第21話 幕間 身勝手な『男』の身勝手な言い訳。
どうにかこうにか命からがら。
地を這うようにして山から生きて逃げ戻れたのはほんの数人――全部で五人の男たちだけだった。
朝はあれほど威勢よく出ていった伴侶、父親、息子のそんな姿に、家に残っていた女たちも子どもたちも、ただただ目を見開いて立ち尽くすばかり。
もちろん我先にと逃げ出した村長――かつてのジーナ父の役目も家も奪い、村の顔役となっていた男もまたその中にいた。
心配そうに彼を見つめる己の娘。
しかしその男は鬼の形相で怒声をあげる。
「なんじゃその顔はぁ!?
てめぇ、わしのことを笑うとるんかっ!?」
「ひっ、ひぃっ!
ご、ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさ――!」
娘が怯えて頭を下げたところへ、容赦なく拳を振り下ろし蹴りつける。
まるで先ほど味わった屈辱と恐怖の鬱憤をそこへ叩きつけるように。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……。
チッ、どいつもこいつも!
誰もかれも使えん役立たずばっかりじゃわ!!」
少し落ち着けば、男の胸に残るのは恐怖ではなく、抑えきれぬ苛立ちだった。
「くっそォ……あの娘ぇ!
わしらがこれまでどんだけ目ぇかけてやったと思うとる!
それをよぉ、恩を仇で返しやがって……ほんにほんに……!」
もちろんジーナのことを『いやらしい目で見た』ことはあっても「目をかけた」こと、助けようとしたことすら一度もない連中である。
「チッ、それにしても……どないすりゃええんじゃ……。
村の男手がこんだけおらんようなったら、来年からの『出稼ぎ』にも行けんようなる……。
いや、それどころか、もしあのガキらぁが領主に何やら良からん事を吹き込みでもしたら、わしらんほうが悪者にされかねん!」
そうなれば、これまで散々吸ってきた『甘い汁』がすべて水の泡になりかねない。
それを思い出すだけで、舌打ちが止まらない。
「いかんいかん……何か策を考えにゃ……。
前の領主のじいさんなら、まだうもう丸め込めたかもしれんが……。
いや、あのジジイはあのジジイでのらりくらり人の話を聞いとるようで、ぜんぶ右から左じゃったしのぅ」
問題は、今の領主――あの小娘だ。
「ふん、小娘が領主とはお貴族さまぁ何を考えとるんじゃ!!
まぁどうせ実権握っとるんは、あの後ろにおった無愛想な使用人のほうやろうが」
そう吐き捨てたかと思えば、ふと思い出したように、ニヤリと口元を歪める。
「……けどまあ、あの女もなかなかええケツはしとったけどの。
若ぇいうほどでもねぇが、なかなか味はありそうじゃったしのう……ククッ……」
以前屋敷に集められたときには、畑の形がどうだの、手仕事の習い事がどうだのと、能天気なことを言っていたあの小娘。
さすがに領主の言う事を知らん顔も出来ず。
村の女に適当にやらせてはいたが、その程度で何か結果が出ようはずもなく。
だが、男手がこうも減ってしまっては『出稼ぎ』にも行けない。
「じゃがまぁ……幸いにも、あのガキと男はどっちも『よそもん』と『はぐれもん』じゃ。
村長のわしが事の仔細をきっちり説明しときゃあ、領主も悪いようにはせんじゃろうて」
そう、自分たちは領主が治める村の『ちゃんとした』人間なのだ。
顔役の自分が「うまく話を盛って」丸め込んでしまえば、後の話はどうとでもなる。
どこから湧いてくる自信なのか、そう信じて疑わぬ村長は、ニヤついた顔で家族を引き連れ、領主の屋敷へと急ぎ足で向かうのだった。
* * *
何やら『嘆願』に来たらしい村の男とその家族。
もちろん、そのような信用に値しない、面白みのない人間を屋敷の中に上げるほど、私――ルミーナ・フォン・ネレイデスは愚かではない。
まずは玄関先でその人間の顔を一瞥、そして中庭へと移動させる。
寒風吹きすさぶこの季節に、わざわざ外で待たせたのは私が貴族としての身なりを整えるため……だけではなかった。
人間など、少しでも追い詰めて焦らせれば勝手に想像をふくらませてくれますからね?
「お嬢様、せっかくの可愛いらしいお顔が邪悪な悪魔像のようになっておりますよ?」
リアンナのあまりの物言いに思わず頬を膨らませる私。
中庭、雪の上に座らせた彼らの前に、外套を纏った私がようやく姿を現すと、さっそく一人の男――名前までは覚えていないが、この村を訪れた最初の日に『村長』と称していた中年の男が声を上げた。
「ご、ご領主様っ! 我々は貴方様の領民でごぜぇやす!!
それを……それをこげな扱い……さすがにちぃとばかし酷うはございませんでしょうか!?
いえ、もちろん! ここにいるのがわしと息子だけなら何ももうしませぬ!
しかし、今日は女や年寄り……ましてや小さな娘まで連れてきておりますれば!」
などと哀れみを誘う声でのたまう男。
「そうですね。確かに娘がいますね。
……顔に、つい先ほど殴られたような痕をいくつもつけた娘が」
もっとも、痣があるのは娘だけではなく彼の言う息子以外。
年老いた母親や伴侶の女もそうであるのだが。
私の言葉に、途端に男の顔が引きつる。
以前村の者と対面した際に見せていた、『子供っぽい貴族令嬢』の態度。
当然それは私が意図して演じたもの。
彼のようにそれに気づいていてこちらに合わせたものとは違い、その印象を鵜呑みにしていたのでしょう。
今の私の態度に完全に面食らっている男たち。
「それで? 自分の娘を殴った罰として、自らを牢に入れてほしいと願い出て来たのですか?
もしそうなら、そのへんの木の枝にでも縄をくくって勝手に首でも吊りなさい。
くだらない雑事に構っていられるほど貴族の時間というのは安くはないのです」
返す言葉もなく、ただ口をパクパクさせるばかりの村長。
おそらくこの男は、私のことを『頭の緩い小娘』とでも思っていたのでしょう。
「……つまらない。どうやら、聞く価値のある話ではないようですね」
これまで王都で山のように見てきた俗物たち。
欲に目がくらんだ、知性の欠片もない成金ども。
侯爵家で亡き父の側でうんざりするほど見てきた連中。
ですが、この男はその中でも飛び抜けて程度が低い。
完全に興味を失った私が踵を返し、屋敷の中に戻ろうとした――その時。
「お、お待ちをっ、ご領主様っ……!
お頼み申します、どうか……!」
情けなくも地面に膝をつき、地に頭を擦りつけんばかりに懇願する男。
「申訳ございませんでした……!
今日起こりました出来事に、あまりにも……あまりにも頭が混乱しておりまして……。
どのようにご報告申し上げればよいか、心も言葉も、まだ追いつかぬのでございます!」
――どう伝えれば良いのか。
ええ、そうでしょうね。
あなた達が向かったのは男一人と娘一人が暮らすだけの山小屋。
そこに村の男手をほとんど動員して――それでいて逃げ帰ってきたのですから。
そのような醜態をさらしたとなれば。
私なら恥ずかしさのあまり、その場で舌を噛んで死にたくなるところです。
けれど、それを『報告』などと平然と嘯くこの男の顔には、羞恥の色など微塵もなく。
まったく本当に、『下衆』という言葉が、ここまで似合う人間も珍しいですね。




