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第12話 幕間 幼女で領主なルミーナ嬢。

「いきなり訪ねてきた時は、いったい何者かと思いましたが……。

 いえ、こうして帰っていった今でも、やはり何者なのかは分からぬままですが」


「ふふっ、とても賑やかな人たちでしたね?」


 ジーナとヒカルが去ったあとの、静まり返った領主館の一室。

 分厚いカーテンを持ち上げ、窓辺から外を眺めながら、どこか寂しげに微笑んだのは――


『ルミーナ・フォン・ネレイデス』


 侯爵家の血を引く彼女が、こんな辺境で村長まがいのことをしているなど、本来ならあってはならない話だ。

 しかし、早くに母を亡くし、彼女を溺愛していた祖父が亡くなった直後、侯爵家の嫡男であった父までが急死した。


 その死因は病でも事故でもなく『突然死』。

 ……毒殺である可能性が高かった。


 こうして、当主と継嗣を一気に失った侯爵家の跡を継いだのは、祖父の弟の息子。

 だがこの男がまた、筋金入りの無能で……。


 もっとも、当主が無能なだけなら(少なくともルミーナにとっては)大した問題ではなかった。

 だが新当主の母親は『古い貴族そのもの』と言える、気位と猜疑心の塊のような女だった。


『将来、ルミーナが息子の地位を脅かすかもしれない』


 そう判断した彼女が取った行動は当然『ルミーナの排除』。

 さすがにその父親に続いて娘まで毒殺することは叶わず。


 建前としては、侯爵家所有の北方保養地『ミューゼス』の太守としての出向。

 だが実際に彼女が送り込まれたのは、『ンシュ』などという、博識なルミーナですら聞いたことのない寒村だった。


「人も、物も……。

 無為に過ぎてゆく時間以外には、何もない場所」


 侯爵家縁の人間が「飢えている」などという噂が立つのは聞こえが悪い。

 ただそれだけの理由で食料の不足だけはないよう、定期的に――侯爵家紐付きの商人が村を訪れてはいた。

 もっとも、荷馬車がおろしてゆく贅沢とは程遠い食材以外に、税収すら覚束ないこの村で買えるものなどあるはずもなく。


「ふふっ。

 別に、王都でのお茶会や夜会が恋しいなんて思ったことはないけれど」


 ルミーナは当初、この村のためにと尽力しようとした。

 どうにかして村を発展させようと努力した。


 自分には能力がある。そして知識もある。

 自分が動けば、皆も動いてくれるはず――そう、王都ではそれが当たり前だった。


 だがこの村では、誰もが無気力で、誰もが変化を恐れ、誰もが協力しようとしなかった。


「……いえ、それでも彼らを責めることはできないわね」


 彼らは、外の世界を知らない。

 今の暮らしを変える理由も知らない。

 だから何も求めず、努力もしない。


「ただただ、私が思い上がっていただけ……そう、それだけのことなのだから」


 ルミーナの唇から、小さなため息がこぼれる。


「……だから、私もすべてを諦めようと思っていたのに」


 このまま何もせず、ただ朽ちていこうと。

 誰にも知られず、名前すら忘れられて、老いていこうと。

 そんな、八歳の少女とはとても思えないような覚悟を決めようとしていた。


「……母に捨てられ、村に捨てられてなお、あんなにも楽しそうに笑っていた彼女」


 先ほどまで屋敷にいた少女――もちろんルミーナより年上ではあるが。

 自分と同じように、いや、自分以上に。

 すべてを諦めてもおかしくない境遇のはずなのに……あの子はあんなにも屈託なく笑っていた。


「……私も、彼と一緒にいれば。

 あの子みたいに……笑えるようになるのかしら?」


 ルミーナの呟きにこもったものが、憧れなのか、嫉妬なのか。

 あるいは、もっと別の何かなのか――彼女自身にも、まだ分からなかった。


* * *


 その夜、ルミーナが寝室に入ったあと、残された従者たち――

 メイド長・リアンナと、護衛騎士・アデレードは机を挟んで向かい合い、お茶を飲みながら話していた。


「……お嬢様があんなふうに自然に笑われたのは、いったいいつ以来でしょうか」


「まあ、その後はすっかり殻に閉じこもってしまわれたがな」


 突然の来客、そして主が見せた久しぶりの笑顔。

 それだけのことに二人は少なからず心を揺さぶられていた。


「それで、リアンナ。

 あの男――ヒカル、だったか? どう見えた?」


「そうですね。特に怪しい動きはしていませんでした。

 ……というより、むしろ厨房に入れたことを私が叱られましたよ。

 『身分の確かじゃない人間に主の口にする物を触らせていいのか』と。

 あと、冗談もわかりますし、頭も柔らかい人でしたね」


「それはまた……。

 あの女がついに刺客でも送ってきたかと思ったが。

 案外面白い奴じゃないか」


「もっとも、それだけで信用できるような相手でもありませんが。

 ただ、立ち居振る舞いもそうですし、料理に関する知識も――

 とても、このような辺境で育った人間のそれとは思えませんでした」


「まあ、本人が『王都から来た商人』と名乗っているのだしな。

 話半分としても、どちらかくらいは本当なのだろう」


「逆に、その話が一番怪しいのですが。

 王都からわざわざこんな場所に来るなんて、お嬢様の暗殺でもなければ他にどのような目的があるというのですか?」


「そんなことを私に聞かれても困る。

 体を張るのが私、頭を使うのはお前の役目だろう?」


「……あなたも、それほど地頭が悪いわけじゃないでしょうに」


 リアンナは肩をすくめながらも、なお疑問を口にする。


「ジーナ、でしたか。

 彼があの子に拾われてからまだ一週間ほどだと言っていましたが。

 それだけの短期間で、見ず知らずの少女をあそこまで手懐けてしまう。

 いったいどのような手練手管を持っているのやら」


「後ろから見ていた限りでは、振り回されていたのはむしろあの男の方のようだったがな。

 ……そもそもこの屋敷を訪ねた理由だって深い考えなどなかったのでは?

 帰りには雪車いっぱいに小麦粉と野菜を積み込んで、大喜びで帰っていったのだろう?」


「それはつまり『ただ食料がなくて村を訪れた』と言いたいのでしょうか?

 けれど村には、彼らが持ち込んだ……メープルシロップ、でしたか」


「……あれと交換できるほどの備蓄が、村にはなかった。

 だから次に、この屋敷を訪ねてきた――そういうことじゃないか?」


「筋は通ってます。

 ただ……ひとつ腑に落ちないのは、お嬢様を見て、彼はまったく迷いなく『領主』と呼びましたよ?

 村の人間ならともかく、村とは接点のなかったあの娘の連れが、それを知っていたのは少々不自然かと」


「いや、メイドと騎士を従えていれば、大抵の人間は『その主』だと思うものだろう?

 商人などとくに、そのへんの機微には聡いだろうしな」


「……まぁ、確かに、理屈は通りますけど」


「まぁあの男の出自などどうでもいいじゃないか。

 ……お嬢様に危害を加える人間でないなら……だがな」


「ええ、たしかにそのとおりですね」


『お嬢様の力になってくれる人間であればなおよし。

 というか、こんな田舎では珍しい目端の利く男。

 最悪の場合は自分の婿に……』


 その一言はお互い口に出さぬまま――二人は静かにカップに口をつけた。

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