32 ターゲット
ヒロは、雨の日は必ず転んで服を濡らしていたし、文房具を無くすこともしょっちゅうだった。だから俺は服やシャーペンをよく貸してやった。
その度に彼は、「幸くん、ごめんね」と言ってくる。
俺のことを「幸くん」と呼ぶやつはヒロの他にいなかった。ちょっと恥ずかしいような気もしたけど、まあいいかと思って好きに呼ばせてやった。
夏期講習が始まったタイミングで、入塾したときから仲が良かった神宮寺翔とクラスが変わってしまった。彼も公立中学に進学すると言っていたのだが、成績が良く、無料で特進コースを受けられることになったらしい。友達と遊ぶために塾に通っていたわけではないが、俺は当然、つまらくなった。
夏期講習一日目の午前の授業が終わると、俺は弁当を持って教室をいち早く抜け出した。翔と昼食を一緒に食べたくて、急ぎ足で特進クラスがあるフロアへ上がった。
特進クラスと同じフロアに、中学受験者向きのクラスが並んでいることに気付いた。
そういえば、ヒロはこのクラスだったよなと思い、廊下の窓からヒロが属するクラスをのぞいてみた。
彼は教室の隅にいた。周りには派手な服装の女子たちがいて、なにやら楽しそうに盛り上がっている。
「なんだ、友達いるんじゃん」と目を丸くした。てっきり、彼には友人がいないのだと思い込んでいた。俺以外の誰かと一緒にいたり話したりしている様子を見たことが無かったからだ。
女子たちはヒロが持っていた弁当箱を手に取った。
奪ったようにも見えた。
そして蓋を開け、くるりとひっくり返した。
弁当の中身は当然、床にばら撒かれる。
「……は?」
一連の出来事を眺めていた俺の口から声が漏れた。
「な、なんだ?」
目にしたばかりの光景が信じられず、俺はただ立ち尽くす。
弁当をひっくり返した女子たちは腹を抱えながらこちらにやってくる。ヒロはしゃがんで黙々と床掃除を始めた。女子たちが教室のドアを開けて出てくる。
「あー、まじうける!」
「七音実、下級生いじめるとかかわいそすぎー」
げらげらと笑いながら女子たちは廊下の奥へ消えようとした。「七音実」と呼ばれた、とくに見た目の派手な女子が振り返る。
「でもあれだけじゃ物足りないわあ。明日は雨なんだよね? 楽しみ~。また水たまり見つけて突き飛ばしてやろっと!」
「幸太郎、お待たせ! ……幸太郎?」
呆然とする俺に、特進クラスの教室から出てきた翔が声を掛けた。
「……おい! 待てよっ!」
気付けば建物中に響き渡るような声で叫び、俺は廊下を駆け出していた。
阿久津七音実を含む女子たちの悲鳴が上がった。
*
その日を境に阿久津七音実たちによるヒロへのいじめは無くなった。でも、いじめ自体が無くなったわけではない。
彼女たちはターゲットを変えただけだった。
ヒロを助けようとしたこの俺に。
俺は雨の日になると後ろから足蹴りされ、水たまりに突き落とされるようになった。シャーペンや消しゴムはいつの間にか消えていた。家から持ってきた弁当は床にばら撒かれた。髪の毛にガムをつけられたので坊主にした。
夏期講習の最終日、俺は阿久津によって塾の女子トイレに連れ込まれた。
他の女子たちもグルになっていたらしく、外に向かって大声で助けを呼んだが誰も助けに来る様子は無い。
俺は着ていた服を全部脱がされた。シャツも下着も全てだ。まだ抵抗できるほど腕っぷしが強くなかった。
阿久津は俺にピンク色のシャツや裾の短いスカートなんかを押し付けてきた。
「フルチンが嫌だったらそれ着て出てこいよな!」
ぎゃははは、と大笑いして彼女はトイレから出て行く。俺の服は全て、彼女が窓の外に放り投げてしまった。
「…………」
俺は号泣しながら、まだ妹くらいの女児が着るような服を身に着け廊下へ出た。
阿久津と彼女を取り巻く女子たちがスマホを構えて笑っていた。
女に触れると蕁麻疹が出るようになったのはそれ以来だ。




