15 ヴィンセント16歳 01
ヴィンセントが安心するまで。
その約束で始めた彼に仕事を任せる生活だったが、気づけば三年も経過しており、エルは二十一歳になり、ヴィンセントは十五歳を終えようとしていた。
その日。エルは、窓から差し込む朝日で目が覚めた。
眠い目をこすりながら目を開けると、目の前にはヴィンセントの姿。彼はにこりと笑みを浮かべながらエルを見つめていた。
「おはようございますエル」
「あ……おはようヴィー。今日も先に起きていたのね」
「はい。エルが目覚める瞬間を見るのが、朝の楽しみなので。朝の挨拶をしても良いですか?」
「……うん」
ヴィンセントは嬉しそうにエルを抱き寄せると、彼女の額や頬に口づけをした。
どこで覚えてきたのか。「家族は、おやすみやおはよう、行ってきますなどの挨拶の際には、顔にキスするそうです」との情報を彼が得たのは、ギルドの依頼を受けるようになってからすぐの頃。
「エルと一緒にいる時間が減って寂しいので、もっと家族らしいことがしたいです」と懇願されて、始めたのがきっかけだった。
ヴィンセントが安心するまで。
そのつもりだったのに、何だかんだと言い訳をされ続け、彼が仕事をする状態も、このスキンシップも、続けたままになっている。
「エル。大好きです。今日も仕事がんばってきますね」
「……無理しないで、気をつけるのよ」
(やっぱり。このままは、いけないわよね……)
エルは朝食の支度をしながら、ため息をついた。
この歳になっても懐いてくれるのは嬉しい限りだけれど、そろそろ姉離れしてもらわなければ困る。
この三年間でヴィンセントはさらに身長が伸び、今では大人と変わらないくらいになっている。
ヒロインと出会う頃の彼に見た目が近づいてきたせいで、あまり距離が近いとうっかりときめいてしまいそうだ。
ヴィンセントは家族であり、弟のようなもの。そのような気持ちは抱きたくない。
「そろそろ、ヴィーの誕生日よね。今年こそヴィーのベッドを買いましょう」
そんな気持ちを抱えつつ、朝食の席でそう提案してみたが。彼はにこりと笑みを浮かべながら「嫌です」と否定した。
「あのベッドで二人で寝るのはもう限界よ。あなただって窮屈でしょう?」
「それなら二人用のベッドがほしいです」
しれっと自分の望みを堂々と口にする彼に、エルは呆れてぽかんとする。
出会った頃は、手を繫ぐために一生懸命、言い訳をしていた可愛い子だったのに。
「ほら。ヴィーもそろそろお年頃だし。好きな子を家へ呼んだ時に、姉と寝ているなんて知られたくないでしょう?」
「エルは、僕が女性の友人を連れて来たらショックだと言いました」
「それならもう大丈夫よ。心の準備はできてるから」
あれはもう六年ほど前のことで、あの時のヴィンセントは十歳の可愛い男の子だった。
まさか今でもその発言を覚えていたことに、エルは少し驚きながら答えた。
するとヴィンセントは、かたっと音を立ててナイフとフォークを置いてから、うつむき加減に呟く。
「それは……もう、僕を独占したい気持ちが無くなったということですか……? 僕にはエルだけなのに……」
そして彼は、小刻みに震え出した。
(そんなに不安なの……?)
思い返せば当時の発言も、ヴィンセントが不安がるので安心させるために言ったようなもの。
彼はその言葉によって、安心を得ていたということなのか。今まで……。
「あの……違うの。ただ、ヴィーの年頃だとそうかなーと、気を遣っただけで……」
「それなら、僕を嫌いになっていませんか?」
懇願するようなその目が、当時のヴィンセントと重なって見える。エルがそばいなければ、ベッドでうずくまり震えていた頃の彼に。
エルは立ち上がり、彼の隣へと移動して抱きしめた。
「嫌いになんて、なるはずないでしょう。私はこれからもずっとヴィーのことが大好きよ」
「僕もエルが大好きです。この気持ちは変わりません」
(結局、今年も失敗か……)
エルのマナ核の音を聞きながら、表情が穏やかになっていく彼を見ていると、エルはもう何も言えない。
身体は大人に成長したけれど、彼の不安な気持ちはあの頃のまま。
皇宮で辛い幼少期を過ごしたせいで、家族に愛されて育つという年数がまだ足りていないのかもしれない。
彼が何に対しても怯えることなく自立するには、時間が必要だ。