そうにこちらを見ている。空いている席がなくはないが、他の生徒らと相席しなければならない。そんなことをするくらいなら、怪訝な視線を向けられるくらいなんてことない。

「君、ここ座りなよ」

 その笑みは周りから向けられる嘲笑や憐れみ、同情のような笑みではなく、興味深そうな笑み。振り返り、こちらを見つめるその視線にはどこか好奇とも違う、衝動的なものを感じた。挿絵(By みてみん)

 ちょうど前の最後列の席、白い肌に、整った薄い二重の大人びた日本人顔、毛先だけが赤色の淡い黒髪が肩まで切り揃えられ、嫌味を含まない上品な笑みが似合っていた。振り返るその姿すらも、どこか様になってしまうような綺麗な人だと素直に思う。

 それが先輩との最初の出会いだった。

「いえ、結構です」

「まぁまぁそう言わずに。悪目立ちしちゃってるしさ」

「別に、誰にも迷惑をかけているわけじゃないでしょう」

「うーん…あんまりこんなこと言いたくないけど、正直、後ろにいられると気になって集中できない。それって結果として、迷惑になってない? 」

 そう言われると弱い。他所様に迷惑をかける、他人に借りをつくること、それは僕のこれまでの人生において主なストレス元になり得る。迷惑をかけているとはっきり言われてしまった以上、彼女にかけた迷惑分の清算を行わなければ気が済まない。

 僕が口をつぐみ、頭の中で迷惑の返済についての請求額を計算していると、彼女はどういう感情の笑みかわからないままに続ける。

「別に取って食うわけじゃないんだし、こっちおいでよ」

 ほらほら、と言い、彼女は自分の隣の席の背もたれを軽く叩く。僕は今回の迷惑料分の彼女の提案を飲むことにした。


 それからなんとなく先輩と会話をする頻度が増えていく。同じ授業では決まって同じ席を先輩が確保し、その度に最後列の更に後ろで壁を背に座り込む僕に彼女が話しかけ、隣の席に座ることが恒例行事、儀式となった。

 それからお互いのことを知っていく。たとえば、学年こそ違えど浪人している僕と年齢は同じだとか、出身地が同じだとか、彼女は酒が強くて僕が酒に弱いだとか、学部や専攻が実は同じだったとか、お互いに同じような信念の元にサークルに属することはないだとか、嫌いな映画や小説が似ているだとか。

 それからちょくちょくご飯に行くようになり、それから飲みに行くようになる。飲みに連れていく、と言い出した彼女に最初のうちは奢ってもらっていたが、ある時から「いや、歳同じじゃん」と彼女が決定的な事実に気づき、以降割り勘となった。できる限り彼女に奢らせるつもりだったのに。

 そう、この頃にはもう彼女に対して「他所様」という感覚は抱かなくなっていた。

彼女は僕にとって表現のしようがない存在になっていた。

 恋人ができても先輩との関係が切れることはなかったし、彼女はその非凡な見てくれの良さをもちながら恋人を作らなかった。それは僕との関係が原因というわけではなく、彼女が主に男色を見るのが好き、という趣味を持っていたからだ。曰く、「私が好きになる男には、私より似合う男がいるからね…」だそうだ。何を言っているんだ、と本気で思う。

 僕の大学生活は、正直、彼女との生活と言ってもいい。彼女の家の合鍵を持ち、彼女の家に「ただいま」と言って入り、ソファで映画やアニメを観ながら、宿泊代代わりに料理を振る舞う。翌朝、彼女の家から二人で出て、大学に行き、お互いが取ってる授業に出席して、大学内にいるお互いの友人と過ごし、一日が終わるとまた彼女の家へ「ただいま」と言って帰る。

 周りは「先輩と付き合ってるの?」と好奇の視線を向けたが、なぜかそういう関係にはならなかったし、僕には普通に恋人ができたけれど、決まって先輩とのことがケンカの元になって別れる、そんな日々を過ごしていた。そして、それも悪くないとも思っていた。

 失恋の実感もない。今にして思えば、先輩の存在が恋人に本来求められ満たされるはずの充足感を与えてくれていたのだろう。

 彼女の卒業までそれが続き、彼女があの家から出るその日まで、その生活は続いた。

そして、彼女はケジメだと言わんばかりに、卒業と共に一切の連絡を絶った。

 それからめっきり連絡はなかった。

 大学を卒業してから何年も経っていたし、結婚もした、正直なところ先輩のことは頭から離れていた。過去の思い出を思い出すことすらないほどに今の生活に満足していたんだと思う。


