第01話 ゲーマーのおっさん……死す。
締め切られたままのカーテンが月明かりを遮る、薄暗いアパートの一室。
まるで耳鳴りのように、PCのファンが回る小さな音が響くだけの部屋の中。
光源となっているのは付けっぱなしになっているディスプレイが放つ青白い光だけ。
蛍雪の功――蛍の光ならぬ『画面の光』に照らされた彼。
水弦光の顔は目が落ち窪み頬がこけ、まるでミイラのようになっていた。
「カチカチ……カチカチカチ……カチカチ……」
自力では持ち上げることさえ出来ないと思えるほどに細くなった彼の腕。
しかしその手首から先だけは絶え間なく、小刻みに動き続けている。
「カチ……カチカチ……カチ」
瞬きすら忘れたかのように。
眼球が乾くのさえ気にもとめず。
ジッと画面を凝視する彼の姿は異様な気迫を放つ。
「駄目だ……もう意識が飛びそう……」
そんな彼は末期の悪性腫瘍を患っていた。
その腫瘍が発見された時点で病院に入院をしていれば、多少の延命も可能だったはずなのだが……。
彼は自他ともに認めるゲーム馬鹿だった。
「一日の長生きより、一分のゲーム」
そう医者に言い放った彼は、自由にゲームが出来なくなってしまう入院を拒否。
自宅で一人、ゲームに没頭する道を選んだ。
一日が過ぎ。
三日が過ぎ。
一週間が過ぎ。
そして……ひと月が経ち。
すでに固形物は喉を通らず、食事といえば水分補給も兼ねたゼリー飲料を流し込むだけ。
かつてはそれなりに体格の良かった身体も、今ではすっかり痩せ衰え骨と皮ばかりになっていた。
それでも彼は。
体の内側からの刺すような痛みに耐えながらも、マウスを握る手だけは決して離さない。
一分一秒、寝る間も惜しんで最後の晩餐ならぬ最期のゲームに没頭。
しかし……そんな彼にも、逃れられない終わりが迫っていた。
「まだ……まだだ……まだ死にたくない……。
そう、まだ……まだなんだ!
俺には死ぬまでにやらなきゃいけないゲームが山ほどあるんだ!」
そんな彼がプレイしているのは『時間泥棒』とまで呼ばれる有名サンドボックスゲーム。
どう考えても彼が死ぬまでに終わるとは思えない……いや、そもそも終わりが無いゲーム。
――未開の惑星を開拓し、資源を集め、文明を発展させる――
口で言うだけならとてもシンプルなゲーム内容だが、一度嵌ると抜け出すことが出来ない底なし沼。
ブラックホールのようなゲームなのである。
体調を崩す前から……会社の健康診断で悪性腫瘍が発見される以前から帰宅後は画面の前に張り付き、ゲームの世界を支配することだけを考えて日常生活を送っていた。
いつからか彼は……いや、きっと最初から彼は狂っていたのかもしれない。
「別に死んでもいいから……。
ゲームだけはどうにかして続けたいっ……!」
呂律の回らなくなった口でかすれた声を漏らす。
生きたい? いや、生きたいわけではない。
どうせ生きていても、奇跡的に病気が完治したところで自由にゲームをする時間など取れないのだから。
別に死ぬのは構わない。
だが、死んでしまえば……ゲームができない。
ならば、生きるしかない。
普通の人間ならとっくに絶命しているであろう身体を『ゲームをしたい』という、その執念だけで動かし続けていた。
「駄目だ……さすがに……。
視界がボヤケて……このあたりが限界か……」
このプレイが一段落ついたら久しぶりに戦国時代のゲームをやろう。
新作を買ったまま放置してる馬ゲーの年度版もプレイしなくちゃ。
深く深く……意識が落ちていきそうになる中、それでも彼はどうにかしてゲームをプレイし続ける方法を考えていた。
どうにか……どうにかしてゲーム……クソッ!
どうしてこの世界では有線で外部と繋がることが出来ない!!
……うん? 有線? ……そうか! 有線接続だ!
何を思いついたのか、ふらふらと揺れるその手を伸ばす彼。
PCのUSB端子に刺さったケーブルを手にしたかと思えば。
「……ふふっ、ははっ! これでどうだ!?
