第25話 黒い招待状と白いドレス
「……無理だ。どうあがいても入れない」
俺――見貫泰三は、デスクに突っ伏して絶望の呻き声を漏らした。
庶凡書房、『月刊ジャンボ』編集部。
俺の手元にあるのは、社内報の号外チラシだ。
『創立五十周年記念パーティー開催のお知らせ』。
華やかな金色の文字が、俺の焦燥感を煽るように輝いている。
数日前、荒垣刑事との出会いにより知らされた衝撃の事実。
三年前に起きた小田切教授殺害事件。その現場に残された遺留品は、我が社のVIP向け記念品である『特注の栞』だった。
犯人は、庶凡書房の関係者の中にいる。
そして、このパーティーには、筆島専務が保管する『小田切教授からの手紙』が展示されるという。そこに犯人に繋がる決定的な手掛かりがあるはずだ。
「……見貫くん。脳の活動レベルが低下してる」
隣のソファから、気だるげな声が聞こえた。
平良夏つくしだ。
彼女はクッションを抱きしめ、いつもの省エネモードでゴロゴロしている。だが、その瞳の奥には、以前とは違う、静かで冷たい決意の光が宿っていた。
「諦めるのは計算が終わってからにして。……侵入ルート発見の確率は?」
「ゼロに近いですよ。会場は超一流ホテルの『インペリアル・ボールルーム』。セキュリティは万全だし、招待状を持った役員やVIP、それに一部の幹部社員しか入れない完全招待制です。俺たちみたいな末端の編集部員はお呼びじゃないんです」
俺は頭を抱えた。
正面突破は不可能。かといって、変装して潜り込むなんて芸当は、漫画の世界の話だ。
「……なら、持っている人間を使えばいい」
「持っている人間?」
「……あなたの同期。……あのお喋りで、上昇志向の強い女狐」
つくしの言葉に、俺はハッとした。
一人だけ、心当たりがあった。
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「あら、珍しいわね。見貫くんが私に頭を下げるなんて」
お洒落なカフェのオープンテラス。
優雅にアールグレイのカップを傾ける須磨跡子は、冷ややかな視線で俺を見下ろしていた。
俺はテーブルに額がつくほどの勢いで頭を下げていた。もはや土下座に近い。
「頼む、跡子! 今度の創立記念パーティー、どうしても参加したいんだ! お前なら招待枠を余分に持ってるだろ!?」
「ハァ? 何言ってんのよ。あれは会社のエリートだけが集まる社交場よ? あなたみたいな『月刊ジャンボ』の油臭い男が迷い込んだら、浮きまくって笑い者になるだけよ」
跡子は呆れたように溜息をついた。
確かに彼女は『カフェ通信』のエース編集者であり、上層部からの覚えもめでたい。今回のパーティーでも運営側に関わっているという噂を聞いていた。
「笑われてもいい! 俺には……筆島専務の事で確かめなきゃいけないことがあるんだ!」
俺は顔を上げた。
必死だった。つくしの捜査の強力だということは話せない。だが、この熱意だけは伝わってくれと願った。
跡子は俺の目をじっと見つめた。
やがて、彼女はカップをソーサーに置き、周囲を警戒するように声を潜めた。
「……確かめたいことって、筆島専務の『裏帳簿』の件?」
「えっ?」
予想外の単語に、俺は虚をつかれた。
「とぼけないでよ。あんたも嗅ぎつけたんでしょ? 今回のパーティー費用、異常に膨れ上がってるのよ。特に、筆島専務が担当している記念事業費。……裏で巨額の金が動いてるって噂」
跡子の目が、野心家のそれに変わった。
彼女はスマホを取り出し、画面を見せた。そこには、複雑な経理データのスクリーンショットがあった。
「私はこの不正の証拠を掴みたいの。もしスクープできれば、私は編集長……いえ、役員への道が開けるわ」
「お前……そんなこと調べてたのか」
「当然でしょ。でも、一人じゃ限界がある。会場で何が起きるか分からないし、もしもの時の『盾』が必要なのよねー」
跡子はニヤリと笑った。計算高い、小悪魔のような笑みだ。
「いいわ、見貫くん。招待状、手配してあげる。……その代わり、当日は私のボディーガード兼、荷物持ちとして働きなさい。あんたのその無駄に頑丈な体、利用させてもらうわ」
「……交渉成立、ってことか」
「ええ。Win-Winでしょ?」
俺は複雑な心境で頷いた。
目的は違えど、利害は一致した。これで宝物庫への切符は手に入った。
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そして、パーティー当日。
決戦の数時間前。
俺たちは、会場近くの老舗洋食店『紅の彗星』にいた。
「……あ、あの、平良夏さん?」
俺は目の前に座る相棒の姿を見て、冷や汗を流していた。
今日の平良夏つくしは、いつもの白衣のような上着にジーンズではない。
純白のパーティードレスを身に纏っていた。
シルクのような光沢のある生地、デコルテを美しく見せる上品なライン。髪も美容院でセットし、薄くメイクも施している。
正直、見惚れるほど綺麗だった。黙っていれば、深窓の令嬢にしか見えない。
だが。
問題は、彼女の目の前に置かれた「物体」だ。
「お待たせしました! 当店名物、『爆発! 情熱ナポリタン・メガトン盛り』です!」
ドンッ!!
