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デカ盛りグルメむさぼり探偵 つくし ~元天才科学者は、爆食後の5分だけ覚醒する。~  作者: 団田図
第3章 臆病なカフェ店主と強面の影

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第17話 集まる光、拡散する疑念

「だ、ダメだ……もう終わりだ……!」


 漁師の集団が店前まで来た

 店長の草壁さんがカウンターの下で頭を抱え、震えている。

 緊迫した空気。張り詰めた緊張の糸が、今にも切れそうになったその瞬間。


「……見貫みぬきくん。そこ、邪魔」


 背後から、冷ややかで、場違いなほど落ち着いた声が聞こえた。

 平良夏たいらげつくしだ。

 俺が驚いて振り返ると、彼女は暴徒など眼中にないといった様子で、テラス席の窓際へと歩み出ていた。

 その手には、先ほどまでデザートを食べていたフォークではなく、俺の胸ポケットから抜き取ったボールペンが握られている。


「平良夏さん!? 下がっていてください! 危ないです!」

「……危ないのは、あなたたちの思い込みよ」


 つくしは窓の外を一瞥いちべつし、カツカツとヒールを鳴らして、昨日のボヤ騒ぎがあった焦げ跡の正面に立った。


「草壁さん。110番通報の手を止めて、よく聞きなさい」

「えっ、は、はい……?」

「あなたが恐れている『放火魔』なんて、この町のどこにも存在しない。……少なくとも、人間の形はしていないわ」


 彼女はボールペンを指揮棒のように振り上げた。

 その瞬間、彼女のまとう空気が変わった。

 先ほどまでの、食欲魔人の面影はない。そこにいるのは、事象を冷徹に解析し、真実のみを抽出する科学者だ。


「見貫くん、コンパス代わりになりなさい。そこに立って」

「はあ!? 俺は今、バリケードとして……」

「いいから立つ。……座標、X軸35、Y軸12。その角度から庭の『ビン玉』を見て」


 有無を言わせぬ迫力に押され、俺は言われた位置に立った。

 そこからは、庭に飾られた無数のガラス製ブイ――ビン玉がよく見えた。

 大小様々な青や緑のガラス玉が、午後の強い日差しを浴びてキラキラと輝いている。草壁が「海の中にいるみたいで綺麗でしょう」と自慢していたオブジェだ。


「……見えますけど、これがどうかしたんですか?」

「そのビン玉の中に、何が入っていると言っていた?」

「えっと、水ですよね。風で飛ばないようにって」

「そう。水よ」


 つくしはカツリと靴音を鳴らし、窓ガラスに指を這わせた。


「中空のガラス球なら、光はただ透過するか、表面で反射するだけ。……けれど、中に水という媒質が満たされた瞬間、それは単なるオブジェではなくなる」


 彼女は空中に巨大な円を描いた。


「水が入った球体。……それは物理学的に言えば、『凸レンズ』そのものよ」

「レンズ……?」


 草壁が顔を上げた。


「小学生の理科で習ったでしょ? 虫眼鏡で太陽の光を集めて、黒い紙を燃やす実験。……あれと同じ現象が、昨日、あなたの庭で起きたのよ」


 つくしは流れるような動作で、左手で「見えないそろばん」を弾き始めた。

 パチ、パチ、パチパチッ!

 高速で指が動く。脳内のスーパーコンピューターが、恐るべき速度でシミュレーションを行っているのだ。


「……昨日の出火時刻は午後二時前後。昨日の天気は快晴。……当時の太陽の方位角と高度を計算……」


 彼女の口から、呪文のような数値が溢れ出す。


「……太陽光の入射角θに対し、屈折率1.33の水球レンズが形成する焦点距離fは、球の半径Rの約1.5倍の位置に収束する。……ビン玉の直径は約30センチ。つまり半径Rは15センチ」


 パチンッ!

 そろばんを弾く手が止まった。


「焦点距離は、球の中心から約22.5センチ後方。……見貫、そのビン玉の後ろ、20センチから30センチの場所に何がある?」


 俺は目を凝らした。

 一番大きな、水色のビン玉。

 その後ろにあるのは――。


「……ウッドデッキの、手すりの柱です。……ああっ!」


 俺は声を上げた。

 その柱の根元。そこには、昨日のボヤで炭化した、黒々とした焦げ跡があった。

 位置関係が、あまりにも完璧に一致していた。


「そ、そんな……」


 草壁がふらりと立ち上がり、窓に駆け寄った。


「じゃあ、放火じゃなくて……このビン玉が、太陽の光を集めて火をつけたって言うんですか!?」

「ご名答。専門用語で『しゅうれん火災』と言うわ」


 つくしはボールペンを胸ポケットにしまい、眼鏡を中指でクイッと押し上げた。


「冬の太陽は高度が低い。そのおかげで、光は真上からではなく、横から差し込む形になった。……それがレンズの役割を果たしたビン玉を通り、焦点がウッドデッキの枯れ草や乾燥した木材にジャストミートした。……不幸な偶然が重なった、自然発火現象よ」