 そんな矢先。

 ある時、急に住んでいた家に手紙が届いた。住所も当時とは違うはずだったが、人伝いに今の住所を突き止めたのだろうか。

 送り主には懐かしい名前が書かれていた。先輩のフルネームは大学の講義で提出する課題に書かれたのが最後、それ以来に見るその名前になぜか感動してしまった。名前が変わっていない辺り、結婚はしていないのだろうか。いや、今の時代、夫婦別姓もある、そうとも言い切れない。それに手紙状では誰か送られてきたかをはっきりさせるためにあえて旧名を書いた可能性だって十分にある。

 当時のことをなんとなく思い出してくる。

 そうだった、彼女はいつも急なのだ。

 彼女の部屋でゴロゴロしていると急に「花火をやりたい」と言いだし、真冬の雪が降る中、花火を大きめのスーパーや玩具店を何軒か回ってやっとの思いで探し出してやったこともあった。

 急に、何か高い建物の屋上に行きたい、人工的な展望台とかじゃなくて、屋上がいい、と言い出し、それも散歩がてらに先輩の気に入ったそれなりに背のある古びた雑居ビルを見つけては屋上に行けるかを確認して出る、を繰り返したこともあった。結局、どこも屋上に行くためには管理室の鍵が必要らしく登れるところはなかった。先輩は、ここで我慢しようと言って、住んでいたマンションの屋上繋がる外階段を登っていき、施錠された鉄柵型のドアを乗り越えて、屋上に登っていた。

 あの時も、急だった。


 入り浸っていた先輩の住むマンションのオートロックを開ける鍵、いつもそれが隠されているところに行くと、いつもあるはずの鍵の代わりにポストイットが貼られており、場所が指定され、そちらに移動してみるとまたポストイット。昔ながらの宝探しゲームの要領で街中を振り回された挙句、最後はそこらでは一番大きいショッピンングモールの屋上に造られた夜景を一望できる美しい屋上庭園に呼び出された。屋上には洒落たカフェなどが併設されていてカップルがあちらこちらにいる。

 そこにはいつもとはまるで違うめかし込んだ先輩が立っていた。缶コーヒーで暖を取るようにして、そして天を仰いでいた。その日も、雪が降る予定だったから。

 あの日、先輩は急に話し出した。

 呼ばれたシティホテルの指定の階に降りると、どうやら僕のような庶民が出入りする場所ではなさそうなレストラン街に出る。本当にここであってるのかと不安になったが、どうやらあっているらしい。周りを見渡すが、めかし込んだ小綺麗な装いの人が多い中、ガッツリ休日のお父さんのような格好に、普段スーツの上から羽織るようなコートを申し訳程度に着込んだ、大方その場所にそぐわない格好の僕は妙に浮いていた。

 先輩の姿を探すが、最後に会ってから結構な年月が経っている、お互いの姿が分からないのではないだろうか。いや正確には、僕が先輩の姿を見つけることができるのか怪しい。女性の見た目はちょっとした装い一つで別人のように変わってしまう。僕は当時から服装すらもほとんど変わらない。もしかすると案外先輩も変わらないのかもしれない。

 どこの店にいるのかわからないため、フロアをゆっくりと辺りを見回しながらねり歩く。

 しばらく歩くと、後ろから名前を呼ばれた。不自然にも「さん」づけで他人行儀なその声かけに、久しぶりに会うとそうなるよなと思いながら、先輩もどこか照れ臭さを感じているのかもしれないと思うと少し肩の力が抜けた。

 そこに立っていたのは、まったく見覚えのない女性。

 数年振りに会うから、とか、いくらか装いが違うから印象が変わって、とか、そう言った類ではなく、身長から顔つきからまったの別人。

 誰、と戸惑っていると彼女は愛想よくこちらに笑顔で近づいてくる。

「よかった〜本当にいらっしゃったんですね」

 丁寧な言葉遣いと、本来の気さくな性格が入り混じった言葉をかけられる。世代は同じくらいだろうが、目元と口元は濃いめのメイクを施し、その他はナチュラルメイクをしているだけに、元の整った顔に更に幼さと色気が加えられている。明るめに染められたセミロングの茶髪をアップにして、さりげなくレースが施されているハイネックのロングワンピース、その上から、高級そうなファーの上着をずり下げるように羽織っている。

 その装いは、これまで人に見られたり、人に好かれ慣れている人のそれだった。僕が関わってこなかった人種。

「彼女に呼ばれたん…ですよね?」

 確認するように上目遣いをこちらに向けてくる。この処世術に一体どれだけの人間が心を開いてきたのだろう。何故かこの人は彼女のメッセンジャー役だと直感した。

「あ、たぶんそうです。先輩は…?」

「これ、預かってまして。渡してくれって。ここに書かれている場所に来てほしいのだとか」

 そう言って、彼女が腕に提げていたバッグから便箋を渡してくる。ここで開けるのは、なんだか失礼な気がして、受け取ったのをコートのポケットにしまい、彼女に挨拶だけしてその場を去ろうとする。

