34 五組のあの子と
「だって……、おまえ、翔を呼び出したんだろ? おまえが好きなのは神宮寺翔だろうが」
「違うっ。呼び出したのは、岬について知りたかったから……。彼女とか、好きな人とかいるのかって聞きたくて。何も教えてくれなかったけど……」
「……」
頬を赤く染める彼女が演技をしているのかどうか、俺は判別できなかった。しかし、そんなことはどうでもいい。
阿久津七音実の言葉なんて受け入れる気になれなかった。
「とにかく、貰って」
彼女は紙袋を俺に押し付け、走り去っていった。危うく彼女の手に触れそうになってしまった。
「……」
紙袋をつかんだ手を高く掲げる。
床に投げつけて足で踏みつぶしてやりたかった。本人に手をくだせない代わりに、粉々にしてやらないと――。
胸の中に生まれた黒い感情が全身をめぐる。
しかし、食べ物を粗末にするのはよくないよな、と自分に言い聞かせ、深呼吸を繰り返して気持ちを落ち着かせる。
「幸太郎、大丈夫かい?」
彼女と立ち替わりに現れたのは翔だった。心配そうに俺を見上げている。
「阿久津七音実になにかされた?」
「なにも。これ、あいつの手作りクッキーだって。やろうか?」
「要らないよ。そんなもの」
翔は苦笑いをして階段を上ってくる。
「……ああ、本当に手作りって感じだね」
彼は隣に来て紙袋の中をのぞいた。中の袋を出してみる。
クッキーの形はいびつで無数のひびが入っている。俺が叩きつけるまでもなかった。
「幸太郎も阿久津に呼び出されたんだ」
「ああ。……翔、ありがとうな。俺のこと、阿久津に黙っていてくれたんだな」
「友達の情報をいじめっ子に話すなんて、あり得ないよ。……阿久津七音実のことは、振ったのかい?」
「当たり前だ」
天地がひっくり返っても彼女の気持ちを受け入れるつもりはない。
「そうだよね。だって、幸太郎は五組のあの子と付き合ってるんだもんね?」
俺はついうっかり紙袋を手から滑らせてしまった。床に落ちたクッキーにはさらにひびが入っただろう。
「つ、つ、付き合ってなんかねーよ! そ、それにおまえなんで広瀬が女だって知って……!?」
慌てふためく俺に翔は首を傾げる。
「女って? 僕は『広瀬くんと付き合っているのかどうか』と尋ねただけだ。広瀬くんが女だとは一言も言っていないけど?」
あんぐり口を開けて翔を見返した。
翔はそんな俺を見返して、ふふっと笑う。
「……ごめんよ、幸太郎。ちょっと鎌をかけてみた。やっぱり幸太郎は広瀬くんが……、いや、広瀬さんが女の子だってわかっていたんだね」
「翔、広瀬が女だってことは……」
「誰にも言ってないよ。安心してくれ。なにか事情があるんだろう」
翔は俺の目を真っ直ぐに見て言った。
阿久津七音実とは大違いで、彼の言葉は信頼できる。俺は胸を撫で下ろした。
「でも、なんで翔は広瀬の正体を知ってるんだ?」
彼は腕を組み、扉の窓のほうを眺めた。また雨が降るのか、外は暗い。
「……見ちゃったんだよ。幸太郎が塾をやめた日に」
俺が塾をやめた日、翔もコインパーキングへ向かっていた。翔の親が車で迎えに来てくれたからだ。
道の途中で、同じ塾に通う同級生が歩いていることに気付いた。阿久津七音実にいじめられていた男の子だった。
よく見ると、彼は傘を差しているのにずぶ濡れになっている。
翔は追いかけて声を掛けた。振り返った彼のきれいな目は涙で濡れていた。
翔の顔を見るなり、彼は何も言わずに走って去ってしまった。
「デリカシーが無い発言をするけど、そのとき、僕は見てしまったんだ。びしょ濡れになった彼のシャツに下着が透けているのを。……男子はつけないようなタイプの下着だった。確信したわけではないけれど、もしかしたら彼は女の子なのかもって」
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
俺は静かに語る翔を遮る。
「その男の子って、ヒロのことだよな? それがどうして……」
翔がぽかんと口を開ける。
「……幸太郎、まさかそっちには気付いてなかったのかい?」
――幸くんのことが、好きなんだ。
彼の、いや、彼女の言葉が耳の奥で再生された。




