第1話 眠れる公園の美女
「いいか、見貫。我が社の社是は『箸はペンよりも強し』だ。そうだろ?」
編集長席の革張り椅子が、ギチリと悲鳴を上げた。
座っているのは、体重百キロ超級の巨漢、碁鵜海仁編集長だ 。丸太のような腕を組み、脂ぎった顔でニヤリと笑うその姿は、編集者というより海賊の親分に近い。
「いえ、編集長。我が社の社是は『ペンは剣よりも強し』だったはずですが」
「古い! 今の時代、ペンより箸だ! カロリーこそが正義なんだよ!」
ドン、とデスクが叩かれ、俺――見貫泰三は直立不動のまま、こめかみの汗を拭った。
ここは大手出版社・庶凡書房。『月刊ジャンボ』編集部。
俺が配属されたのは、社会の巨悪を暴く社会部でも、文芸の香りがする文芸部でもない。
B級グルメ、それも「デカ盛り」のみを専門に扱う、社内でもキワモノ扱いされている部署だった 。
「見貫ィ。お前、入社面接で言ってたよな。『ペンの力で社会の巨悪を暴きたい』って」「はい! 父が刑事だったこともあり、事件は現場で起きていると叩き込まれました。俺は自分の足で真実を追求する記者になりたいんです」
俺は声を張り上げた。大学までラグビー部でスクラムを組んで怒号を発していたせいで、どうにも声がデカくなる。
碁鵜編集長は満足げに頷いた。
「そのガッツは認める。泥臭いプレースタイルも悪くない 。だがな、お前の書く文章は暑苦しすぎるんだよ」
「暑苦しい、ですか」
「ああ。正義感が空回りして、読んでるだけで胃もたれする。だがな――その『脂っこい情熱』は、食欲をそそる才能に変換するんだ」
褒められているのかおちょくられているのか分からない。
碁鵜はデスクから一枚の紙を放り投げた。辞令だ。
「今日からお前を『新人ライターおもり係』に任命する」
「……新人?」
「そうだ。タダ飯が食えるという理由だけで応募してきた、特殊な経歴を持つ女の子だ。名前は、平良夏つくし」
昨今のデカ盛り大食いブームの波に乗ろうとしているわけではなく、仕事としてタダ飯が食えるという理由。
平良夏つくし。
特殊な経歴というのは気になるが、編集長の目に留まったということは、よほど何かあるのだろう。
「おそらく彼女は変人だ。そして、どこまで食べられるか、お前が行って確かめてこい」
碁鵜はニヤリと笑った。
「お前のその無駄に頑丈な足腰で、彼女に付き添い、記事を書かせてみろ。それがお前の『事件現場』だ」
俺は絶句した。
巨悪を暴くはずが、まさか得体のしれない一般人のおもりを命じられるとは。
だが、サラリーマンに拒否権はない。俺はラグビーで培った「不条理への耐性」を総動員して、頭を下げた 。
「……承知いたしました。行ってきます」
+++
指定された場所は、会社から徒歩十分の公園だった。
平日の昼下がり。のどかな日差しの中で、ハトが平和そうにポッポしている。
だが、ベンチの一つだけが、異様なオーラを放っていた。
「……なんだ、あれ」
ベンチの上に何かが、でろりとだれている。
よく見ると女性だ。ミルクティー色の柔らかなショートヘアに、あどけない寝顔。陽だまりのベンチで幸せそうに見える。白衣のような上着が無造作にベンチから垂れ下がり、地面につきそうだ。
ピクリとも動かない。
まるで、溶解寸前のスライムそのものだった 。
最悪の事態を考えてしまった。
――まさか、息がない?
元刑事の親父譲りの正義感スイッチが入る。俺はカバンを放り出して駆け寄った。
「おいっ! 大丈夫ですか! もしもし!」
肩を揺する。反応がない。
華奢だ。驚くほど軽い。それに、生命力が希薄すぎる。
顔を覗き込むと、整った顔立ちをしているが、青白を通り越して白だった。眼鏡がずり落ち、目がうつろに半開きになっている。
「脈は……ある。呼吸もしてる。だが浅い」
救急車か? いや、その前に意識レベルの確認だ。
俺は耳元で叫んだ。
「しっかりしてください! 名前は言えますか!」
すると、彼女の唇が微かに震えた。
掠れた、今にも消えそうな声。俺は耳を近づける。助けを求めているに違いない。
「……と……」
「と?」
「……とう……ぶん……」
糖分?
俺は一瞬、聞き間違いかと思った。だが、彼女はゾンビのように、虚空へ手を伸ばした。
「……グルコース……直結……緊急……チャージ……」
「はあ?」
「……ないなら……あなたの腕……かじる……」
「ヒッ!?」
うわごとのように呟きながら、俺のラグビーで鍛えた筋肉質な二の腕に歯を立てようとしてくる。
こいつ、本気だ。本能だけで動いている。
俺は慌ててポケットを探った。取材の合間に食べようと思い、買っておいたキャラメルが一粒。
「こ、これしかねえが! 食えるか!?」
包み紙を剥いて、彼女の口にねじ込む。
瞬間。
カッ! と彼女の目が完全に見開かれた。
咀嚼。嚥下。
その速度は、人間技ではなかった。
先ほどまで死体同然だった彼女が、バネ仕掛けの人形のように上半身を起こす。ずり落ちた眼鏡を中指でクイッと押し上げた。
「……脳への供給を確認。初期化、三パーセント完了」
声のトーンが変わった。冷徹で、理路整然とした響き。
だが、すぐに彼女はガクンと首を垂れ、俺の胸ぐらを掴んだ。
「……足りない」
「は?」
「全然足りない。今のじゃ起動ログすら表示できない。私の脳を動かしたいなら、最低でも二千キロカロリー持ってきなさい」
理不尽な要求を突きつけられ、俺は確信した。
こいつだ。こいつが、新人ライターの平良夏つくしだ。
「あなた……平良夏さんですね? 私、庶凡書房の見貫です」
「見貫?」
彼女は俺の顔をジロリと見た。
そして、ふいと視線を逸らし、ベンチに再び突っ伏した。
「……その腕、おいしそう。太い」
「だから、食べようとしないで! つーか起きてください! これから早速取材行きますよ!」
「無理。燃料切れ。……重力が強い……空気が薄い……」
「ここは標高ゼロメートルの公園です! 言い訳が理系すぎますよ!」
俺は頭を抱えた。
なるほど、編集長が言っていた《《変人》》の意味がわかった。こいつは自力では動かない。
俺は覚悟を決めた。
「……あー、もう! 分かりましたよ!」
俺は彼女に背中を向けた。
「乗ってください。お店まで運びますから。その代わり、そこでしっかり食べてくださいよ」
「……タダで?」
「ええ、もちろんそうです。経費で落としますので」
その言葉を聞いた瞬間、背中にズシリと重みが乗った。
早っ。
背中から、微かな呼吸音と共に呟きが聞こえる。
「……悪くない。君の背中、実家の低反発マットレスに似てる」
「人を寝具扱いしないでください!」
俺はぐっと足に力を入れ、彼女をおぶって立ち上がった。
デッドウェイト・キャリー(傷病者運搬)。大学時代の引越しのバイトで冷蔵庫を担いでいた経験が、まさかこんなところで役立つとは 。
それにしても軽い。こんなに華奢で本当に大食いなんてできるのか?
「行きますよ。最初のデカ盛り店は、ここから歩いて二十分です」
俺、見貫泰三の、波乱と高カロリーに満ちた探偵助手生活が、こうして幕を開けたのだった。




