38(最終話)ボーイッシュな彼女が俺だけに見せるガーリッシュな一面
「いぶきー! おはよう~!」
駅構内から一人の女生徒が出てきて駆け寄ってくる。
彼女は確か五組の生徒だ。いぶきが熱を出して保健室にいることを教えてくれたのは彼女だったはず。
「……あっ!?」
しかしクラスメイトの横に俺がいることに気付き、彼女は顔を強張らせた。いぶきとはここで別れて先に学校に行こう。そう思ったのだが、
「お、おはようございます。岬さん」
と彼女は頭を下げてくる。
俺は挨拶を返すことも忘れ、女生徒をまじまじと見下ろしてしまった。
「……って、同級生に敬語はやめてくれよ。さん付けもおかしいから」
「は、はい! 以後気を付けます。……じゃ、じゃあごゆっくりどうぞ! いぶき、またね!」
女生徒は足早に学校に向かう。
「う、うん。まただゼ」
教室外だからか、いぶきはおかしな口調でクラスメイトを見送った。
彼女の友人は最後まで敬語だったが、まともに口を利いてくれるなんてどういう風の吹き回しだろう。
「おはよう」
いつの間にか翔が横に並んでいる。
「幸太郎が案外怖くないやつなんだって、みんなもわかり始めたのかもね」
さっきのやり取りを見ていたらしい彼は笑う。
傍から見たら、男子一期生の三人が仲良く登校している場面だと思うだろう。俺はちらりといぶきを見下ろした。
「お、おは、おはおはおは、おはようっ……だゼ」
彼女は少し青ざめつつも、翔に挨拶をする。
「……」
翔は目を瞬かせ、彼女を数秒見返す。そして爽やかに微笑んだ。
「おはよう。広瀬くん」
翔はいぶきを「広瀬くん」と呼んで、ただ挨拶を返すだけだった。
「おはようっ!」
高らかな挨拶に三人で足を止める。
この声は。
げんなりしながら振り返った。
「まだなにか用かよ」
そこにいたのはやはり阿久津七音実だった。
だったのだが……。
「えっ!?」
俺は絶句してしまった。翔もいぶきも隣で息をのんだのがわかった。
梅雨の晴れ間の空の下、阿久津の頭部が青々と輝いている。彼女はなんと、頭髪を全てそり落としていたのだ。
「……ど、どうしたんだ、それ」
てきとうにあしらって無視するつもりだったのだが、これは予想外の展開すぎる。どうしたのかと訊かざるを得ない。
「反省の気持ちを表明するためよ!」
彼女は腕を組み、なぜかドヤ顔になる。
「……幸太郎。彼女を許すのかい?」
翔は苦虫を潰したような顔で俺に尋ねた。
「許さねーよ」
俺はきっぱりと答える。
「なにがあっても、俺はおまえを許さない。俺やいぶきにした仕打ちを忘れない」
「……わかってるわよ。べつに、許さなくていい」
俯く阿久津に俺は今日の体育で使うつもりだったタオルを投げた。彼女は手で上手くキャッチする。
「許さないけど、隠しとけよ。校内でおまえを見かける度に嫌な記憶がよみがえる。早く元通りに伸ばせ」
かつての自分も、バリカンで髪の毛を泣く泣くそり落とした。それだって阿久津が原因だ。
「そんなこと言われたって、髪の毛はすぐに生えてこないのよ」
タオルを頭に被せながら彼女は少しふてくされる。
「……ぼく、ウィッグ持ってるのでよかったらお貸しします、だゼ」
いぶきが阿久津に申し出た。声が少し震えているのを俺は聞き逃さなかった。
「……あ、ありがと」
散々いじめた相手から親切にされ、阿久津は決まりが悪そうだ。
「だ、だから……、幸太郎とはもう近づかないようにしてほしいんですゼ」
いぶきは相手に届く声量ではっきりと言った。
阿久津は拗ねた子どものような顔になり、「わかった」と呟く。
「……つーか、あんた、岬の前でもそんな感じなんだ……?」
阿久津はいぶきに質問し、俺をちらっと見やった。「岬幸太郎の前でもその恰好と変な喋り方を続けるんだ?」と訊きたかったのだろう。
「も、元々こういう人間ですゼ? ぼくは」
翔が隣にいる手前、いぶきは阿久津にとぼけて返す。
「そろそろ行こうぜ」
俺はいぶきと翔を促し歩き出した。
阿久津を振り返り「いいんだよ、べつに」とだけ返す。
広瀬いぶきの女の子らしいところを、俺だけはよく知っているのだから。
「ボーイッシュな彼女が俺だけに見せるガーリッシュな一面」 了




