5 蕁麻疹
チワワがキャンキャンとやかましく吠えながら歩道にジャンプした。今度は俺の体によじ登ろうとしている。
広瀬が羽織っていたブレザーは大きくはだけていた。
さっきまで犬が乗っていた彼の胸元には、なぜか穏やかな膨らみがある。
「えっ?」
広瀬が急に顔を強張らせた。
自分自身の下腹部を見下ろしている。
「ん?」
俺も彼の視線を追う。
「あっ、わ、悪い!」
俺の膝頭が彼の足と足の間、つまりは股間にぐっと食い込んでいた。慌てて広瀬から距離を取る。
「……?」
しかし、なにかがおかしい。
違和感を覚え、歩道に腰を下ろしたまま自分の膝を見下ろす。
広瀬の股間には、あるはずのモノが無かったような……?
「……広瀬?」
彼は目を見開いたまま反応を示さない。顔色もだんだんと悪くなってきている。
「ポンちゃああああんっ!」
ふくよかな婦人が血相を変えて駆け寄ってきた。「ポンちゃん」と呼ばれたチワワはさらによく吠える。ポンちゃんはこの婦人の飼い犬だったようだ。
「あなたたちが助けてくれたのねっ! 怪我はしてない!? どこの学校の子!?」
彼女は俺と目が合うなり、びくっと体を震わせた。
こういう反応はもう慣れっこだ。
「あれです」
俺はすぐ目の前にそびえる令涼学園の学び舎を指した。
「ええっ? 涼令学園の子たちなの? だって、あそこは……」
「今年から共学になったんですよ」
チワワに顔を舐められながら説明した。
「広瀬。大丈夫か?」
躾のなっていないワンコを手で払いながら、放心状態の同級生に呼びかける。
彼はぴくりと肩を揺らし、ゆっくりと顔を上げる。そして「ひいっ……」と小さく叫んだ。
「落ち着けって」
立ち上がりながら、自分の名前を教えるタイミングが無かったことを思い出す。
「俺は一組の岬。岬幸太郎。同じ男子一期生だ」
自己紹介をし、歩道の上で仰向けになっている広瀬に無傷の左手を差し出した。
「立てるか? ……?」
一度差し出した自分の手をまた引っ込める。
手の甲は赤くなり、虫刺されのような腫れがいくつもできていた。
「やばっ……」
蕁麻疹だ。
持病が発症してしまった。
「うっ、か、かっゆ! でも、なんでっ!?」
俺は手の甲を掻きむしった。
今日は皮膚科で薬を処方してもらっただけだ。症状が出ていたわけではない。それなのに、気が付けば手だけではなく、全身がむずむずしている。頭も熱っぽい。
左胸を触った。
シャツの胸ポケットにはこんなときのための「お守り」が……、
「な、無いっ!? ……あ、そっか!」
「お守り」である常備薬が切れたからこそ皮膚科に立ち寄ったのだということを、ようやく思い出した。
慌てて指定の通学バッグの中を漁る。
でも、なんでこのタイミングで!?
「広瀬、おまえ……」
まともに目を開けていられなくなり、彼の顔がぼやける。蕁麻疹は顔にまで広がり、まぶたも腫れてきたらしい。
俺が蕁麻疹に悩まされるようになったのは数年前からだ。
しかし、原因は特定の食品ではない。ワンコやニャンコも関係ない。
だから、考えられる理由はただ一つ。
「おまえって、もしかして」
男じゃなくて、女……!?
「きゃああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」
全て言い終わる前に、体に激痛が走った。
広瀬が悲鳴を上げ、パンチを繰り出したのだった。
俺の股間をめがけて。
雷に打たれたかのような衝撃を食らい、意識が遠のいていく……。