第08話 父性本能に目覚めるゲーマーのおっさん。
そう――彼女の母親が戻ってきたのは、決して父親の看病のためではなかった。
まるで彼が倒れるのを待っていたかのように、彼女は態度を一変させ……いや、そもそも最初から『そういう女』だったのだ。
病人である父親を労わるどころか、ただの厄介者としか見ていなかった母親。
動けなくなったのをこれ幸いとばかりに、彼女とその親族たちは、屋敷に残された家財道具――金目の物を次々に持ち去っていった。
家具、衣服、食料、酒……。
家の中から、ありとあらゆる物が消えていく。
最後には、田畑や家屋敷までも売り払って、金を手にした彼女たちは村から姿を消した。
残されたのは、幼い娘と、寝たきりの父親だけだった。
女にうつつを抜かし、家も土地もすべて失った愚かな男。
それでも幼い娘――ジーナさんにとっては、たった一人の父親だった。
その話を耳にした領主は娘の境遇を哀れみ、村の共有財産である『狩猟小屋』の使用を特別に許可した。
村を出るという形にはなったが、雨風はしのげ、自給自足もある程度可能な場所。
こうして彼女たちは、山小屋での暮らしを始めることになった。
環境の変化が良かったのか、それから父親は一時的に元気を取り戻したように見えた。
――もちろん、適切な治療もない病人が回復するはずもなく。
それから三年。
今年の春、最後にほんの少しだけ父親らしく娘の面倒を見た彼は、静かに息を引き取ったのだった。
「それで……お父さんの葬儀の席で、ジーナさんにお母さんが弟の後妻になれって言ったんだ?」
俺がそう聞き返すと、ジーナさんは今までで一番強く顔をしかめ、はっきりと怒りをにじませた。
「わたしには……お母さんなんていない!!」
当然、彼女はその話を即座に突っぱねた。
だが、その代償として、彼女は完全に『ひとり』になってしまった。
頼れる親族はなく、村に戻る術もない。
こうして、たった一人――山奥の小屋で生きていくことになったのだ。
そして、そんな彼女に拾われ――転がり込んできたのが『俺』というわけだな。
こんな山の中で、こんな頼りない小屋で。
野生の動物に、それとも人間に。
いつ何に襲われるかもわからないような小屋で一人暮らしをしていたジーナさん。
想像以上に過酷な彼女の過去を知って、思わず「これまでよく頑張ったね」と労って、抱きしめたく……いや、それは違うだろ。
母親はもちろんのこと、父親だってここに越して来るまでは身勝手、自分勝手な毒親だったのだ。
なら、俺が彼女にすべきことは慰めることなどではなく、
「その連中にいつか……絶対にザマァしてやろうな?」
「……ざまぁが何かわからないけど……わかった!」
後ろ向きな理由かもしれない。
それでも――これから『一緒に』頑張って、いつかそいつらを見返してやろう。
そんな、前を向こうとする意思を示すことじゃないだろうか?
* * *
ジーナさんの身の上話に、思いもよらず父性本能を刺激されてしまった俺。
とはいえ、感情と胃袋はまったくの別問題。
その想いだけで腹がふくれるわけもなく。
幸い、ジーナさんの話を聞く限りは、彼女と確執があるのは母方の一族だけ。
暮らしていた村の人たちとは『それほど』不仲というわけではなさそうで。
領主様も、彼女の境遇に目を向けてくれる程度には話のわかる人物みたいだしね?
となれば、村で物々交換をするくらいなら、大きな問題はなさそう――と、言いたいところだが。
……今って冬なんだよな。
交換に出せる品、こちらの手元にあるのはメープルシロップだけ。
シロップとは甘味――つまりは贅沢品なのである。
「……どうかしたの、パパ?」
「ん? ああ、いや。
ジーナさんが住んでた村って、どれくらいの人口とか経済力があるのかなーって思ってさ」
「また難しいこと言ってる……」
だってほら、あんまり裕福じゃない村だったら、冬の備蓄だってカツカツじゃん?
そんな時期に、「貴重な食料を、甘いものと交換しませんか?」なんて頼んでも、普通なら断られるよね?
「ええとさ、村って人は多かった?
この辺、けっこう寒いし農作物もそんなに採れなさそうだけど、普段の主食って何だったのかな?
やっぱり米? それとも小麦? はたまた芋? もしかして雑穀?」
「小さい頃からあんまり外にはでなかったし、ここに来てからは村には行ってないから、人数はよくわからない。
いつもたべてたのは麦粥かな? でもお祭りのときはパンが出たんだよ!
でもね! ジーナ今はパパのドングリがいちばん好き!」
なるほど。麦があるってことは、ちゃんと農耕はしてるんだな。
……あと、もし日本で幼女が「ドングリおいしかったね!」とか言ってたら、思い込みの激しいオバサンに通報されかねないから、他所でその発言は控えてね?
そもそもジーナさんは幼女じゃなくて女子高生――いや、女子高生ですらないんだけれども!
あと、『パパのドングリ』もちょっとアレな発言に聞こえるかもしれないから注意ね?
「まぁ、村人は無理でも、領主様相手ならワンチャンあるか。
適当におだてて、ご機嫌とって、お返しに何かもらえれば御の字ってことで」
とりあえずの目的は決まった――が、あまり雪の降らない関西生れの俺。
雪山の中、重い荷物を担いで村まで往復とかとても出来る気がしない。
「てことで荷車ならぬ『雪車』と、雪に足が埋まらないように『かんじき』を作りたいと思います!」
「ソリ! パパが乗ったのをジーナが曳いてあげる!」
「それは……絵面が完全に児童虐待になっちゃうから遠慮しておこうかな?」
てことで翌日。
狭い小屋の三分の一を占めていたメープルシロップの小樽を、半分ほどソリに積み込み、いざ『行商(?)』に出発である。
「……売っちゃうの? メープル……そんなにいっぱい売っちゃうの?」
「そんな悲しそうな顔しなくても、数日もあればこれくらいの量ならまた採れるからさ」
そもそも一般家庭でメープルシロップを『小樽単位』で消費するなんて聞いたことないんだけど、この子『直飲み派』だからなぁ。
どうせなら、パンケーキとかワッフルに浸るくらいにかけて食いてぇなぁ……。