 すると、彼女からまた、声をかけられた。

「あの!」

 フロアに響くほどではないが、それまで空気を読むようにお淑やかに、それでいて無邪気な雰囲気で話していた彼女が急に大きな声を出したので、ずいぶん驚かされた。

 振り返って彼女の方を向くと、彼女は言葉を口の中でまとめるようにパクパクと開いたり閉じたりをした後、ようやくセリフに変える。

「あの…彼女、すごい不器用なんで!」

 そんなことは彼女と数年前、屋上庭園で話した時から知っていた。それどころか、学生時代からずっと知っている。彼女はいつだって本音が言えない、そんな人間だ。

本音をずっと隠しながら、きっと生きてきたんだ。いつの間にか本音を隠すのが上手くなりすぎて、誰にも気づいてもらえないほどになり、そんな虚勢がいつの間にか好奇心を原動力に誰にも縛られない、という彼女の自由奔放なキャラクターを定着させた。

 先輩にも、ちゃんと理解してくれる友人がいたのか、と安堵と嫉妬がないまぜになった感情が渦巻く。


 受け取った紙には、かつて同様に、場所が指定されていて、その指示通りに動くとあの日と同じようにくだんの屋上庭園に呼び出されていた。

 そこはあの頃とはほとんど変わりなく、管理が疎かになって汚くなったり、改築が入って綺麗になったりすることなく、数年前となんら変わりない姿だった。

 まばらにカップルがいて、その中にあの日と同様にコーヒーを持って手を温める女性が、あの日と同じ場所にいた。

「思っていたより早かったね」

 彼女は屋上の柵に寄りかかって、缶コーヒーで手を温めながら、天を仰いだまま急に喋り出した。こちらを向くでもなく、挨拶をするでもなく。

「どうしたんですか、こんなところで」

「迎えを待ってるんだ」

「今夜は雪らしいですよ」

「どおりで寒いわけだ」

 先輩がそう言って笑い混じりにいうと、白い息が夜に溶けていく。

「なんで君の方を見ていなくても、君が来たとわかったと思う?」

 急な会話の進路変更に危うく振り落とされそうになった。

「どうして…って、遠くから見てた、とかですか?」

「そんな平凡な答えなら、問題にしてないよ」

 そう言って笑うと、先輩はまた苦笑混じりのため息をつく。白い息は濃さを増した気がした。

「君はきっと、すごく鈍感なんだろうね」

「それはお互い様でしょう」

「足音」

「?」

 そう言われて、なんとなく、自分の足下をみるが、特になんの変哲もない使い古したスニーカーしか視界には映らなかった。

「君の足音を、私は判別できる」

「なんの話で…」

「まぁ聞いてよ」

 そう言った先輩は、真剣な顔でこちらを見た。貫くように真っ直ぐにこちらを眺める。何か強い意志のようなものを感じて、僕は黙ることにした。

「足音だけで君が来たってわかる。オートロックを開けて、部屋に来るまでの数歩で、君だってわかる。何か嫌なことがあった日はすぐにわかった。就活行ってきたんだなって家に入る前からわかっていたし、君が内定もらった時もすぐわかった。足音がすごく明るかったから。彼女とケンカすると大抵うちに来て、何も話さなかったから、何も聞かなかった。でも、好きなご飯だけは美味しそうに食べるから、君の好きなホワイトシチューをかけたオムライスを出すと、君は不安でいっぱいだった表情も少しだけマシになるんだ」

 急に話し出されたエピソードはなんだかすごく恥ずかしくて、そしてすごく寂しい。

「君のサプライズも、実はすぐわかってた。私の誕生日前後になると、足音は大抵、抜き足差し足忍足みたいにコソコソしてて、あーなにか企んでるな〜って思ってると、ドアの前でいつもより長く立ち止まったりするから、それがなんだかすごくカワイイんだ」

 そんなこともあったな。改めて言われるとめちゃくちゃ恥ずかしい。

「酔って帰ってくるときはリズムが不安定で、足音より手で壁とか手すりをつかむ音の方が大きくてわかりやすかった。酔っている時は、わざと薄着でいたこともあったしね」

 恥ずかしそうに笑う彼女は、コーヒーに口をつけ控えめに啜ると、そのまま視線をまた空に戻す。コーヒーで熱された吐息がさっきよりも濃い白となってまた空へと消えていく。

「これが君と過ごした三年間。君と過ごした時間がただ過ぎただけの時間じゃなかったから、君の足音だけで君だとわかるんだよ」

 そう言って、先輩がまたこちらを見る。その目は何かを覚悟している目だった。何かを期待しているわけでも、何かを恐れているわけでもない、どうなっても結果は変わらないと、そう覚悟したような目。

