11 ヴィンセント13歳 02
最近は近くにカフェも一軒できた。この鉱山街は年々発展しているので、働く以外にも楽しみが増えた。
アイスカフェラテを一口飲み、ひんやりとしたのど越しで疲れを癒したエルは、ランドルフ先生へと笑みを向けた。
「最近のヴィーはいかがですか?」
「彼の上達ぶりには毎日驚かされていますよ。それで、少し困っているんですよね」
エルは、先ほどの二人のやり取りを思い出す。
「何かご迷惑をおかけしていますか……?」
「いいえ、そういう意味ではありませんよ。ここは魔法の教材がほぼ無いですから授業に限界がありまして。ヴィーなら皇立魔法学校へも推薦で入れると考えているんです」
「皇立魔法学校へ……?」
「いかがですか?」
エルはお金が無くて入れなかったが、魔法師ならば一度は憧れる場所。
仕事を見つけるにしても皇立魔法学校の卒業生ならば、格段に良い待遇を受けられる。
(ヴィーを迎えにくる支援者もいないし、このまま私と暮らすなら真剣に将来を考えるべきよね)
この三年で、皇后がヴィンセントを探す気配は一度もなかった。
おかげで平穏な暮らしをおくれたが、支援者との接触も叶わずにいる。
彼の祖父が他界したことで、ほかの支援者たちはもうヴィンセントを諦めてしまったのか。
それとも、ヴィンセントが無事でいることすら知らないのか。
どちらにせよ、小説のストーリーは本編に入る前から大きく変わってしまった。
これからヴィンセントが、どのようにしてヒロインと出会うのか想像もつかない。
もしかしたら、小説のヒーローとしての人生が消滅した可能性もある。
そのような状況で彼にしてあげられるのは、少しでも今後の人生のプラスになる経験をさせること。
彼が望むなら、皇立魔法学校へ通わせてあげたい。今のエルの給料ならば、そう難しいことでもない。
けれど、ヴィンセントがそれを望むとは思えなかった。
「ヴィーはあのとおり、私と一緒にいたいみたいで……」
「そうみたいですね。ヴィーにこの話をした際も同じ理由で断られました」
(やっぱり)
「そこでご提案なのですが、エルさんも皇立魔法学校に就職しませんか?」
「私が?」
「じつは私はもともとあそこの教師なんです。そろそろ戻れそうなんで、エルさんに助手をお願いできたらと思いまして」
もしもそれが叶うなら、ヴィンセントはエルの活動範囲から出ることなく、安心した状態で皇立魔法学校へ通える。
それならきっと、ヴィンセントも喜ぶはずだ。
「その代わり、条件があります」
「条件ですか?」
「私と結婚してください。あなたが好きなんです」
(え……。先生と結婚?)
先生に対しては良い印象を受けてはいたが、それはただヴィンセントに親切にしてくれる先生という意味だった。
今までそういった気持ちで先生を見たことは一度もなかったので、エルはどう返事して良いかわからず、動揺した。
それを察したように、ランドルフ先生は申し訳なさげな笑みを浮かべる。
「急にすみません。本当なら素敵なレストランにでもお誘いしたかったのですが、ヴィーに邪魔されそうで」
それからランドルフ先生は、エルの手を握りじっと見つめた。
「ですが、気持ちは真剣です」
その日の帰り。馬車の中でエルはぼーっと、暗い外を眺めていた。オーナーが馬車を用意してくれたおかげで、乗合馬車を乗り継がなくても良くなったが、最短距離だと街を通らない。変わり映えのしない暗い道が続く。物思いにふけるには好都合な風景。
ヴィンセントの何度目かの「エル……」と呼びかける声で、やっとエルは我に返った。
「あ……。どうしたの?」
「今日。先生と二人きりでカフェにいきましたね」
「それで不機嫌なの?」
エルがぼーっとしていられたのは、先ほどから彼が不機嫌に無言だったせいもある。
「先生には気をつけてください。あいつはろくでもない男です」
「魔法を教えてもらっているのに、失礼だわ」
「あそこではほかに教えてくれる先生がいないから、生活のために仕方なくです」
ヴィンセントが、お金を得るために熱心に魔法を覚えていることは知っていたが、そこまで無理をする必要はない。
できれば魔法は、自分の意思で興味を持って学んでほしかった。
「ヴィー。無理して危険な仕事をしなくても良いのよ? 私のお給料だけでも二人で暮らしていけるでしょう?」
「嫌です。エルにはもっと美味しいものを食べて、綺麗な服も着てほしいですから」
「家族はお互いに支え合うとは言ったけれど、贅沢をさせて甘やかすという意味ではないのよ?」
「エルだって、僕に上等な服を着せたがるじゃないですか。こっそり僕の分のお肉だけ良いものにしたり」
「それには事情があるのよ……。ヴィーは成長期だし」
彼に不便の暮らしをさせていたら、エルが悪役になってしまう可能性があるのだ。ただ単に、贅沢をさせているわけではない。
「僕にだって事情はあります。エルは可愛いから綺麗な服が必要なんです」
同じように真剣な表情のヴィンセントに、エルは思わず吹き出すように笑った。
「なによそれ」
「とにかく、僕が先生から魔法を学ぶことと、先生がエルに近づくことは別ものです。二人きりにならないよう気をつけてくださいね」
エルも少し気にはなっていた。
好きだから結婚したいと言う割に、こちらがほしいものをちらつかせて条件にした。
それも、断ればエルが大きな後悔をしそうな条件を。
それに皇立魔法学校で教師をしていたなら、もっとほかに良い学校への再就職だってできたはずだ。
なぜ、魔法科もない鉱山の学校の教師をしているのか。
まるでエルのように、やむにやまれぬ事情があるかのようだ。
(そろそろ戻れそうってどういう意味なんだろう? 学校にいられなくなった理由でもあったの?)