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デカ盛りグルメむさぼり探偵 つくし ~元天才科学者は、爆食後の5分だけ覚醒する。~  作者: 団田図
第4章 消えたウサギとキリンの奔走

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第22話 空即是色の流体解析

 スマホの画面越しに、般若のような形相が映し出された。

 背景には、無機質なラックに並ぶサーバー群と、怪しく明滅するモニターの光。

 日本の科学捜査の最前線、科捜研の研究室だ。

 そこに立つ白衣の美女――善地ぜんちリカは、開口一番、スピーカーが割れんばかりの怒声を浴びせてきた。


『アンタねぇ! 科捜研のスーパーコンピューターを、私的な流体解析に使ったら始末書ものよッ! 国民の税金をなんだと思ってんの!』


 俺――見貫みぬき泰三たいぞうは、思わずスマホを落としそうになった。

 ごもっともだ。正論すぎる。


「す、すみませんリカさん! まさか平良夏たいらげさんがそちらに頼るとは思わず……」

『つくし! いるんでしょ? 国家機関を私物化しないの!』


 リカは柳眉を吊り上げて捲し立てたが、すぐにフンと鼻を鳴らし、少し声を落とした。


『……で? エステの予約は取れたんでしょうね? 「天空の癒し」ロイヤル・アロマ・トリートメント、120分コース』

「は、はい! 今しがたネット予約完了しました! 俺のカード決済で!」

『よろしい。ならチャッチャと終わらせましょ。……解析結果、送るわ』


 リカはあっさりと表情を緩め、キーボードを叩いた。

 現金すぎる。いや、現物支給すぎる。

 つくしといい、この人といい、優秀な頭脳を持つ人間ほど、欲望に忠実なのはなぜなんだろうか。


『ほら、これを見て。送られてきた現場写真と、ロボットのスペックから構築した3Dシミュレーション映像よ』


 スマホの画面が切り替わる。

 映し出されたのは、ワイヤーフレームで描かれたラウンジの空間だ。

 そこには、俺たちのテーブルと、風船が消えた隣のテーブル、そして通路を移動する黄色いキリン型ロボットが再現されていた。


『つくしの睨んだ通りだったわ。……空気の流れが、目に見える形で変化してる』


 リカが操作すると、画面上の空気が青い粒子として可視化された。

 キリン型ロボットが、隣のテーブルの椅子の横を通過する。

 その瞬間。


 ヒュンッ。


 ロボットの流線型のボディと、椅子の背もたれとの間の狭い空間。

 そこを通り抜ける青い粒子が、一瞬だけ赤く変色し、加速したのだ。


「こ、これは……?」

「……流速の変化よ」


 俺の背後から、平良夏つくしが顔を覗き込んだ。

 彼女の手には、いつの間にか新しいスイーツ皿――モンブランとオペラの盛り合わせが握られている。解説しながらも、フォークは止まらない。


「……ベルヌーイの定理。流体力学の基本中の基本」


 つくしは栗のクリームを口に運びながら、スプーンの柄で画面を指した。


「……流体の速度が上がると、その部分の圧力は下がる。……飛行機が飛ぶ原理と同じよ。翼の上面の空気が速く流れることで気圧が下がり、下からの圧力で持ち上げられる『揚力』が発生する」


 彼女は画面の中の、赤く加速した空気の層をなぞった。


「……このキリン型ロボットは、デザイン性を重視して首やボディが滑らかな流線型をしている。……それが狭い通路を高速で通過する時、椅子の背もたれとの間で空気が圧縮され、一時的に流速が跳ね上がる『ベンチュリ効果』が発生した」


