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29 退学

「広瀬いぶきはいるか?」


 次の日の昼休み、俺は一年五組を訪れていた。

 直接話し合えることを期待して屋上の前にいたのだが、待てど暮らせど、彼女はやって来なかったからだ。

 俺の姿を見るや否や、廊下の窓際にいた女生徒たちが血相を変え始めた。


「い、いぶ……、じゃなかった、広瀬くん、ですか? そ、そそそ、その」


 彼女たちは顔を見合わせる。


「いぶきに何の用だろう……」

「知らないって言ったほうがいいんじゃ」

「で、でも正直に言わないと、いぶきも私たちも何されるかっ!」


 ひそひそと耳打ちし合っているが、全て筒抜けだ。人のことをなんだと思ってるんだろうか。


「あのっ」


 女生徒の一人が意を決したようにこちらを振り向く。


「広瀬くんなら、熱が出て保健室で寝てます」

「……熱が?」


 昨日の雨の激しさを思い出す。電車を使った俺ですらびしょ濡れになったほどだった。


「そ、そうです。弱ってるんです。だから情けを掛けてあげてください! 命だけは勘弁してくださいっ!」


 彼女たちは震えあがりながらも懇願した。


「……教えてくれてありがとうな」


 俺はなるべく柔和な表情を作って礼を言った。


「あいつには、指一本触れない。約束する。だから安心してくれ」


 正しくは、「触れない」ではなくて「触れられない」だが。


「は、はい……」


 彼女たちも少し表情を和らげて頷いてくれた。


 保健室に向かうため、階段を駆け下りながらスマホで時刻を確認する。もうすぐ昼休みも終わってしまう。

 なにやってんだよ。

 熱を出すことになってまで俺と距離を置く理由がわからない。何かしてしまったのだろうかと考えるが、心当たりはない。


――一緒に登校するのも負担だろうし。


「……」


 電話口ではそう言っていたが、実際に負担に思っていたのは彼女のほうだとしたら……。

 いや、話さないとわからない。

 俺は頭に芽生えた可能性を引っこ抜く。


 一階の保健室に到着した。いぶきがいるはずなのに、電気は点いていない。一応ノックしてみてみたが、やはり返事は無い。

 鍵は掛っていなかった。ドアはするりと開き、難なく中へ入ることができた。

 室内は薄暗く静かで、工藤先生の姿も無い。一番奥のベッドは中が見えないようにカーテンがきっちり閉じてあった。


「……いぶき?」


 近付き、小声で中に呼びかけてみる。やはり応答は無かった。このカーテンの向こうで寝入っているのだろうか。それならば起こすのはかわいそうだと思いつつも、一目でいいから彼女の顔を見たかった。


「……!」


 突然、カーテンが開いた。

 白く細い腕が伸びて、俺の襟元を掴む。俺はそのままベッドの上に押し倒された。不意打ちのため、咄嗟の抵抗ができなかった。

 俺を押し倒し、組み敷いてきた人物の顔を見て目を見開く。


「あ、阿久津……?」


 名前を呼んだ瞬間、喉が渇きだす。


「阿久津先輩、だろ?」


 目と鼻の先に、阿久津七音実(どれみ)の顔がある。彼女は口元を歪め、獲物を見つけたみたいに目をらんらんと光らせていた。

 阿久津の両手が俺の腕を押さえている。もちろん、手袋なんてしていない。直に肌と肌が触れ合っている。

 全身が震えはじめた。

 確実に蕁麻疹を発症する。


「なんのつもりだよ!」


 俺は彼女を突き飛ばした。彼女はあっけなく床に尻もちをついたが、動揺は見せずさらに愉快そうに笑みをこぼす。


「岬こそ、なんのつもり? ……校内で強姦?」


 彼女はゆっくり立ち上がった。


「は、はあ? 馬鹿じゃねえの」


 俺は吐き捨てるように言った。

 とにかく、こいつに付き合っている余裕は無い。俺は自分の胸ポケットを探った。薬はしっかりそこにしまってあった。廊下に出れば自動販売機だってある。水を買って今すぐ薬を飲めば軽症で済む。

 阿久津はベッドの上に座り直し、俺を見上げてにやにやしている。


「!? なんだその恰好……」


 彼女は学校指定の半袖シャツを着ていたが、ボタンを全て外していた。

 黒いレースのブラジャーが露わになっている。しかもブラジャーはなぜか中央で切られたみたいに分離していた。深い谷間が丸見えだ。


「やだ。フロントホックが外れちゃった」


 阿久津はだらしなくはだけた自分の下着を見下ろすが直そうとしない。俺は慌てて顔を背けた。


「な、なに考えて」

「そんな。岬が無理やり脱がせようとしたんじゃん……」


 阿久津は急にしおらしい声を出す。その声が直に肌を撫でたような気がして、全身の皮膚が粟立っていく。支離滅裂な彼女の発言にも恐怖を感じた。


「男子一期生が校内で無理やり女生徒を……。先生たちが知ったら、あんたはどうなっちゃうのかなあ? 他の男子たちも白い目で見られるかもね? あんたのせいで」

「……」


 そういうことかよと一人合点した。

 俺をはめて退学にでもさせようとしているのだ、こいつは。


「付き合ってられねえ。証拠が無いだろ。じゃあな」


 俺はこの場から離れようとした。体がむず痒くて仕方ない。

 早く薬を飲まなければ。


「証拠ならばっちり。ほら」

「ばっちり……?」


 振り返ると窓枠にスタンドに掛けられたスマホが置かれていた。阿久津の私物のようだ。カメラのレンズはこちらに向いている。


「ちょっと編集する必要はあるかもだけど」


 阿久津がクスリと笑う。


「……っ!」


 俺はベッドに手をつき、スマホに腕を伸ばそうとした。しかし阿久津のほうが近く、ひょいと奪われてしまう。

 その拍子に、今度は俺が彼女を組み敷くような体勢になってしまった。


「あーあ。指紋まで付いちゃったね」


 スマホに伸ばそうとした俺の手は、彼女の胸をブラジャーごとしっかりとつかんでいた。


「ほら、しっかり触っておけよな」


 よく証拠が残るようにするためか、彼女は自分の手で俺の手を押さえつけた。


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