 彼女は草壁の方を向き、諭すように言った。

 その声色は、先ほどまでの冷徹な響きの中に、ほんの少しだけ哀れみを含んでいるように聞こえた。


「草壁さん。あなたは言ったわよね。『この土地の廃材を活かして、店を景色に溶け込ませたかった』と。漁師さんたちの文化であるビン玉を、あれほど美しく飾ったのは、あなたのこの町への愛着そのものだったはず」


「あ……」


 草壁の目から、涙が溢れ出した。


「でも、その愛が皮肉にもあだになった。……漁具を美しく見せようとして水を入れた、あなたの工夫が、火種を生んでしまったのよ」


 静寂が落ちた。

 外の喧騒が、一瞬遠のいたように感じられた。

 草壁は窓枠に手をつき、泣き崩れるように膝をついた。


「僕の……せいだったんですか……。漁師さんたちは関係なかった……。誰も、火なんてつけてなかったんだ……」


 安堵と、自己嫌悪。そして申し訳なさ。

 様々な感情が入り混じった嗚咽が、彼の口から漏れた。

 恐怖のあまり「よそ者に冷たい地元民」というレッテルを貼り、彼らを犯人扱いしてしまった自分への恥辱。

 もしつくしが止めていなければ、彼は無実の漁師たちを通報し、この町での居場所を永遠に失っていただろう。


「謎は解けたわ。……計算式に、悪意という変数は存在しなかった」


 つくしは静かに宣言した。

 俺もまた、肩の力が抜けるのを感じた。

 よかった。事件じゃなかったんだ。誰も悪くなかったんだ。


 だが。

 現実は、数式ほど綺麗には終わってくれなかった。


 ドォォォォンッ!!


 凄まじい衝撃音が、店全体を揺るがした。

 感傷に浸っている場合ではなかった。

 窓の外の漁師たちが、ついに痺れを切らしたのだ。


「おい店長ォッ! いるのは分かってんだぞ! 今すぐ出てこんしゃい!」

「開けろ! 扉が壊れっぞ!」


 怒号と共に、ドアノブがガチャガチャと激しく回される。

 鍵がかかっているため開かないが、ガラスが割れるのは時間の問題だ。


「ひぃぃっ!!」


 草壁が再び悲鳴を上げて飛び退いた。

 顔色が、一瞬で蒼白に戻る。


「ど、どうしましょうつくしさん! 放火の誤解は解けましたけど、彼らが怒ってるのは事実です! やっぱり襲撃されるんじゃ……!」

「……そうね。物理的な脅威レベルは、依然としてレッドゾーンだわ」


 つくしは冷静に分析しながら、ドアの方を見た。

 俺は再び身構えた。

 誤解だったとしても、今この瞬間、彼らが興奮状態にあるのは変わらない。話し合いで解決できるレベルを超えているように見える。


「見貫さん、バリケードを! テーブルを積み上げて……!」

「い、急ぎましょう!」


 俺が近くのテーブルに手をかけた、その時だった。


 カツ、カツ、カツ。


 つくしが、歩き出した。

 避難する方向ではない。

 暴徒と化している漁師たちが待ち受ける、入り口のドアに向かって。


「た、平良夏さん!? 何してるんですか!」


 俺は叫んだ。

 だが、彼女は止まらない。

 3.5キロの丼と伊勢海老味噌汁でフル充填された彼女の脳は、恐怖という感情回路をバイパスし、最短距離での「解決」を選んだようだった。


「……私の計算では、このドアの強度はあと三回の衝撃で限界を迎える」


 彼女はドアの前で立ち止まり、鍵に手をかけた。


「ガラスが割れて飛散すれば、店内の被害係数は跳ね上がる。……ならば、開門するのが熱力学的に最もエネルギーロスが少ない」

「理屈がおかしいですよ! 開けたら俺たちがタタキに……!」

「……見貫。盾になる準備はいい?」

「えっ」


 彼女は振り返らずに言った。


「私が計算ミスをした時は、あなたの筋肉壁だけが頼りよ。……しっかり守りなさい」


 それは、信頼なのか、単なる丸投げなのか。

 俺が返事をする間もなく、彼女の指がサムターンを回した。


 ガチャリ。


 硬質な金属音が、静まり返った店内に響いた。

 次の瞬間。


 バンッ!!


 勢いよくドアが開かれた。

 強烈な海風と共に、男たちの熱気がドッと流れ込んでくる。

 先頭に立っていた大男が、ヌッと店内に足を踏み入れた。

 逆光で顔が見えない。ただ、その巨大なシルエットと、手に握られた太い棒のようなものだけが、禍々《まがまが》しく目に映った。


「……よう店長」


 地を這うような低い声。

 後ろに続く男たちも、ゾロゾロとなだれ込んでくる。その手には、不気味な風呂敷包みが抱えられている。


 終わった。

 俺は覚悟を決めた。

 草壁は「うわあああ!」と叫んでカウンターの裏に隠れた。


 だだっ広い店内で、平良夏つくしだけが、仁王立ちする男たちの前に立ちはだかっていた。

 彼女は小さな体を一歩も引かず、眼鏡の奥の瞳で、真っ直ぐに男たちを見上げている。


「……いらっしゃい。ご用件を聞こうかしら」


 彼女の声は、震えていなかった。

 一触即発。

 開店したばかりのカフェの命運は、この予測不能な「客」たちと、燃費の悪い名探偵の対峙に委ねられた。

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