表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
33/38

33 ごめんなさい

 保健室のベッド上で俺は目を覚ました。

 こめかみに涙が伝っている。耳の中まで濡れそうになって気持ち悪い。


「情けねー」


 自嘲しながら涙を拭った。

 手の甲はまだ赤く、ところどころただれている。今回はよっぽど症状が酷かったのかもしれない。


 ヒロは元気にしてるのだろうか。

 夢の中で、彼のあだ名をやっと思い出せた。

 本当の名前は何だったのだろう。ヒロトだろうか、ヒロムだろうか。「ヒロ」がつく名前なんていくらでもある。「ヒロ」という手がかりだけで彼を探し出すことは難しいだろう。


「最後に『好きだ』って言ってくれたのにな……、あいつ」


 いじめられた俺は退塾することに決めた。

 阿久津たちの所業は講師たちにばれて、厳しくしょっぴかれたようだ。塾内のいじめは完全に止まった。

 しかし俺にはばっちりトラウマが残り、もうあの塾に行く気にはなれなかった。


 最後に通塾した日にも雨が降っていた。ヒロは出入り口の前で傘を差して俺のことを待っていた。服は濡れていない。俺はもう自分の上着を彼に貸す必要が無くなった。

 無言で歩き出す。

 しばらくして、「やめちゃうの」と彼は訊いた。俺は頷いた。


「もういじめられることはないから、安心しなよ」


 彼は蚊の鳴くような声で「さみしいよ」と言った。


「さ、さみしくはないだろ」


 俺は渾身の作り笑いを浮かべて言った。


「服とか文房具とか貸しただけじゃん。一緒に帰っただけじゃん……」

「全部、嬉しかったよ」


 声が震えている。泣き出しそうな彼の声に、俺まで泣きそうになった。


「……ぼく、幸くんのことが好きなんだ」


 俺はヒロの顔をまじまじと見返した。彼は顔を真っ赤に染める。

 突然の告白に驚くあまり、「え?」と訊き返すことしかできなかった。

 両親の若い頃に比べると、同性同士の恋愛もオープンなってきたかもしれない。でも、まさか自分が同性から愛を告げられるとは思っていなかった。


 そもそもまだ小学生で、今まで誰かに好意を持ったり好意を持たれたりすることすらなかった。だから俺は、彼になんと返事したいいのか、さっぱりわからなかった。


「……」


 何も言わないでいると、彼は傷ついたような顔を見せた。目が濡れている。

 他人の容姿に関心が少なかった俺は、彼がきれいな顔立ちをしていることにこのとき初めて気が付いた。


「……バイバイっ!」


 彼は雨の中を駆け出した。


「ヒロッ!」


 ヒロは躓いて思いきり転び、水たまりの中にダイブした。


「大丈夫か!?」


 俺は駆け寄ろうとした。

 しかし彼は立ち上がると、振り返りもせず逃げるように走って行ってしまった。

 ヒロの姿を見たのはそれが最後だった。





「……なんのつもりだよ」


 保健室での事件があった次の日、俺は屋上の出入り口の前に呼び出された。

 阿久津七音実(どれみ)に、だ。


 彼女は小さな紙袋を差し出す。

 水色の袋の中には、リボンでラッピングされたビニル袋が見えた。


「昨日は迷惑かけたから、その、お詫びに。クッキー作ってきた」

「要らねーよ。そんなもの」


 俺は即答し踵を返す。彼女の顔を見ていたら治まった蕁麻疹が再びぶり返しそうだ。


「ま、待ってよ。話を聞いて」

「そんなものでチャラにできるとでも思ってんのか?」


 しかも手作りクッキーだなんて、いぶきの真似をしたのだろうか。そう思うと反吐が出そうになる。

 いぶきとは未だ連絡が取れていない。学校も欠席しているようだ。そのもどかしさが余計に俺を腹立たしくさせていた。


「チャラにできるなんて思ってない! ……これはせめてもの気持ちというか。本当に悪かったと思ってるから……。ご、ごめんなさい……」


 振り返ると阿久津が頭を下げていた。胃のあたりがぎりぎりと痛み出す。

 謝罪の言葉を口にしているが、信用ならない。それに、本心だったとしても俺は阿久津を許せるほど心の広い人間じゃない。

 塾でのいじめ、広瀬いぶきに対する仕打ち。どんなに謝ってきても、こいつがやったことは帳消しにはならない。

 腹が立つあまり何も言えないでいると、阿久津が恐る恐る頭を上げた。俺の心情を察したのか、彼女は眉を落とす。


「許してもらえるなんて思ってないけど、これだけは受け取ってほしい。ちゃんと甘さ控えめだから……」

「……」


 ふと気が付く。

 確かいぶきも、クッキーを渡すときに「甘さ控えめ」だと言っていたような気がする。


「なんで俺が甘いもの苦手だって知って……」


 口を利くつもりなんて無かったのに、つい訊いてしまった。


「す、好きだから。岬のこと!」


 すがりつくように阿久津が言う。


「工藤先生が行っていた通り、好きなの。岬のことがずっと気になってたの。甘いのが苦手なこととか、誕生日とか、最寄り駅とかも、知ってる……」

「悪い冗談はやめろ」

「本当だって! 信じてもらえないかもしれないけど、昔からそうなの。気になる人ほど、どう接していいかわからなくて」

「ああ、またあれか? どっかにカメラでも仕掛けてんだろ」

「もうそんなことしないっ!」


 阿久津は涙目になっていた。化粧が落ちたのか目元が少し黒い。


 俺は不覚にも動揺してしまった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