第30話 食後のデザートは別腹
パトカーの赤い回転灯が、ホテルの車寄せを毒々しく照らしていた。
筆島鋭一を乗せた車両が、サイレンの音を遠ざけながら夜の闇へと消えていく。
それを見送ると、ホテル『インペリアル・トーキョー』のロビーには、祭りの後のような静寂と、微かな虚脱感が漂った。
「……終わったな」
俺、見貫泰三は、大きく息を吐き出し、強張っていた肩の力を抜いた。
長かった。
2.5キロの大盛りカレーから始まり、10キロのローストビーフの塔へ。そして、三年越しの恩人の死の真相へ。
あまりにも高カロリーで、濃密な時間だった。
「平良夏さん。本当にお疲れ様でし――」
俺がねぎらいの言葉をかけようと、隣の相棒を振り返った時だった。
「……ぷしゅぅ……」
「えっ?」
奇妙な空気音が聞こえたかと思うと、純白のドレスを纏った平良夏つくしの体が、ぐらりと傾いた。
まるで、電池の切れた玩具のように。
糸が切れた操り人形のように。
「ちょ、平良夏さん!?」
俺は慌てて体を滑り込ませ、倒れくる彼女を受け止めた。
彼女は俺の背中にドサリと寄りかかると、そのまま完全に脱力してしまった。
「……あ……限界……」
「限界って、まさか……」
「……思考リソース……完全枯渇。……システム……強制シャットダウン……」
つくしは俺の背中で、ぐったりと目を閉じていた。
あれだけ食べた10キロの肉のエネルギーは、筆島を追い詰めるための高速演算と、最後の「告発」の体力のために、一瞬ですべて使い果たされてしまったのだ。
「……まったく、燃費が悪すぎるでしょう」
俺は苦笑しながら、彼女を背負い直した。
ずしりとした重み。
だが、今の俺には、その重さがどこか心地よく、誇らしくさえ感じられた。
俺たちはロビーを後にし、夜風の吹き抜けるホテルのエントランスへと歩き出した。
+++
夜風が、火照った頬に心地よい。
俺は背中のつくしに、気になっていたことを問いかけた。
「……ねえ、平良夏さん」
「……んぅ……」
「追っていた事件が解決しましたし、これで科捜研に戻るんですか?」
小田切教授の無念は晴らされた。
彼女が庶凡書房に潜り込んだ目的である、犯人の特定も果たされた。
ならば、彼女のような天才が、こんな安月給のグルメライターを続ける理由はもうないはずだ。
彼女は元の場所――日本の科学捜査の最前線へと戻るのだろう。
俺の問いかけに、つくしは背中でモゾモゾと動き、うわ言のように答えた。
「……戻らない」
「え?」
「……私は、ライターとして生きる……」
意外な言葉だった。
ジャーナリズムへの目覚めか? それとも、俺とのコンビに愛着を感じてくれたのか?
俺が少し感動しかけた、その時。
「……だって、警察じゃタダでデカ盛りグルメをむさぼれないし……」
「そこかよ!!」
俺は思わずツッコミを入れた。
感動して損した。
彼女の行動原理は、最初から最後まで「食欲」だった。
人を救うためでも、正義のためでもなく、ただ己の胃袋を満たすために。
なんてブレない、清々しいほどの欲望だろう。
俺は呆れつつも、自然と口元が緩んでいくのを止められなかった。
「……しょうがないですね。これからもお世話しますよ、この燃費の悪い名探偵さん」
俺がそう呟いた、その瞬間だった。
グゥゥゥゥゥゥ~~~~ッ!!
静かな夜の街に、猛獣の咆哮のような音が轟いた。
地震か? いや違う。
震源地は、俺の背中だ。
「……嘘だろ」
俺は戦慄した。
つくしが、パチリと目を開けた気配がした。
「……見貫くん」
「は、はい」
「……口が、レモンパイになってる」
「はあ!?」
彼女は俺の首に腕を回し、耳元で甘えるように、しかし力強く囁いた。
「……手紙の追伸に書いてあったレモンパイ……。教授が用意してくれるはずだった、幻のレモンパイ……」
「いや、あれは手紙の内容で……!」
「……帰りに買って。……ホールで。……生クリームたっぷりのやつ」
つくしの瞳が、眼鏡の奥でギラリと光ったのが見えなくても分かった。
「……あと、口直しに塩辛いポテトチップスも」
「まだ食うのかよ!!」
俺は夜空に向かって叫んだ。
「さっき『バベルの塔』食べたばっかりでしょう! 10キロですよ10キロ! あなたの胃袋はブラックホールですか!」
「……うるさい。食後のデザートは別腹よ。……物理法則の特例事項」
「どんな物理学だ!」
俺の抗議も虚しく、つくしは「……早く。……血糖値が下がる……」と俺の脇腹をペシペシと叩く。
俺は観念して、重い足取りで歩き出した。
この底なしの胃袋を持つ天才と一緒なら、退屈することだけはなさそうだ。
俺の財布と体力は心配だが、まあ、それも悪くないかもしれない。
俺と彼女の凸凹コンビが、夜の街へ「食」と「謎」を求めて消えていく。
月刊ジャンボの次号予告には、こんな文字が踊るだろう。
『名探偵ライター・つくしのデカ盛り旅』
これからも、俺たちの高カロリーな旅は続いていく。
ごちそうさまでした。
第5章 完
ここまでお読みいただきありがとうございました。
感想や評価☆いただけると執筆の励みになります。
続きは考案中です。




