表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
28/38

28 くだらない理由

「ちょっと待って。おまえ、塾にいた……?」


 難問が解けた受験生みたいに輝く阿久津七音実(どれみ)の目にぞっとした。


「あー! そうか、そういこと!? 小学生のときからってこと?」


 興奮したように叫んで、私の姿をねめまわす。

 男装した私の姿を。


「まー、男装してる事情なんて興味無いけど、どうせあれでしょ? 男が寄り付かないように~みたいなくだらない理由でしょ? ちょっと自意識過剰じゃね? よく見れば可愛いかもしれないけど」


 彼女の言葉に、頭の後ろで糸がぷちんと切れるような音がした。


「違う……」


 ついこぶしを握り締める。


 くだらない理由?

 自意識過剰?


 この人に、私の何がわかるというの?


「幸太郎以外の男子は、あんたが女だって知らない?」


 彼女は新しい悪戯を思いついたというような顔を見せる。


「……」

「その反応!! やっぱり隠してるんだね。……ねえ、取引しようよ」

「と、取引……?」


 一方的な申し出に身構えた。


「あんたが実は女だってこと、誰にもばらさないであげる。でも、その代わり……」


 水滴がおでこにかかった。薄い灰色だった雲の色が、いつの間にか黒に変わっていた。





 一日の授業が全て終わった。当番のため教室を清掃し、やっとスマホを確認する。いぶきからメッセージが届いていた。


「おいっ、なーにニヤニヤしてんだよー!」


 画面をタップしようとした俺に照井が茶々を入れる。彼は部活があるため、体操着に着替えながら俺のスマホをのぞこうとする。


「うるせー」


 俺はチワワをどかすみたいに照井を手で払った。


「幸太郎っ! 抜け駆けは無しだからなーっ!」

「そ、そんなんじゃねーよ。妹からだ、妹」

「……え、妹からのラインでそんなにニヤニヤするか?」


 俺の咄嗟の嘘に照井がちょっと引いている。

 俺はそんなにニヤニヤしてただろうか。

 思わず自分の口元を隠した。いぶきを見習うわけではないが、俺もマスクをつけて生活したほうがいいかもしれない。画面にいぶきの名前が表示されただけで口を緩めてしまうなんて。

 しかしメッセージを開き、俺の顔は再び引き締まった。


≪先に帰ります≫


「……」


 画面を見下ろしながら俺は眉をひそめる。


「先に帰るって言ったって……」


 今朝も一緒に電車通学したのだ。校内に彼女の自転車は無いはず。まさか、一人で電車に乗って帰るつもりなのだろうか。

 そんなわけない。

 慣れてきたとはいえ、つい先日までホームの端で震えあがっていたくらいだ。


「うっわ、まだ降ってるのかよーっ! 雨だと筋トレになるんだよなあ……」


 照井が窓から身を乗り出してぼやいた。昼過ぎから降り始めた小雨は、いつのまにか本降りになっている。

 俺は荷物を持って教室を出た。周りに教師がいないのを確かめてから、廊下の真ん中でスマホを操作する。「スマホの使用は禁止」という校則を破って、いぶきに電話を掛けるためだ。


『……幸太郎?』


 いぶきはすぐに通話に応じてくれたが、声には元気が無かった。


「先に帰るって、なんでだよ」


 スピーカーがザアッと鳴った。雨で濡れたアスファルトの上を車が走っていく音だ。彼女はすでに校舎を出ているようだった。


「自転車だって無いだろ? あ、親が迎えに来てるのか? それならそうと」

『あ、歩いて帰るの』

「は、はあっ? 歩いて?」


 声がひっくり返った。ここから彼女の自宅まで歩いたら、着く頃には夜になってしまう。


「うわーっ。絶対びしょびしょになるじゃーん! 今日、折りたたみ傘しかないんだよね」

「うちの親、迎えに来てくれないかなー」


 俺に横を通り過ぎる女生徒たちが、窓の外を眺めながら雨の心配をしている。それほどに雨脚が強くなっていた。


「こんな雨の中歩いたら風邪ひくぞ」

『あ、明日からは、また一人で自転車に乗って登下校するね。幸太郎、今までありがとう』

「な、何だよ。突然」


 長い別れを告げるときのような言い方だった。

 わけがわからない。少なくとも朝までは、変わった様子が無かったはずだ。


『昼休みも友達と過ごすし、お出かけも万理華ちゃんと二人でするから。幸太郎はもう護衛なんてしなくて大丈夫だよ』

「……何かあったのか?」

『幸太郎を付き合わせるのが申し訳なくなっただけだよ。一緒に登校するのも負担だろうし、お出かけだって興味無いでしょ? カフェなんて……』

「だから、電車で登下校するのは、妹の送迎のついでなんだって! 何回も言ってるだろ」


 いぶきの一方的な会話に苛立ち、自分の口調がだんだん荒くなっていく。周りの同級生たちに怯えたような眼差しを向けられて我に返る。


「……出かけるのだって」


 カフェ巡りに興味があるかどうかと訊かれたら、はっきり言って「無い」。自らネットで情報収集したり、一人で来店して過ごしたりだなんてとても考えられない。

 けれど、


「負担じゃないよ」


 むしろ、俺は楽しみにしていた。

 いぶきと出かけることを。

 女の子らしく着飾った彼女と同じ時間を過ごせることを。

 はにかんだ彼女の笑顔をまた見たいと思っていた。


「だから」

『幸太郎、ありがとう』


 彼女の声は、なぜかまだ暗い。


『………………ごめんね』

「いぶき?」


 返事は無い。通話は切られていた。

 何度かけ直しても、彼女が出ることは無かった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