04 ヴィンセント10歳 04
ヴィンセントは思慮深い子だった。エルに迷惑がかかると思っているのか、皇子であることを決して明かすことはなく、誕生日どころか歳すら「覚えていない」と教えてくれなかった。
歳がわからないと今後の人生に支障をきたす。エルは小説の内容を思い出し彼が十歳だと検討をつけた。そして、二人で暮らすと決めた日をヴィンセントの誕生日ということにした。
「これでよし。ヴィー鏡を見て。どうかしら?」
「エルと同じ髪色……。ありがとうございます」
エルの魔法によって黒から薄茶の髪に変わったヴィンセントは、嬉しそうに鏡を覗き込んでいる。
これでやっと外に出てくれそうだ。エルはほっと笑みを浮かべた。
ヴィンセントを保護してから、かれこれ三か月は経った。エルはそろそろ仕事を再開しなければ貯金が心もとなくなっていた。
けれど、ヴィンセントは外へ出ることにもずっと躊躇している。あのようなことがあったのだ。暗殺者に見つかることへの恐怖を感じているのだろう。
彼にはずっと家で過ごしてもらうこともできるが、今の彼は少しでもエルと離れただけで不安と恐怖に襲われる。
食材の買い出しから戻るといつもヴィンセントは、ベッドの中で震えている。エルもその姿を見るたびに辛かった。
このようなヴィンセントを家で留守番させたまま、働きになど出られない。
「外出着も用意したの。これを着れば誰も、ヴィーが貴族だとは思わないわ」
ヴィンセントは服を受け取ると、先ほどまでの笑顔が消えて項垂れてしまった。
(服が気に入らなかったかしら?)
「貴族のような上等な服でなくてごめんなさい。けれど、平民の服としては良いほうなのよ。これを着て街を歩いても、誰も貧乏人だと後ろ指をさしたりしないわ」
そう説明すると、ヴィンセントは違うとばかりに顔を左右に振った。
「僕はまた、エルに迷惑をかけてしまいました。僕はまだろくな仕事もできないのに、エルから施しを受けてばかりで……。それに僕の心が弱いせいで、エルの行動を制限してしまっています」
「ヴィー。そんなことを気にしていたの?」
「こちらに置いてもらう条件ですから」
「ヴィー……」
エルは勢いよくヴィンセントを抱きしめた。
あの時エルは、一緒に暮らそうと提案したが、彼は自らの「どのような仕事でもしますから、どうかこちらへ置いてください」という言葉を守るつもりでいたのだ。
「ヴィーはそんなことを気にする必要はないのよ」
「ですが、僕には何もせずに置いてもらえるだけの、理由がありません……」
皇宮では、見返りのない関係は存在しなかったのだろう。ヴィンセントに優しくする者は、彼が皇帝になれば得をする者たち。または、それ相応の報酬を得られるからだ。
ヴィンセントは十歳にして、忠誠などという曖昧な感情など期待していない。ましてや今は、皇子という身分を捨てた。働かなければ生きていけないということを、よく理解しているようだ。
けれど彼はまだ十歳の子どもだ。そうして生きるには早すぎる。
エルは彼の手を取ると、自身の胸元へと導いた。
「私のマナ核を感じて。私のマナと、ヴィーのマナは同じになったのよ」
「はい……」
「これは、家族になったも同然のことなの」
「家族……」
「そうよ。家族に見返りなんて必要ないわ。家族は支え合いながら生きていくのよ。今はヴィーが弱っているから、私が支えるの。けれどその恩をいつか返せなんて言わないわ」
「僕にはわかりません……」
本当の家族と希薄だったヴィンセントには、理解しがたい関係のようだ。けれど彼は、「ですが」とエルを見上げながら微笑んだ。
「僕もいつか、エルを支えられるようになりたいです」
暗殺されそうなほど歪んだ皇宮で育ったとは思えないほどの、無垢な笑顔。
(冷徹皇帝の幼少期が、こんなに可愛かったなんて)
「そう思ってくれるなら、そろそろ敬語も止めてくれると嬉しいな」
「僕はこのほうが話しやすいです。それにエルは、僕を救ってくれた恩人ですから」
「そう思ってくれるのは嬉しいけれど、外では他人行儀になりすぎないよう気をつけようね」
「はい。エルに迷惑はかけません」