3 広瀬
再び彼と出くわしたのは、次の日に行われた新入生オリエンテーションの最中だ。
男子一期生を含む外部からの新入生には、令涼学園内の施設は新鮮だった。
おしゃれなレストランのような内装の食堂や、屋内プールやトレーニングルームが完備された体育館。公立ではとても考えられないような設備ばかりだった。
しかし内部進学生にとっては勝手知ったる母校をうろうろしているだけの退屈な時間だ。彼女らはひたすらお喋りに興じていた。
オリエンテーションもそろそろ終わりというとき、俺たち一年一組と一年五組の生徒たちが校舎の廊下で邂逅した。
五組の生徒の群れの中に、昨日の小柄な同級生の姿があった。昨日と同じ、黒いマスクにぶかぶかの制服だ。
「『広瀬』……?」
翔も彼に気付いたようで、俺の隣で目を細めながらぽつりと呟く。
見ると、小柄な男子は胸ポケットに「広瀬」と書かれた名札を付けていた。それが彼の苗字らしい。
俺は広瀬と周りの女子の様子に目を丸くして立ち尽くした。「極度の人見知り」という印象だったのだが、彼はなんと、五組の女子たちに囲まれ楽しそうにお喋りしているのだ。
俺は口をぽかんと開けたまま、五組で形成されたハーレムを眺めてしまった。
「な、なんだよあれーっ!」
すぐ後ろで騒ぎ始めたのが照井だった。
彼も俺と同じ、一組の男子生徒だ。身長は俺や翔よりずっと低いのだが、まくったシャツから伸びた腕には筋肉がつき日に焼けていて「健康的な男子」といった雰囲気だった。入学し、さっそく運動部に入ったらしい。
「あいつだけ五組なんてずるいじゃん! ああー、くそっ! 俺もあのハーレムに加わりたいぜー!」
一組の女子たちに白い目で見られていることにも気が付かず、照井は悔しがっている。
彼のように「ずるい」とまでは思わなかったが、俺だって首を傾げざるをえなかった。
一学年の生徒たちは、五クラスに分けられている。
一年一組には、俺や翔や照井を含む男子生徒が六名集められていた。二組から四組はゼロ人。そして五組には、広瀬ただ一人だけが所属しているようだった。
広瀬だけが他の男子一期生から距離を保つかのように五組に入れられているのだ。彼が特別な計らいを受けていると思うのも無理はないだろう。
照井が騒ぎ過ぎたために、ハーレムを形成する女子のうちの一人がこちらに気付き振り返る。
彼女は俺たちを見て露骨に顔をしかめ、広瀬たちになにか耳打ちした。するとハーレム集団は顔をさっと曇らせ、俺たちを避けるように廊下を引き返していったのだった。
「な、なんだよ。あの態度! 五組の女子たちって感じ悪いな! 俺は一組でよかったぜ!」
照井がぷんぷん憤慨する。
彼の言葉に、一組の女子たちの表情も曇った。
「……こっちは全然よくないよね」
「男子たちと同じクラスとか最悪」
「神宮寺翔くんだけでよかったのに」
ひどい言われようをされているが、照井の耳には届かなかったようだ。
「くそー、俺たちは一組で仲良く楽しくやろうぜ。なっ、幸太郎!」
照井は俺と肩を組もうとするが、腕が届いていないので屈んでやった。
「ん?」
廊下の向こうに去っていく五組の集団のうちの一人が振り返り、俺たちを見ていた。
広瀬だった。
厚い前髪の隙間からのぞかせた目を細めている。
俺を睨んでいるようだが、理由はわからない。出会って間もないし、口すら利いたことが無い。下心丸出しでぎゃあぎゃあ騒いでいるのは俺ではなくて照井だ。それなのに、どうしてガンをとばされなくてはいけないのだろう。
よくわからんが、広瀬とは関わらないようにしよう。
そう心に決めた俺の隣で、翔が「なるほど」と呟く。
「あの男の子は五組だったんだね。クラスは違っても、男子一期生同士で仲良くなれればいいんだけど……」
翔は俺とは異なる考えを持ったようだ。彼は昔から、心の中まで爽やかなのだ。
「五組の子たちも、よろしくね」
翔は立ち去っていく五組の生徒たちに声を掛けた。
五組の女子たちが足を止め振り返る。爽やかイケメンの翔を見るや否や、彼女たちは明らかに態度を変えた。表情を和らげ、こくこくと頷いている。はにかみながら小さく手を振ってくる女生徒までいた。
「イケメンならいいのかよ!」
照井は「けっ」とつまらなそうに顔を歪める。
その間も、広瀬は俺のことをずっと睨み続けていた。翔には目もくれない。
俺もついむきなって広瀬を睨み返しそうになった。
「はーい。五組は次、図書館に移動するよー」
五組の担任が呼びかけると、広瀬は「もう飽きた」と言わんばかりに顔を背け、今度こそ立ち去ってしまった。
……そんなこんながあったせいで、俺にとって広瀬という男子生徒は良い印象の人間ではなかった。
しかし、入学してから約三週間後に、事件は起きたのだ。