俺が死んでも、俺のゴース……魂はこのケーブルを伝ってPCの……中……に……入っ……」
彼は今にも折れそうなその手でケーブルの端を――己の尻の穴に差し込んだ。
そう、それは彼の最後の執念、狂気そのものの行為だった。
* * *
『次のニュースです。○○県○○市のアパートの一室で、住人と思われる男性の腐乱死体が発見されました。
なお、男性の遺体はパソコンから伸びたケーブルと接続されており、あまりにも異常なその状況から警察は殺人事件の可能性を視野に入れて捜査を――』
彼が亡くなってから数ヶ月後。
隣の部屋から漂う異臭に気付いた住人が警察に通報。
かくして、狂った男の狂った行動により、ただの病死が猟奇殺人事件の疑惑を生むこととなった。
むろん、死んだ男がそれを知る由もない。
彼の死を知らされた両親は、息子の異常な最期の報告を受けると、泣くよりも先にこう呟いた。
「何を考えてたのかはわからないが、あいつならそれくらいのことはやりそうだな……」
そのあと、ただただ深いため息をついたという。
* * *
深く、ただただ深く。
冷たい闇の中を、ひたすら下へ下へと落ちていく。
しかし、その感覚はいつの間にか――水面にプカプカと浮かぶような心地良いものに変化していた。
「んっ……ん……」
微かに聞こえるのは、パチパチと何かが弾ける小さな音。
体を包み込むのは、ほんのりとした暖かさ。
そして、鼻腔をくすぐるのは――
昔飼っていた犬がドブに落ちたときの臭い。
……いや、何これ!? めっちゃ臭いんだけど!?
突如として襲いかかる激臭に、意識が急速に覚醒していく。
目を開けた俺の視界に入ったのは、粗末な三角錐のような形をした――
「家? 小屋? それともテント?」
中央には囲炉裏――焚き火があり、赤々と火が燃えている。
床は板張りですらなく、土がむき出しの地面に敷かれた数枚の動物の毛皮が広げられている。
これは……熊? それとも大型の狼だろうか?
何となく既視感のある、かといってデジャヴュって感じでもないこの光景。
小学校か中学校の教科書だったか?
それとも地元の資料館だったか?
死んだと思ったら目が覚めた。
普通なら『知らない天井だ……』ってなるのが定番のはずなのに。
俺の場合は『知らない竪穴式住居……なのか?』という意味の分からない状況だった。
そして――そんな俺を襲うさらなる衝撃。
……俺の隣で何か、いや、誰かが寝ているのだ。
前合わせに閉じられ、紐でくくられたゴワついた毛皮のベスト。
そこから伸びる浅黒い手足は……いやこれ、肌が黒いんじゃなくてただ薄汚れてるだけのような?
灰色の長い髪はザンバラで、まるで山姥かナマハゲのようである。
寝息を立てる、こちらも数ヶ月単位で顔を洗っていないその横顔……歳は十七、八くらいだろうか?
どうやら俺は彼女に抱きしめられて眠っていたらしい。
歳若い女の子にハグされての目覚め。
本来なら『それ、なんてエロゲ?』と、思わず色々な場所をクリックしたくなるようなシチュエーションのはずなのだが……。
そんな空気をぶち壊すように、彼女から漂ってくる『強烈なスメル』。
とても……とても……尋常じゃないほど臭かった。
推定女子高生な女の子。
汚れてはいるが、その寝顔はとても可愛く。
クラス一番の美少女と言われても納得できる美形の少女。
そんな彼女との、ネット動画でしか見たことのない、リフレ的なお店を彷彿とさせる非日常的シチュエーション。
本来なら一分一秒でも長く堪能したい状況……のハズなのだが。
「……駄目、もう無理……これ以上は……我慢できない……っ!!」
助けてくれた女の子に襲いかかる?
いや、そんな恩知らずなことはしないから!!
あまりの臭さに、限界を迎えた俺はそのまま小屋から走り出し。
真っ白な地面――膝下まで降り積もった雪の上に、固形物のまったく混ざっていない胃液をぶちまけるのだった。