22 ヴィンセント21歳 02
あれは五年前。彼の誕生日に彼がエルへと渡そうとしていた箱だ。
それを彼が開けると、中には大きなダイヤの指輪が収められていた。
「エル。今でも変わらずにずっと愛しています。僕と結婚してください」
「もしかして、あの時も……?」
「はい。邪魔が入ったせいで、遅くなってしまいました」
五年前に、彼が別れ際に発した「いつか迎えに来ます」の意味を、エルはやっと理解した。
ヴィンセントからの愛情が家族愛から逸脱している気はしていたが、まさかあの時に結婚まで考えていたとは知りもしなかった。
驚きのあまりぼーっと指輪を見つめていると、彼は不安げにエルを見つめた。
「気に入りませんか? 今ならもっと良いものを贈れますが、これは僕が働いて得たお金で用意したものなので、思い出があって……。エルがいつも支えてくれたので、僕は頑張って働けました」
そう。あの頃の彼はいつも、エルに良い生活をさせようと頑張っていた。その上、このような指輪まで用意していたとは。エルの想像以上に、彼は頑張っていたのだ。
「ううん。指輪は素敵だわ。私のためにこんなに頑張ってくれていたのも嬉しい」
「それなら」
期待の表情を浮かべるヴィンセントに悪い気がして、エルはテーブルへと視線を落とす。
「けれど、私は平民よ。皇太子殿下とは結婚できないわ」
「結婚は好きにして良いと、父から了承を得ました」
「でもそれって、貴族令嬢がお相手なことが前提よね?」
「エルにはオーナーの養女になってもらいます。オーナーもこころよく引き受けてくれました」
鉱山のオーナーである男爵の養女となれば、エルの障害は消える。けれど、小説の中で彼と結婚するのは、悪役皇妃と、ヒロイン。
もしもエルが、三人目の妃となるなら、役はどうなるのか。やはりヒロインにとっては邪魔な存在なはず。悪役にされる気がしてならない。
「やっぱり私にはできないわ……」
「僕のことが嫌いですか……?」
「そうではないの! ただ……私には事情があって、宮廷魔法師を辞退したのもそれが理由なの。とにかくヴィーに非があるわけではないわ」
事情を話せたら良いが、この状況で話しても断るための作り話にしか聞こえない。
「自分を責めたりしないでね……?」
うつむく彼に、エルはおそるおそる声をかけた。彼を否定することには心が痛む。今まで何度も、彼が不安に駆られる場面を見てきたから。
「大丈夫です。僕はもう大人ですよ。希望が叶わないからと震えて泣くような子どもではないですから」
完ぺきとは言えないが笑みを浮かべた彼は、椅子から立ち上がりエルの前へと移動した。
「その代わり、今日は泊まっても良いですか?」
「あの……。ここは相変わらず、ベッドが一つしかなくて……」
「僕たちはずっとそのベッドを共有してきました」
「でも、ヴィーはもう大人だから……」
求婚された以上、もう姉弟のように気軽に寝るわけにはいかない。
かと言って、強く否定もできない。彼のことを嫌っているわけではないから。
むしろ、この五年間は会えない寂しさで、心が空虚のようだった。
せっかく再会できたのに、まだ帰ってほしくないという気持ちが強い。
そんなエルの気持ちを知ってか知らずか、ヴィンセントはエルを抱き上げてベッドへと運んだ。
「結婚が叶わないならせめて、エルの初めてを僕にください」
エルはもう二十六歳だ。これまで恋人がいなかったことは事実だが、それを知らないはずの彼に決めつけられるのは納得がいかない。
「……なぜ初めてだと決めつけるの?」
「エルは、僕のことが大好きなはずですから」
けれど、決めつけた理由が可愛すぎる。
その自信に満ちた笑顔に、エルは思わず笑い出す。
「それ、家族愛よ……?」
「それでも構いません。親子も、兄弟も、夫婦も家族です。それならエルと僕にしかない家族の形もあるはずです」
ヴィンセントの唇が、初めてエルの唇に触れた。
拒まなければいけないのに。彼がエルから永遠に去ってしまうことのほうが、怖く感じる。
「エル、本当にあなたが大好きなんです。五年前に、エルに皇宮行きを拒まれてからずっと、諦めようと努力してきました。エルにとっての幸せは僕ではないのだと言い聞かせて。遠くからエルを幸せにしようと」
何度も口づけを交わしながら、彼は今までの想いが溢れるように言葉を紡いでいく。
「けれど、無理でした。エルがいない人生は、僕にとっては虚無のようなものです。ですからどうか、一度だけでも僕を選んでください。今だけは僕を愛してください」
ずっと、ヴィンセントの熱い視線から目を背けてきたのに、結局はこうなってしまうのか。
彼がエルの元を去って五年。ずっと寂しさを埋められずにいたエルは、彼の気持ちに抗うことはできなかった。
これから始まるであろう、彼とヒロインの物語を邪魔するつもりはない。
せめて一夜だけでも、思い出がほしかった。
その思い出があればエルは、これからも一人で生きていける気がしたから。