 つくしはチョコレートケーキを一口で頬張り、もごもごと言った。


「……その結果、ロボットと椅子の間の気圧が急激に低下。……局所的な真空に近い状態が生まれた」


 リカが画面をタップし、時間を進める。

 シミュレーション映像の中で、椅子の上の「ピンク色のウサギ」が反応した。

 気圧が下がった空間へ向かって、フワリと浮き上がったのだ。


『対象物の質量は推定五グラム以下。空気で膨らませたバルーンアートなんて、ほぼ空気抵抗の塊みたいなものよ』


 リカが呆れたように解説を加える。


『わずかな気圧差でも、簡単に吸い上げられちゃうわ。……ほら、こうやってね』


 画面の中で、ウサギはふらふらと浮き上がり、通り過ぎるキリン型ロボットの方へと吸い寄せられていく。

 まるで、見えない幽霊の手招きに応じるように。


「なるほど! じゃあ、ロボットが吸い込んだってことですか!?」


 俺は思わず膝を打った。

 ロボットのどこかに引っかかったか、内部のファンか何かに吸い込まれたのか。

 だが、つくしは冷ややかに首を振った。


「……いいえ。それだけなら、ロボットが通り過ぎた後、気圧が戻れば床に落ちるはず」


 彼女は最後のモンブランを飲み込み、空になった皿をテーブルに置いた。


「……現場検証した時、床には何もなかった。……つまり、浮き上がったウサギを、空中でキャッチし、そのまま連れ去った『カルマ』の正体がある」

「業の正体……?」


 つくしは眼鏡の奥の瞳を細め、広大なラウンジを見渡した。

 そこには、相変わらず優雅にケーキを運び続ける、無数のキリンたちがいる。

 そして、ビュッフェ台に群がる客たちの背中。


「……リカ、ありがとう。エステ券、見貫にメールさせるわ」

『ナルハヤでよろしく。 じゃあね!』


 通話が切れると同時に、つくしは立ち上がった。

 バサリ。

 白衣のような上着が翻る。

 その瞬間、彼女のまとう空気が変わった。

 先ほどまでの、スイーツに目を輝かせる食いしん坊の少女は、もういない。

 4キロの巨大スフレと、50種のスイーツ曼荼羅マンダラを胃袋に収めた彼女の脳内では、いま、膨大な糖分がニューロンを焼き切るほどの速度でスパークしているはずだ。


「……見貫。全ての変数は揃った」


 つくしはスッと両手を目の前の空間に掲げた。

 右手の指先が、何もない空中に複雑な数式を書き殴り始める。


『P + 1/2ρv^2 = constant……』

『F = qE + q(v × B)……』


 ベルヌーイの式、クーロンの法則、そしてナビエ・ストークス方程式。

 目に見えないペンの軌跡が、彼女の周囲に光の数式となって浮かび上がるような錯覚。

 口元からは、高速の詠唱が漏れる。


「……室温二十四度、湿度三十パーセントの乾燥状態。……ロボットの表面素材はポリカーボネート。……バルーンの素材はラテックス。……摩擦係数と帯電列の差分を算出……」


 そして、左手。

 左手は、見えないそろばんの珠を弾くように、激しく、リズミカルに動いている。


 パチ、パチ、パチパチパチッ!!


 乾いた音が聞こえてきそうだ。

 右手の理論式に、左手の数値を代入し、恐るべき速度で解を収束させていく。

 スイーツ曼荼羅のエネルギーが、純粋な思考能力へと変換されていく瞬間。


 法月支配人が、その異様な光景に目を見張った。


「お、おお……。これは一体……。彼女の周りだけ、気が満ち満ちている……。これぞ、悟りを開く瞬間のオーラ……!?」

「いえ、ただのカロリー燃焼です」


 俺は冷静に突っ込みを入れたが、心の中では震えていた。

 いつ見ても圧倒される。

 この「ON」モードのつくしは、どんな難事件も物理法則というナイフで切り刻んでしまう。


「……エネルギー充填率、120パーセント。……思考回路、全領域展開」


 つくしが呟いた。

 そして。


 パチンッ!


 左手のエアそろばんを、強く弾き切った。

 計算終了。

 同時に、右手が空中に『Q.E.D.(証明終了)』の三点を打ち込む。


「……解けた」


 つくしは中指で眼鏡のブリッジをクイッと押し上げた。

 その瞳は、カミソリのように鋭く、ラウンジのある一点を射抜いていた。

 彼女はゆっくりと振り返り、泣き止まない子供と、困惑する母親、そして祈りを捧げる支配人を見据えた。


空即是色くうそくぜしき。……目に見えないものもまた、物理的な実体を持つ」


 木魚ほどに張り出たお腹を突き出した彼女は不敵に微笑んだ。

 その笑顔は、百八の煩悩をすべて飲み干し、真理に到達した者だけが浮かべることのできる、絶対的な自信に満ちていた。


「巨大スフレとスイーツ曼荼羅を平らげ尽くした私が、その謎も平らげてあげるわ」


 高らかな宣言と共に、つくしは歩き出した。

 その足取りに迷いはない。

 風船のウサギを連れ去った「見えざる犯人」の正体。

 それは、意外な場所に潜んでいたのだ。


 俺は慌ててその後を追った。

 財布の痛みも忘れ、今はこの奇妙な名探偵が見せる「解脱」の瞬間を目撃するために。

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