 先輩は何も言わない。

 その間、ずっと目が合っていて、僕らにはとても似合わないけれど、見つめ合っていた。

 目は離さずに、先輩になんと声をかけたらいいのかを考える。そのまま目を背けてはいけない気がした。きっとここで目を背けるということは先輩の本気を、覚悟を、真剣に受け取らないということだとわかっていたから。だから、茶化したり、誤魔化したりはもってのほかだったんだ。

「春は、来ますかね」

 僕が先輩の話を聞いて、一番最初に口にしたセリフは、そんな素っ頓狂なものだった。でも、先輩はその問いに笑って誤魔化すでも、皮肉で返すでもなく、真剣な表情、いや、悲しそうな表情のまま「どうかな」と返した。

「そんなの…ずるいですよ。言い逃げじゃないですか」

「確かに、ずるいね。でも、どうしても言っておきたかったのさ」

 先輩は悟ったように目を細めて、笑顔でも、泣き顔でも、真顔でもない、柔らかく穏やかな表情でいる。

「きっとまたここで会うよ。私がそうするから」

 その言葉の真意が何を指して、いつになるかは、もはや誰にもわからない。きっとそれがわからないから先輩だってそんな言い方をしたんだ。どうなるかは分からないけれど、そうするつもりはある、そういうことだ。


 水分を多く含んだ大粒の平たい雪がハラハラと舞う。

 降ってきた雪は頬にあたると体温で溶けて、水滴となり頬から顎へと伝う。

「思っていたよりかかったね」

 彼女は屋上の柵に寄りかかって、コーヒー店のコーヒーで手を温めながら、天を仰いだまま急に喋り出した。こちらを向くでもなく、挨拶をするでもなく、雪が顔につくのもお構いなく。

「こっちのセリフですよ。どうしてたんですか?」

 もう一度ここにくるだけなのに、何年かかってるんだか。

「迎えにきたのさ」

「今夜も雪ですよ」

「どおりで寒いわけだ」

 先輩はその会話自体を楽しんでいるようだった。久しぶりに会った彼女は当時とほとんど大差ないほどに若々しく、相変わらず非凡なくらいに綺麗だった。あの頃よりも髪が伸びて、メイクが大人っぽくなっていた。服装は最初に呼び出されたレストランに本当にさっきまでいたのだろう、どちらかとフォーマルさが際立つドレスのような装いだ。もしかしたら、大人っぽいメイクはそれでなのかもしれない。

 久しぶり、だとか、ずいぶんと変わったな、とか、あんまり変わらないな、とか、そんな会話が出ないことがらしかった。そして、僕らはこうだった、と実感できる。

「僕のことなんかすっかり忘れてると思ってましたよ」

「物覚えがいいからね、私は」

「たしかに。本当にまたここに呼び出すなんて」

 そう言うと、お互いに笑い合う。先輩の紅い唇から白い吐息が出るのが、ヤケに色っぽくて、やはり長い時間が過ぎたんだ、と思い知る。もう大人っぽい、じゃないのだから。

 先輩はもう一つのテイクアウトのコーヒーをこちらに差し出す。

挿絵(By みてみん)

 あの頃の缶コーヒーとは違う。この数年で先輩がどこで何をしていたのか、僕にはわからない。

 ただ時間が経ったんだ。こういうことをできるくらいに。

 受け取る時に僕の左手の薬指についた指輪がカツリ、と音を立てた。

「東京の冬は相変わらず骨の芯にその寒さが来るね。底冷えするというか」

「歳ですよ。結構歳食っちゃいましたし」

「勘弁願いたいな」

「それくらい長ったんですよ」

 差し出されたコーヒーを両手を温めるように持ち、一口すする。先輩の視線がこちらを向いていることに気づかないふりをした。

「このまま冬が続くと思ってたよ」

「まさか。時間は過ぎるんですよ」

 そう言って、あの時とは違う、二人で同じ方向を向いて並んでコーヒーを飲んだ。

 二人して天を仰ぐと、雪が顔に積もる。

 東京の雪は水分が多い。

 先輩の頬に雪が落ちると、体温で溶かされ、やがて水滴が頬から顎へ伝う。

 もうすぐ、春が来る。

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