14 ヴィンセント13歳 05
彼の質問の意味がわからずにいると、ヴィンセントはさらに続ける。
「僕のことが邪魔だから、先生の提案に乗ろうとしたのですか?」
ヴィンセントを邪魔だと思ったことは一度もない。なぜそうなるのか。
先生から求婚された内容は話したし、断って揉めたことも話している。
それならば、そもそも二人で会っていたことに関して誤解しているのか。
「違うわ! 誤解しないで! 私は初めから、先生のお申し出を断りに行ったのよ。もともと先生と結婚するつもりなんてなかったの。それで意見の食い違いがヒートアップして、あんなことに……」
「……本当ですか?」
そう振り返るヴィンセントは、今にも泣きそうな顔をしている。彼は怒っていたのではなく、エルに捨てられるかもしれないと、不安を抱いていたのだろうか。
エルは彼の頬に触れてにこりと微笑んだ。
「本当よ。ヴィーは私の大切な家族なのに、邪魔なはずがないでしょう?」
「断るだけなら、僕の前で断れば良かったのです。わざわざ、危険を冒さなくても……」
「ヴィーは先生を嫌っている様子だったから、求婚されたと聞いたら嫌な思いをすると思って。でも、余計に心配させてしまったわ。反省してる」
そう謝ると、エルの手にヴィンセントが手を重ねてきた。
「僕はエルが大好きだから、どのようなことでも受け止めますし、力になりたいです。だからもう、隠し事はしないでください」
「わかったわ。もう隠し事はしない。必ずヴィーに相談するね」
(いつの間にか身長だけでなく、頼りになるほど成長したのね)
翌朝。エルが目覚めると、ヴィンセントは家の中にいなかった。井戸に水でも汲みに行っているのか。そう思いながら玄関のドアを開けようとしたが。
「ドアが開かないわ。なぜかしら」
がちゃがちゃと何度も試してみたが、ドアはぴくりとも動かない。まさかと思い、エルは鍵穴に手をかざしてみる。
「魔法で施錠されている……。いつのまにこんな魔法を覚えたの?」
ドアだけでなく窓も調べてみたが、出られそうな場所には全て魔法がかけられていた。
彼は悪いイタズラをするような子でもないし、幼くもない。
「どうしてなの……」
困惑しながら椅子に座ると、テーブルに一枚の紙があることに気がついた。
『一晩考えましたが、エルはやはり仕事を辞めるべきです。これからは僕が働きます。今日はオーナーに二人分の辞表を提出しに行ってから、仕事を見つけてきます。エルは家でゆっくり過ごしてください』
「そんな……」
そして、夕方になり。ヴィンセントはようやく家へと帰ってきた。
何も悪いことなどしていないかのような爽やかな笑みを浮かべながら「ただいま戻りました。エル」と、彼は花束をエルに差し出してきた。
「これはなに?」
「エルがいつも見ていた花です。好きなんでしょう?」
彼が言うとおり、エルはこの花が好きだ。高価な花なのでいつも花屋の前を通るたびに見るのが好きだった。
彼はそれに気がついていたようだ。
けれど、エルが聞きたいのはその理由ではない。
「そうじゃなくて、お金はどうしたの?」
「マスターにお願いして、魔法師ギルドに入らせてもらいました。こちらは、今日の依頼報酬で購入したものです。あと、エルが好きな果物も買って――」
今までヴィンセントは、鉱山の大岩除去で得たお金は全てエルに渡していた。これは彼が働いて初めて、エルにプレゼントしてくれたもの。
本当なら嬉しいはずなのにエルは素直に喜べなくて、ヴィンセントの胸元にしがみついた。
「そうじゃないの。なぜヴィーが働いてるのよ。それは私の役目でしょう?」
「今までも僕は働いていましたよ?」
「それはお手伝いとしてじゃない。一日中、働くなんてまだ早いわ。あなたは学校へ通う歳なの」
「魔法については、依頼がない日にマスターから学ぶことにしました。それから一般教養については、すみません。平民の学校で学ぶようなことは、こちらで暮らす前に習得済みなんです」
「それなら、なぜ学校へ……」
「エルが通ってほしそうにしていたからです。僕を心配してくれたのでしょう? 嬉しかったです」
ヴィンセントは大切なものにでも触れるように、エルの髪をなでる。
エルは今の言葉で改めて気づかされた。彼は皇子で、この国で一番の教育を受けていたはず。それを知りつつも、学校へ行けばなにかしら学べることがあると思い込んでいた。
そんなエルの気持ちを汲み、彼は今まで無意味な学校に通っていたのだ。
「それでも……、こんなのおかしいわ」
学校が必要ないから、エルの代わりに働くというのは極論すぎる。
「エル。僕は心配なんです。世の中は悪い人間で溢れています。簡単に人を騙して、利用しようとするやつらばかりなんですよ。エルをそんなやつらの餌食にはしたくない」
皇宮の中で暮らしてきたヴィンセントとしては、エルが危なっかしく見えるようだ。
けれどエルは平民であり孤児。平穏に生きてきた娘よりは人生経験が豊富であり、危険を回避する術を得ている。
「私もこれからは気をつけるわ」
「エルはそのままでいいんです。エルは綺麗なものにだけ接して、安全な暮らしをしてください」
「それは私のセリフなのに……」
彼には辛い過去は忘れて、今を健やかに生きてほしいと思っている。そのためにエルが、金銭的にも精神的にも支えてきた。
それなのにいつの間にか、立場が逆転しつつある。最近のエルはヴィンセントに助けられてばかりで、働くことまで取られてしまっらもう、エルにはなにも残らない。
「僕のためを想うなら、どうか受け入れてください。僕はエルがひどい目に遭っているかもしれないと思うだけで、不安で仕方ないんです」
彼はそのとおり、身体をわずかに震わせながらエルに抱きつき、言葉を続ける。
「お願いします。少しの間だけでも良いですから。僕の不安が取れるまで。ね?」
そこまでお願いされると、エルは「……わかったわ」と諦めながらうなずくほかない。
彼にはしてあげたいことは沢山あるけれど、不安を取り除いてあげることが、何よりも重要なことだから。