09 ヴィンセント10歳 09
「良かった。正常に戻っているわ」
「僕はまた、迷惑をかけてしまったようですね……」
「そんなことはないわ。あの時、ヴィーが助けてくれなければ、私はもうこの世にはいなかったかもしれないもの。ありがとうヴィー」
そうお礼を述べると、彼は安心したように笑みを浮かべた。
「エルが無事で良かったです」
しばらくすると、モーリス先生が人を連れて部屋へと入ってきた。
「目覚めたようだね。大丈夫かい? ヴィー」
「もう大丈夫です。ご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした」
「いやいや。私もヴィーに助けられた一人だ。本当にありがとう」
先生はこの短時間ですっかりとヴィンセントを気に入った様子。昔からの知り合いのような雰囲気だ。
「それで、お礼というか、君たちは運が良い」
そう切り出した先生は、後ろにいた男性を紹介するように視線を向けた。
「こちらは鉱山オーナーの男爵様だ。事故を心配して駆けつけてくださったので事情を話したら、二人に感謝したいそうだ」
(貴族……)
エルはどきりとしながら、さりげなくヴィンセントを抱き寄せた。ヴィーが皇子だと気づいただろうか。心配しながら「男爵様にご挨拶申し上げます」と貴族に対しての挨拶する。
けれど男爵の視線は、ヴィンセントではなくエルへと向けられていた。
「あなたが、あの天才魔法師エル殿か。三年前の魔法師試験の伝説は今でも語り継がれているよ」
「光栄なことでございます」
どうやら男爵は、エルの噂を聞きつけてここへ来たようだ。
男爵は気さくな人のようで、この国では平民の挨拶である握手を求めてきたので、エルはそれに応じた。
「まさかエル殿を雇える日が来るとは。こちらこそ光栄だ。それに弟殿も魔法の才能をお持ちだとか――。おや、どこかのパーティーでお会いしたかな?」
そこで初めて男爵は、ヴィンセントへと視線を向けた。何かを思い出そうとしているような表情。エルは、ヴィンセントを抱き寄せている腕に力が入った。
「私たちは平民の姉弟ですので、貴族様の催しにはご縁がございません。もし、ご懸念がございましたら、マナ核でご確認ください」
親族かどうかをマナ核で確認する行為は、それ相応の疑惑が掛けられている場合などにしかおこなわない。
男爵は驚いたように、手を振った。
「あっ。いや。君たちの姉弟関係を疑ったわけではない。他人の空似だったようだ。すまなかったね」
男爵は、今回の働きで二人の才能がよくわかったと評価し、エルには医者と同じ待遇として、馬車での送り迎え。そしてヴィンセントにも、働いた分の給料が支払われることになった。
「男爵様が親切な方で良かったわ。炭鉱で働いている方々も、思ったより紳士的だったし」
あのあと男爵はエルの歓迎会を開き、診療所のメンバーのほかに、事務所の人間や、炭鉱の管理職の人たちを紹介してくれた。
「安心するのはまだ早いですよ」
先にベッドへと入ったヴィンセントは、エルに背を向けて窓のほうを見つめている。
歓迎会の辺りから、ヴィンセントの機嫌があまり良くない。不安そうな彼は何度もみてきたが、不機嫌な様子は初めてだ。
「何か心配なことでもあった?」
エルもベッドへと入りながら尋ねてみたが、返事がない。
「ん?」と、覆い被さるようにしてヴィンセントの顔を覗き込んでみると、彼は頬を頬膨らませながら仰向けにエルを見上げた。
「…………エルは可愛いので、男性に言い寄られないか心配です」
「私がほかの男性と話すのが嫌なの?」
「エルは僕の家族なので、僕がエルの隣にいたいです。ほかの男性に割り込まれたくないです」
ヴィンセントがあまりに思いつめた雰囲気なので、エルはぽかんとする。
(十歳にしてこの発言。さすがヒーロー……)
「ふふ。私もまだまだヴィーを独占していたいわ。女の子のお友だちを連れてきたら、少しショックかも」
枕にぽふっと頭を預けると、今度はヴィンセントがエルの顔を覗き込んでくる。
「連れて来ません。僕にはエルだけです」
必死な表情が可愛すぎて、エルはぎゅっと彼を抱きしめた。
(こんな可愛いこと言うのも、今のうちだけなんだろうな。あと三年もしたら、「本当の姉ではないくせにうるさい」とか言われちゃうのよね)
「エルのマナ核の音を聞いてもいいですか?」
「ええ。どうぞ」
ヴィンセントはもぞもぞとエルの胸元へ顔を寄せると、マナ核へと耳を当てた。
あのような発言をしていても、安心したように目を閉じる姿は年相応の可愛い男の子だ。
「エルの音を聞いているときが一番、心地良いです。大好きですエル」
「私も大好きよヴィー。これからは元気に育ってね」