第12話 ザル場の共犯者と、食後のデザート
「うおおおおぉッ!!」
俺、見貫泰三は、厨房の扉を蹴破る勢いで飛び込んだ。
中は夕食の仕込みで戦場のような忙しさだったが、俺の目には一点しか映っていなかった。
水路の終着点、『ザル場』。
そこに、怯えたような顔をした小柄な男が立っている。防犯カメラに映っていた、高田の友人であり共犯者のリゾートバイト――名札には研修中 吉田と書いてある。
「な、なんだあんた! くそっ、バレたかっ……!」
「逃がすかぁッ!」
吉田が背を向けて逃げようとした瞬間、俺は床を蹴った。
ラグビー部時代、スクラムの最前列で鍛え上げた脚力が炸裂する。数メートルの距離を一瞬で詰め、俺は吉田の腰にタックルを見舞った。
「ぐはっ!?」
「大人しくしろ! 確保だ!」
もつれ合うようにして床に倒れ込む。吉田は必死に抵抗したが、俺の腕力からは逃げられない。俺は彼を羽交い締めにすると、エプロンのポケットの膨らみに手を突っ込んだ。
「……これだな」
掴み出したのは、少し濡れたタオルに包まれた硬い塊。
タオルを開くと、そこには厨房の蛍光灯を浴びて虹色に輝く、親指大の結晶があった。
「家宝、『龍神の涙』……!」
厨房の調理師たちが、どよめきと共に手を止める。
吉田は観念したように、ガクリと力を抜いた。
「くそっ……! なんでバレたんだよ……完璧な計画だったはずなのに……」
「残念だったな。こっちには、水流すら読み切る『時々天才な名探偵』がいるんだよ」
俺は荒い息を吐きながら、勝利の確信と共に立ち上がった。
+++
数十分後。
駆けつけた警察によって、高田と吉田は連行されていった。
二人は大学時代のサークル仲間で、ギャンブルで作った借金を返すために犯行を計画したらしい。
「カメラさえ潰せば、水の中なんて誰にも見えないと思った」
高田はパトカーに乗せられる際、そう言ってうなだれていた。だが、彼らは知らなかったのだ。食後の血糖値がピークに達した平良夏つくしにとって、水流の屈折率を見抜くことなど、食後の爪楊枝を手に取るよりも容易いことだったと。
騒動が落ち着き、夕暮れ時のロビーには静寂が戻っていた。
無事に戻ってきたダイヤを前に、女将が深々と頭を下げている。
「本当に、なんと御礼を申し上げればよいか……。お二人がいらっしゃらなければ、迷宮入りするところでした」
「いえいえ、俺たちはただ、取材に来ただけですから」
俺が謙遜して頭をかいていると、コツコツとヒールの音が近づいてきた。
須磨跡子だ。
彼女は腕を組み、悔しそうに唇を噛みながら、ソファに座るつくしを見下ろした。
「……完敗ね」
跡子は、絞り出すように言った。
「外部犯説、ドローン説……私の推理は全部ハズレ。あんたの言った通り、犯人は『流れ』の中にいたわ」
「……ふん。分かればいいのよ」
つくしは気だるげに答えたが、その表情には余裕があった。
跡子はふっと息を吐き、俺の方へ向き直った。
「見貫君。あんたのことも、少し見直したわ」
「えっ、俺?」
「ええ。あの推理を聞いて、迷わず厨房へダッシュできる判断力と、犯人を取り押さえる体力。……あんたが『お世話係』をやってる理由、ちょっとだけ分かった気がするわ」
彼女はチラリとつくしを見た。
「あんな頭でっかちで燃費の悪い天才には、あんたみたいな泥臭い足腰が必要ってことね。……いいコンビじゃない」
それは、同期のライバルからの、最大限の賛辞だった。
俺は少し照れくさくなって、鼻を擦った。
「ま、俺の取り柄は体力しかないからな」
「フン、謙遜しすぎると嫌味よ。……じゃあね。今回の記事は譲ってあげるけど、次は負けないから」
跡子は髪を翻し、颯爽と去っていった。
その後ろ姿は、悔しさをバネにして次はもっと強くなるだろうという、エリート編集者の矜持に満ちていた。
「……やれやれ。嵐のような一日だったな」
俺は大きく伸びをして、隣のつくしに声をかけた。
「平良夏さん、やりましたね。大手柄ですよ」
「……」
「平良夏さん?」
返事がない。
見ると、つくしはソファの上で、ゆらゆらと船を漕いでいた。
白衣のような上着がずり落ち、眼鏡が鼻先まで下がっている。
さっきまでの、空間に数式を記述していた凛々しい姿はどこにもない。
「……あ……限界……」
「えっ?」
「……思考リソース……枯渇……。急速シャットダウン……」
言うが早いか、彼女の体から糸が切れたように力が抜けた。
グラリと傾く体。
俺は慌てて手を伸ばし、彼女を支えた。
「ちょ、おい! しっかりしてください!」
彼女の体は、驚くほど重かった。
いや、物理的な重さではない。魂が抜けたような、完全なる脱力状態だ。
3kgの天ぷらタワーで得た膨大なカロリーは、あの高速計算と推理のためだけに、一瞬ですべて燃やし尽くされてしまったのだ。
「……見貫……くん……」
俺の腕の中で、つくしが力なく俺の袖を掴んだ。
消え入りそうな声。
瞼は半分閉じかけ、意識が混濁しているのが分かる。
俺は耳を近づけた。何か、言い残したいことがあるのか?
事件解決の感慨か、それとも相棒への感謝か。
「……どうしました? 部屋に運びますから、無理しないで」
「……ちが……う……」
「違う?」
「……今日の……イベント……」
「イベント?」
つくしは最後の力を振り絞り、カッと目を見開いた。
その瞳の奥には、消えかけた残り火のような、しかし執念に近い光が揺らめいていた。
「……ロビーの……流しそうめん大会……十九時からでしょ……?」
「は?」
「……絶対に参加する……。つゆはゴマだれで……薬味はミョウガたっぷりで……」
「お前……」
俺は絶句した。
死にそうな顔をして、まだ食い物のことを考えているのか。
3kgの天ぷらを食べた直後に、流しそうめん?
こいつの胃袋は、ブラックホールどころか異次元に繋がっているんじゃないか?
「……お願い……起こして……絶対……」
言い終えると同時に、つくしは「すやぁ」と幸せそうな寝息を立てて、完全に落ちた。
静寂が戻ったロビーに、俺の叫び声が響き渡った。
「まだ食う気かよぉぉぉぉッ!!!」
窓の外では、温泉街の夜空に一番星が光っていた。
俺と彼女の、高カロリーで過積載な旅は、まだ始まったばかりだ。
俺の背中にかかる心地よい重みと、尽きることのない胃痛の予感を感じながら、事件の幕は下りた。
第2章 完
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