テーブルが軋む音と共に置かれたのは、直径四十センチの銀皿。
そこにそびえ立つのは、真っ赤なパスタの山脈だ。
総重量2キログラム。
炒められたケチャップの強烈な赤色が、マグマのようにテラテラと光っている。具材のピーマンやタマネギ、そして分厚いベーコンが、山肌にゴロゴロと転がっている。
「……平良夏さん。本気ですか?」
俺は震える声で尋ねた。
「その真っ白なドレスで……ナポリタンを?」
「……何か問題でも?」
つくしは涼しい顔で、紙エプロンすらつけずにフォークを構えた。
「正気じゃない! ナポリタンですよ!? 跳ねるソースの代名詞ですよ!? 一滴でもついたらそのドレス、台無しですよ!」
「……見貫くん。私の物理法則計算を舐めないで」
彼女の眼鏡がキラリと光った。
「ソースの粘性係数、パスタの弾性率、そしてフォークへの巻き取り角度……。すべての変数を制御すれば、ソースの飛散確率はゼロに収束する」
「いや、パスタ一本一本を制御だなんて無理でしょ!」
「それに……今の私には、この『赤』が必要なの」
つくしは真剣な眼差しで、真っ赤な山を見つめた。
「……脳の色彩感覚をチューニングする。……これから向かう場所は、華やかな虚飾に彩られた古狸たちの巣窟。……極彩色の嘘を見抜くには、網膜に強烈な原色を焼き付けておく必要がある」
「こじつけにしか聞こえませんけど!?」
俺の制止も聞かず、彼女はフォークを突き立てた。
カチャッ。
クルクルクルッ。
驚くべき手際だった。
彼女はフォークの先で適量のパスタを絡め取ると、絶妙な回転速度で巻き上げた。遠心力と表面張力のバランスが完璧に保たれているのか、ソースが一滴たりとも飛び散らない。
「……いただきます」
パクり。
赤い塊が、彼女の小さな口に吸い込まれていく。
「……ん。……酸味の効いたトマトソースと、焦がしバターのコク。……脳の前頭葉が、鮮やかに覚醒していくのが分かる」
彼女は止まらない。
真っ白なドレスを着た美女が、大盛りのナポリタンを機械のような精密動作で喰らっていく。
その光景は、あまりにもシュールで、そしてある種の神々しささえ感じさせた。
「……跳ねない。本当に一滴も跳ねてない……」
俺は固唾を飲んで見守った。
パスタが跳ねて暴れようとするエネルギーを、彼女は口の中へ吸い込む「吸引力」で相殺しているのだ。
まるで、ソースの分子一つ一つを支配下に置いているかのようだ。
10分後。
2キロの赤い山は、跡形もなく消滅していた。
皿は洗ったように綺麗になり、そして何より――彼女の純白のドレスには、針の先ほどのシミ一つついていなかった。
「……ごちそうさま。チューニング完了」
つくしは優雅に口元をナプキンで拭い、立ち上がった。
その瞬間、彼女の纏う空気が一変した。
食べている間のどこか恍惚とした表情は消え、絶対零度の冷徹な知性が宿る。
肌は血色良く輝き、瞳はカミソリのように鋭く研ぎ澄まされている。
「……エネルギー充填率、120パーセント。……思考回路、フルスペックで接続」
彼女はコツコツとヒールを鳴らし、店の出口へと向かった。
その背中は、もはや「燃費の悪い怠け者」ではない。
真実を暴くために研ぎ澄まされた、美しき凶器そのものだった。
「行くわよ、見貫くん。……真実の扉を開けに行く時間だわ」
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ホテル『インペリアル・トーキョー』。
そのメインバンケット『孔雀の間』の前には、黒塗りの高級車が列をなしていた。
煌びやかなシャンデリアの下、着飾った紳士淑女たちが談笑しながら会場へと吸い込まれていく。
その圧倒的なセレブオーラに、俺はタキシードの襟を直しながら気後れしていた。
「うわぁ……場違い感が半端ないな……」
「シャキッとしなさいよ、ボディーガード」
隣で、イブニングドレス姿の須磨跡子が呆れたように囁いた。
彼女の手には、金色の箔押しがされた招待状が握られている。
「いい? 余計なことは喋らない。ただニコニコして、私の後ろに立っていればいいの。……それと、あなたの連れは大丈夫でしょうね?」
跡子が視線を向けた先には、純白のドレスを着たつくしが立っていた。
彼女は会場の入り口を見上げ、微かに鼻をひくつかせた。
「……臭う」
つくしがポツリと呟いた。
「え? 何か臭いますか?」
「……腐臭よ。……高級な香水と、古びた紙幣と、……そして、三年前の血の臭いが混じった、吐き気を催すような悪臭」
彼女は眼鏡のブリッジを中指でクイッと押し上げた。
その瞳は、すでに会場の奥にある「何か」をロックオンしているようだった。
「……見貫。ターゲットは会場の最奥、展示エリア。……小田切教授のメッセージよ」
俺たちは顔を見合わせた。
跡子が受付に招待状を差し出す。
ドアマンが恭しく頭を下げ、重厚な扉が開かれた。
溢れ出す光と音楽。
そして、渦巻く欲望と陰謀の気配。
「……さあ、パーティーの始まりよ」
つくしは不敵な笑みを浮かべ、ナポリタンのエネルギーを全身に漲らせて、光の中へと足を踏み入れた。
俺たちの、最初で最後の潜入捜査が幕を開けた。




