第38話 幕間 ルミーナの想い。
山の中に突然現れた屋敷。
おかしな自称商人と、その男を拾った娘が暮らす、もはや砦と呼ぶしかないその家を訪れたルミーナ。
彼女としては散歩のついでくらいの軽い気持ちでのお出かけだったのだが――そこで目にしたあらゆるものに肝を冷やすこととなる。
「……な、何なのです……あれは一体なんなのですか……」
「……確かにそうですよね……あんな形で、小刻みに震えるなんて……」
ルミーナの言う『あれ』に思い当たり、そう答えたのはリアンナ。
「何を勘違いしているのかわかりません……いえ、わかりますが!
今しているのは『ソレ』の話じゃありませんからね!?
たしかに、『アレ』もかなり衝撃的なモノではありましたけれど!」
「ははっ、さすがにアレはお嬢様にはまだ早すぎる代物だと思うけどな!」
「ですから違うと言っているのです! そもそもアデレード!
あなただって男性とまともに交際した経験などありませんでしたよね!?」
いつもの客間に集まり姦しく騒ぐ三人。
三人そろって『見目麗しい』と言われるほど整った容姿の持ち主のはず……なのだが。
なぜか誰一人としてまともな恋愛経験がないという不思議。
もっともうち一人はまだ八歳。
彼女だけは恋愛などしていなくとも関係はない……いや、彼女は彼女でまた違った問題が、継母に父親どころか祖父ほどの歳の男の『後添え』として送り込まれそうになったりもしているのだが。
「それでお嬢様の言うアレとは作物のことでしょうか?
それとも彼の作った武器? あるいは――ヒカルさん本人ですか?」
「もちろんそのすべてに決まっているではないですか!」
そう、ルミーナが言う『あれ』。
それは何か一つを指すものではなく、彼の暮らしそのものに対する驚きの声。
「そもそもリアンナ!
あなたがもっと詳しく報告していてくれれば、私だって少しは心構えを持てたのです!」
「そうおっしゃられましても……。
たったひと冬越えただけで、まさかあそこまでいろいろ変貌しているとは思わないですからね?
いえ、数週間で山の中にあれほどの砦を建てた方です。
それくらいやると考えておくべきだったのかもしれませんが」
「……確かにそうですね。最初に手土産として持ち込んだモノから見たこともない甘味だったのですからね。
それはそれとしてアデレード!
剣に頬ずりしながらニヤニヤするのは止めなさい!
とても気持ち悪いです!!」
「お嬢様、これは『剣』じゃなくて『カタナ』って呼ぶらしいよ?」
「そんなことはどうでもいいのですが……。
まったく、あなたといいリアンナといい!
どうしてあの男は私以外の女にばかり、そうやって気軽に贈り物をするのですか!?」
「いやこれはお嬢様たちが食べすぎてゴロゴロしてる間に、稽古に付き合ってやったお礼としてもらっただけなんだけどね?
それにだよ? もしもこれが贈り物なら……女に刃物を贈るとか……それもう」
「アデレード、あなたのそれは間違いなく御礼の品です、それ以上は何の意味もないただの武器です」
「お、おう」
リアンナの感情のない顔から発せられた言葉にそう返事しながら、それでもアデレードは頬を緩ませて鯉口を切ってはまた納める――それを飽きもせず繰り返していた。
「といいますか、彼の作品は『コロニー』に加わっていないと使えないと聞きましたが。それはあなたにも扱えるのですか?」
「ああ、それに関しては……まぁいろいろとあるらしいけど、弓の矢や鉄砲の弾の話みたいでさ。
だから矢さえあれば、あの弓も普通に使えるし、鉄砲だって弾さえ用意できれば撃てるらしいよ?」
「矢はともかく、弾なんてどうやって用意するんですか……。
そもそも、それが前提なら彼の作った武器を使う意味すらないではありませんか」
「まぁ、そうなんだけどね?
でも一応、『使える』ってだけでも驚きだよ」
「……確かに、あの『ライフル』という飛び道具……」
「そうですね、確かにあれがあれば。
そして見晴らしの良い場所にさえ陣取れれば暗殺し放題ですものね?」
「お嬢様は相変わらず発想がおっかないねぇ……」
それまで緩んでいたアデレードの顔が真剣な表情に変わる。
「でも、あたしが本当に怖いと思ったのは『拳銃』ってやつの方だね。
ジーナって娘が両手に一丁ずつ持って、連続で撃ちまくってたのを見ただろ?
あの細い体で軽々と使いこなして、しかも懐に入れたら持ってることすら分からない」
「……確かに。あれなら所構わず暗殺し放題ですね」
「お嬢様、発想が完全に危険人物です。
とりあえず暗殺から一度離れましょう」
「しかし、彼の話では、『板金鎧』を貫けるほどの威力はないとのことでしたよ?」
「板金鎧といっても、隙間はいくらでもあるからね?
あの娘の腕前なら、そこを狙うのなんて造作もないだろうさ。
というかあの娘――剣術、いや、短剣術か。その腕も並じゃなかったよ。
ヒカルの方も、少しの時間で見違えるくらい動きが良くなってたしね」
「……私たちが食休みしていた小一時間ほど稽古に付き合っていただけですよね?
その程度の時間で剣の腕が上がるなどありえるのですか?」
「ヒカルの方は、元から基本的な動きはできてたんだ。
娘の方は……あれはもう、野生の猿か何かじゃないか?
見た目だけなら、どこかの姫君にでも見えそうなのにさ」
「見た目、ですか……。
確かに、最初にここへ来た時は何事かと思うほどに臭っていた娘でしたのに。
いつの間に、あのように――というか、リアンナ。
あなた、帰り際に彼から石鹸をいただいてましたよね?」
「はい。ヒカルさんに、おねだりして分けていただきました」
「彼は、もしかするとあの娘の次に、あなたに甘いのでは……。
ということで、後で使ってみますので半分よこしなさい」
「嫌です」
「どうしてですか!?
けっこうな数、いただいていましたよね?
『よろしければ皆さんで』とも言ってましたよね?」
「よろしくありませんので一人で使います」
「……言いつけますよ?」
「……三個だけなら」
「まったく……。
あなたはいつからそんな吝嗇に……いえ、今はそんな話をしている場合ではないのです!
あれほどの力……彼は『技能』だとか言っていましたが。
通常なら数ヶ月かかる作物を数日で実らせる。
そして、使いようによっては王国軍すら殲滅しかねない武器を作ることまでできてしまう……」
「お嬢様がいきなり『ふ、ふふっ、ふははははは! さあ、私の手を取るがいい! そして共に世界を手に入れようではないか!!』などと言い出された時は、さすがの私も度肝を抜かれてしまいましたが」
「そのようなことは言ってませんよね!?
……似たような内容で誘ったのは認めますが!
でも、そんな言い方ではありませんでしたからね!?」
「ははっ。
『この幼女、いきなり魔王みたいなことを言い出したんだけど……』
ってドン引きされてましたね!」
「どこの世界に、こんなに愛らしい魔王がいますか!?
というか、あの男!
『子供っぽいミーナが大好き! むしろ愛してる!!』などと言っておきながら!
まぁあの娘とイチャイチャイチャイチャと!!
どうして私のその誘いに対する返事が『ジーナさんはお姫様になりたい?』ということになるのです!?
もしもあの娘がその場で『なりたい』と答えたらどうするつもりだったんですか!?
そもそもそこは誘ったミーナをお姫様にすればよいでしょうが!!」
「お嬢様。
私の記憶が確かならば、彼は『子供らしくしている方が可愛い』とは言っていましたが、『好きや愛してる』などとは一言も言っていませんでしたよ?」
「そういう正論はいらないのです!!」
「あの二人は、なんだかんだで本当に仲が良いからねぇ。
というか……あれ、もし片方が死んだり、いや、そこまでいかなくとも攫われたりでもしたら……」
「……怖いことを考えるのはやめなさい。
それでなくとも、あまり深く物を考えない輩に監視されているのですから」
ルミーナは肩を落とし、ぽつりとこぼす。
「はぁ……。
彼の言う通り、私がただの子供であれば。
彼を最初に見つけたのが私であれば。
もしも私が彼の娘であれば。
いえ、つまらないことを考えてはいけませんね」
「……よいのではないでしょうか。
お嬢様はまだお小さいのですから。
家のことなどすべて捨てたとしても」
「リアンナ、それ以上は、お父様に対する冒涜ですよ?」
「……申し訳ありません」
彼女の名前は『ルミーナ・フォン・ネレイデス』。
『家督』などというつまらないモノのために大切な父親を――家族を殺された『貴族の娘』なのである。